日本人初のマスターズ優勝を支えた 「早藤の一礼」。

アメリカ101 第79回

 

それはまさに「世界を駆け巡ったお辞儀」と言えるのではないでしょうか。男子ゴルフの4大メジャー大会のうち、唯一、ジョージア州オーガスタ(市/郡)にあるオーガスタ・ナショナルゴルフクラブ(GC)という同じ場所で毎年開催される、最も格式が高く、伝統があり、有名なトーナメントであるマスターズで、日本勢としては初めて念願の優勝を成し遂げた松山英樹の偉業は、菅総理大臣をはじめとして日本国内では文字通り「国を挙げて」のオメデトウの声が噴出しました。しかし国際的には、「アジア人、日本人としての初のマスターズ優勝」の松山に 匹敵するような注目を浴びたのが、そのキャディーとして松山を支えた早藤将太でした。

 

松山が4月11日の最終日、最終18ホールのグリーンで優勝を決めたパットで、手を挙げてギャラリーの歓声を浴びる一方で、キャディーという本来なら“黒子”である早藤将太が、優勝選手のキャディーの伝統行事である、手にしているピンからフラッグを記念としてキープした後、カップに戻して歓喜の波に加わるのではなく、戻し終わってから脱帽、コースに向かって静かに一礼するという場面がありました。テレビ中継をご覧になった方は、カメラが松山の動きをフォローしていたため、同じグリーン上で展開されていた、この感動的なシーンを目にすることはなかったわけですが、その後スポーツ専門ネットワークESPNがツイッターで、別のカメラが収録したこの場面を伝えると、ソーシャルメディアで瞬く間に拡散、「コースに敬意を表明する奥ゆかしい日本人らしい光景」として相次ぐ賞賛を浴びました。

 

オーガスタ・ナショナルGCは世界でも一番Exclusive(狭き門の特別な限られた)なクラブで、グリーンに溢れたコースの美しさで知られるところです。ジョージア州アトランタの東、車で2時間ほどのところにあり、ここで毎年4月に開催されるマスターズは、その名称通り世界中から選ばれた「名人」とされるプレーヤーが集う大会で、独特の雰囲気があります。プレーだけでなく、取材にあたる報道陣にとって、とくに外国人記者には、この“聖地”での1週間近くの取材は、記者としての一生の“箔付け”あるいは“勲章”となるほどです。筆者は40年を超える海外特派員生活で、ベトナム戦争からハリウッド絡みの芸能ニュースまで、さまざまな取材にかかわってきました。そしてワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルスといったアメリカ国内での現地駐在記者として、専門外のスポーツ・イベントもカバー、ゴルフも岡本綾子やタイガー・ウッズらが“主役”となったトーナメントも取材してきましたが、マスターズを取材する機会がなかったのは、今に至るまで心残りとなっています。

 

そんなマスターズに松山は2011年に初登場して以来、10回目の挑戦でようやく優勝の栄冠を手にしたわけですが、1934年の第1回大会以降、初めての「小さなドラマ」がグリーン上で展開され、それがソーシャルメディアを通じて全世界に拡散、感動を与えたのが早藤のとった「コースへの一礼」でした。日本では高校野球などで見られるように、試合終了後にグランドに一礼するのが慣習となっていますが、海外では見られない光景とあって、「早藤の一礼で目が潤んだ。リスペクト」(ベテラン女性スポーツ記者アディティ・キンカブワラ)、「素晴らしい光景だ」(「ゴルフ」誌編集委員ショーン・ザック)といったジャーナリストからや、 「アメリカはリスペクトや謙虚さについて、日本から多くを学ぶことがある」「過去数年のスポーツ界でのベスト・シーンのひとつだ」「涙が出てきた。なんてすばらしい、一流の振る舞いだ」といった一般の人々からのツイッターがSNS上に溢れています。歴史に残る松山の偉業ですが、「早藤の一礼」は教科書のテーマとして取り上げられても当然というほどの大反響を引き起こしているのは、日本にとって誇るべきことでしょう。

 

 


著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)

通称:セイブン

1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。


 

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