「世界に冠たる国」となった日本 世界に誇ることのできる「日本国憲法」

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アメリカ101 第181回

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「またまた」という感じですが、再び誕生日を迎えました。満60歳の還暦に始まる一連の長寿の節目となるいくつかの「X寿」の間に埋もれて、普通の加齢の年とあって、近くに住む身内だけの小宴で祝いましたが、まずまずの健康状態で、目出度いのは間違いないのでしょう。

その年(1940年)は、まだ大日本帝国と称していた時代の数え方である皇紀(神武天皇即位紀元)では2600年という「auspicious」(縁起の良い)な区切りの年で、同年11月には宮城前広場で昭和天皇夫妻も出席して内閣主催の「紀元二千六百年式典」が盛大に挙行されました。

しかし1937年に始まった日中戦争が長期化の様相を示しており、ヨーロッパではアドルフ・ヒトラ-の率いるナチス・ドイツの台頭で戦火が拡大する中、この年に合わせた国威高揚の絶好の機会として同時に開催を計画していたオリンピックの夏季大会(東京)、冬季大会(札幌)、そして紀元2600年記念日本万国博覧会が中止/延期となります。そして1939年9月のドイツ軍によるンポーランド侵攻、そして翌年12月には真珠湾攻撃で第二次世界大戦として拡大、1945年の戦争終結まで世界は戦火に包まれることになります。

そんな不幸な時代にあって、1940年4月から翌年3月までに生まれた筆者の世代は、「新しい日本」の児童・学生の教育を担う「6・3・3・4制」の教育制度の「一期生」でした。小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年という新しい学校教育法の下で、1947年4月に小学1年生として入学、いわゆる「民主主義教育」を当初から受けた“新人類”として育ったことになります。それだけに、筆者自身は民主主義という考え方や国家基本法としての憲法の重みが身に染みていると考えています。

日本では一時、「普通の国」論議が盛んでした。「日本国憲法の束縛を解いて、他国並みの国造りを進める必要がある」というのが趣旨で、具体的には「日本国の自衛のためには、他の国々に対抗できるような軍事力を有する必要がある」というものでしょう。そんな中で、新たな誕生日を迎えたのを機会に、「年寄りの冷や水」「老人の戯言」と揶揄されるかもしれませんが、第二次世界大戦での敗戦の直後の首都東京での混乱を、幼いながら経験した者として、日本が国家として内外に向けて「不戦」を宣言した日本国憲法前文の一部を改めて読み直すのは日本人としての「義務」だと考えて、それを記します。

「押し付け憲法」「翻訳憲法」などとの批判にもかかわらず、「真実」は「真実」であり、このような文言を有する憲法は、いまやさまざまな面で「世界に冠たる国」となった日本が、世界に誇ることのできるもののひとつでしょう。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」「われ
らは、いずれもの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の原則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

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著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)

通称:セイブン

1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。


(4/11/2023)

 

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