【ロサンゼルスで暮らす人々】死ぬまで前に向かって進んでいきたい

シェアする

.

広告

目黒 一秋  Kazuaki Meguro


株式会社テレネットグループ会長

.

■株式会社テレネット会長の目黒一秋さん。

「若い頃米国のレストランで働いて、その後日本に帰国。60歳のとき再び渡米してきました。根底にはずっと米国への憧れがありました」目黒一秋さんは、企業のカスタマーサポートやテレマーケティングを代行する(株)テレネットグループの会長。どんな半生を経て現在地に至ったのか、お話を伺ってきた。

1962年東京出身。英国大使館で通信技師として働いていた父の影響で「世界を飛び回る仕事を」と考え、大学在学中、共同通信社の記者職の内定を得た。そのまま就職するつもりだった。しかし人生とは時に思わぬ方向に導かれていくもの。高校の時仲の良いガールフレンドがいて、その彼女の父は16店舗のレストランを経営する敏腕社長。「父は公務員だったので地味に見えました。しかしその人は事業をやっていて僕には眩しく見えた」目黒さんは彼女と別れた後もその人に可愛がられた。

大学4年の夏、その社長に「新しいレストランを新宿で開くのだけどやってみる?」と誘われた。それまで飲食業界で働いたことなどなかったが経営やサービス業に興味があったので内定を辞退。資金は折半で、国庫でお金を借り、卒業後レストラン経営者としてキャリアをスタートした。仕事にも慣れ、経営は順調。そんな折毎日通うお客さんがいた。目黒さんのことを見ていたのだろう。こう言った。「飲食をやっている米国の知人が優秀なマネージャーを探しているんだけど受けてみる?」予々米国に憧れていた目黒さんは共同経営者である社長を説得して円満にレストランを辞職。1986年に渡米した。

サンノゼのレストランで一生懸命に働いた。ある時から在米日本人のための米国ビザ取得代行業を始めたので二足の草鞋になった。気が付けば6年半が経過。1993年母からの電話で事態が変わる。「お父さんが膵臓癌で、余命半年だと言われている」すぐに日本に帰国。「やってみろよ」といつでも背中を押してくれた父の看病をし、半年後父を見送った。母を一人残すのが不憫で、目黒さんは日本国内で米国ビザ取得のコンサル業を起業。しかし移民法の厳格化で「一生の仕事にはならない」と直感。その後「電話代行業が来る」とひらめき、起業。それが現在のテレネットの原型となった。特に通販受注業務で業績を伸ばし、徳島、福岡、大阪などの支社に加え、米国、フィリピンへと拡大。2021年目黒さんは米国法人を担うため30年ぶりに再渡米。2025年には米国法人をアーバインからラスベガスに移転させた。「半分リタイア、半分移住という形です。僕には暇が合わなかった。AIがコールセンターを担うのは間違いない。テレネットといえばAIコールセンターといわれるように未来を見据えて事業展開していきたいですね」

■大好きなビーチを背景に。「振り返ると僕は人の懐に入るのが上手だったと思います」
■「10坪の小さなオフィスから始めました。背中を押してくれる両親と応援してくれる妻、そしてスタッフのおかげで進んでこられました」

 

(10/30/2026)

.

.

.

.

記事をシェアする

ランキング

よく読まれています

  1. 南カリフォルニアで記録的な高潮 約100年の観測史上最高を更新、住宅や店舗が浸水(10/27)
  2. 大谷選手、愛犬デコピンの“お風呂ショット”公開 オフの癒やしの一幕が話題に!(10/30)
  3. ホーソンで女性死亡、子どもが重体 LA郡保安局が捜査(10/30)
  4. 投資でグリーンカード取得、申請費が大幅値上げへ EB-5で11月30日から新料金(10/30)
  5. パスポート、機内持ち込みバッグに入れっぱなしは危険?旅行時の保管方法に注意(10/29)
ランキング一覧はこちら >

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。