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mimi/宮本典子
Noriko Miyamoto
シンガー
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昨年11月に東京で行われたDJライブに登場したmimiこと宮本典子さん。「昔の音楽仲間との何十年ぶりかのライブ。久しぶりだったもので懐かしくて・・・。今回のステージは、日本の往年のソウルバンド、ナニワエキスプレス・リーダーの清水興さんや、もんた&ブラザーズで活動したドラマーのマーティー・ブレイシーも集合して生バンドボーカルでした。クラシックソウルのナンバーを歌うと会場がすごく盛り上がりました!」。70年代にタイムスリップしたと錯覚させるようなグルーヴが、フロアを興奮の渦に包んだに違いない。
日本で初期のR&Bミュージック界を牽引、ディーバと称され半世紀が経った今もエネルギッシュに活動を続ける。銀座生まれ。江戸っ子ディーバのルーツを辿ると「もともと踊ることが好きでした。60年代にクラブが東京界隈にどんどんできて、ゴーゴー・ガールとしてクラブで踊るようになったのが始まり。その活動の中心にあったのが伝説のディスコといわれる赤坂MUGENでした」。当時MUGENでは、海外からの有名ミュージシャンもたびたびステージに登場、その中で大きな衝撃を受けたのがティナ・ターナーのパフォーマンスだったという。「ティナ・ターナーに憧れ、シンガーを目ざすようになりました。しかし、彼女のように歌いたいと憧れても、歌えるわけもない。悩みながらもソウルミュージックの世界に浸かっていきました」。ディスコ音楽からさらにジャズフュージョンなど音楽の幅を広げていき、プロシンガーとして活動。70年代半ば以降は大手音楽事務所に所属し、歌を担当したCMソングがヒット。アルバムも精力的にリリースした。「当時の歌謡曲全盛期の中で、ジャズ・ソウルの異色アーティストとして注目をされたところもあり、テレビでは洋楽要素の強い音楽番組にゲストとして出演することが多かったですね」
日本の音楽界の第一線に立ったが、いつも心のどこかでくすぶっていたのが、ティナ・ターナーへの憧れと、ソウルの本場アメリカでの挑戦だった。モータウンのシンガーだった友人からの誘いもあり1991年に渡米、彼女の繋がりでラリー・グラハムとの出会いがあり、彼のバンドにサイドボーカルで参加のほか、『ブラザーズ・ジョンソン』『サイドエフェクト』といったレジェンドR&Bバンドでも活動した。さらに実現したアメリカンドリームは、エディー・マーフィバンドへの参加。「バンドの稽古のために巨大コンサートホールを貸し切るなんて!スーパースターのケタ外れなスケールの大きさにはビックリしました」
現在LAではボーカルレッスンも主宰、5月には生徒たちによるリサイタルも予定。「音楽って自分の原動力なのはもちろんですが、聴いている人と歌の素晴らしさを共有できるのが最高に嬉しい。それは何十年経っても変わらない。次は、最高のライブをLAでも実現させたいですね!」。
(3/20/2024)
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素晴らしい‼️
仕事のスケジュール上、残念ながら
来日公演は参加出来ませんでしたが、
変わらず頑張ってらっしゃる姿に感動しました!