吉田栄作さん コロナ禍の日本よりロサンゼルスへメッセージ


カリフォルニアの太陽と海を求めて、毎年必ず夏になるとロサンゼルスに帰ってくる、俳優の吉田栄作さん。95年から3年間暮らしたLAは彼にとって第二のホームタウン。ひとたびLAに戻ると、サーフィンを楽しんだり、旧知の音楽仲間であるJeremy Buck & The Bangとのビーチタウンライヴセッションや、かけがえのない仲間との語らいなど完全オフを楽しむ。そのLAでの滞在で、毎年必ず行われるのが、ミュージシャン吉田栄作さんによる一夜だけの「LAライヴ」。ギタリストのトシ・ヤナギさんとのコラボで昨年もトーランスで屋外ライヴを行い大勢のファンが詰めかけた。

毎年繰り広げられるLAでの夏の1ページも、今年はコロナ禍の影響により延期となったが、日本より吉田栄作さんから近況を伝えるメッセージが届いた。コロナ禍の今秋もかわらず、俳優として、ミュージシャンとして、精力的に新しい作品を作り続ける情熱がメッセージにしたためられている。


 

いつもと違う秋の日本からLAにメッセージ

『 昨年参加させていただいたミツワ×LALALAイベントの野外ライヴから早いもので、約1年が経ちます。あの頃は誰もが現在のコロナ禍の状況を想像すらできませんでしたね。あの平穏な毎日がいかに貴重だったかを今回は身に染みています。アメリカで生活している仲間たちとは、常にメールや電話で連絡を取り合い、エールを送り合っています。今年も訪米を予定していましたが、断念しました。1日も早くこの状況が収束し、ロックダウン以前の日常に戻る日を心から祈っています。またLAに帰った時はまず仲間たちと笑顔で乾杯したい!その気持ちでいっぱいです。

 

日本でも緊急事態宣言が発令された日から、まるで時間が止まったような日々が続きました。全ての撮影は止まり、6月に予定していた、歌手デビュー30周年記念コンサートツアーも来年に延期になりました。毎日朝が来たら起きて、夜が来たら寝る・・・そんな時間の中で、こんな日々も貴重だと思いました。そして「One Fine Day」という曲が生まれました。配信もしていますし、吉田栄作公式YouTubeチャンネルでも配信ライヴの映像がみられますので、時間がある時に覗いてみて下さいね。

 

 

コロナ禍の撮影現場。フェイスシールド着用でドラマの撮影、舞台稽古の日々

日本では6月に入ってから少しずつ日常を取り戻しました。ただ外出自粛前とは違う、いろいろな規制やルールの中でです。撮影現場では換気や消毒が徹底され、スタッフはマスク着用、俳優たちは本番までフェイスシールドをしてリハーサル。今まで経験したことのない現場で撮影は進んでいきました。

そんな中で無事完成したドラマ「誉田哲也サスペンス ドンナビアンカ~刑事 魚住久江~」が先日放送され(10月5日にテレビ東京系で放送)、またちょうど今週10月9日から私が出演する舞台「私はだれでしょう」がスタートします。こちらもコロナ禍での上演なので、新ルールの中での日々になりますが、上演期間中もし日本にいらっしゃる方は、俳優たちの躍動をぜひぜひご覧になっていただきたいと思います。

また必ずお会いしましょう!

吉田栄作

 

吉田栄作フェイスブック https://www.facebook.com/eisaku.yoshida.78label/

インスタグラム https://www.instagram.com/eisakuyoshida_official/?hl=ja

 

吉田栄作さん出演

舞台「私はだれでしょう」 

2020年10月9日(金)〜22日(木)

紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで上演

http://www.komatsuza.co.jp/program/

 

2020年

時代の声に耳を傾けて

私は「私」を取り戻す

 

昭和20年。すべての人が心の喪失者となった。

井上ひさしが”敗戦後の日本”を舞台に忘れてはならないものを紡いだ物語。

もう一度この国を選ぶために―。

前回再演時に好評を博したキャスト、スタッフ陣でより深く挑む。

戦後75年の今、私たちは改めて問われる。

 

敗戦直後の昭和21年7月。今よりもずっとラジオが人々の傍にあった。

日本放送協会の一室からラジオ番組「尋ね人」は始まった。

15分間の放送の中では戦争で離ればなれになった人々を探す

無数の”声”が全国に届けられた。

脚本班分室長である元アナウンサー川北京子をはじめとする三人の女性分室員は

占領下日本の放送を監督するCIE(民間情報教育局)の事前検閲を受けながらも

番組制作にひたむきに取り組んでいる。

そこへ日系二世のフランク馬場がCIEのラジオ担当官として着任。

そんなある日、彼らの元に一人の男が現れた。

自称・山田太郎と名乗るその男は言う。

「ラジオで私を探してほしい」。

次々と騒動が巻き起こる中、自分自身がわからない男の記憶が

ひとつひとつ明らかになっていく――。

これは戦後のラジオ番組「尋ね人」の制作現場を舞台に

「真実」にひたむきに向き合った、向き合うことから逃げなかった

誇り高き人々の物語である。

「私はだれでしょう。だれであるべきでしょう」

 

先行きがわからないときは過去をうんと勉強すれば未来は見えてくる

――――井上ひさし

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。