ロサンゼルス発展に不可欠だった石油産業 “公害”に対する地元住民の苦情に市が動き出す

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アメリカ101 第164回

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今回は、一時は世界全体の石油総生産量の約20%を占めたという一大産油地帯であったロサンゼルスをめぐる話題です。

ロサンゼルス市議会は12月2日、市内26カ所の約5000の油井で行われている石油・天然ガス掘削について、新たな掘削禁止と、現存する油井やぐら、油田掘削装置を20年以内に段階的に廃止することを定めた条例を賛成20、反対0の全会一致で採択しました。広範な大気汚染への懸念のみならず、これら施設に隣接する住民への、がんや喘息などの呼吸器関連の疾患を引き起こすのを防ぐの
が狙いです。

温室効果ガス排出削減に向けての厳しい環境保護政策でアメリカをリードするカリフォルニア州では、最近では2035年以降はガソリン車やハイブリッド車などの新車販売を全面的に禁止する規制案を決定しており、今回のロサンゼルスでの新条例制定は、この動きに拍車をかけるもの。ロサンゼルスに移り住んで、クルマで移動することが多くなり、しばらくすると、商業地区だけでなく住宅地区を含めて市内各所に石油の掘削装置と思われる設備が存在するのが目につきます。首振りを続ける掘削機の存在は異様な風景ですが、実は、住宅地開発以前に油田開発のために設置されたもので、ロサンゼルスでの“構造物”としては“先輩”にあたります。

アメリカで石油の存在が最初に確認されたのはペンシルべニア州で、1859年のことです。その後テキサスやノースダコタ、そして近年ではアラスカなどの各州が石油産出州として知られていますが、カリフォルニア州も石油産業が盛んなところです。そして1920年代から1930年代にかけてはロサンゼルス一帯では大規模な油田開発が進み、サウスベイからロングビーチにかけては海岸沿い
に無数の油井が乱立していました。ロサンゼルスでは、ラブレア・タールピットで天然アスファルトが産出するのが知られており、石油埋蔵の可能性は早くから知られていましたが、最初に石油掘削に取り組んだのはエドワード・ドヒニーという人物です。1890年に、現在のドジャー・スタジアムの南を起点に、西方に向けて約6キロにわたり続く「ロサンゼルス市油田」(Los Angeles City Oil Field)の存在が確認され、その2年後に掘削が始まり、1895年にはカルフォルニア州全体の石油産出量の半分を占めるほどの大規模な油田でした。掘削の最盛期は1920年から1930年にかけての10年間で、19世紀半ばのゴールドラッシュに匹敵するブーム状態が現出、テキサス、オクラホマなどの各州から一攫千金を夢見る労働者が殺到して、ロサンゼルスの人口は倍増、120万人に達したとのこと。ドヒニーはメキシコやコロンビアなどでも油田開発で成功を収め、その遺産としてダウンタウン西南5キロに残されている邸宅(Doheny Mansion)や、1932年に、その寄付金で建設された南カリフォルニア大学構内の同大学図書館(ドヒニー・メモリアル図書館)が残されています。

ロサンゼルスでの石油産業は、映画産業や不動産業と並んで、アメリカ第二の都市LAの発展基盤となった3つ経済活動であり、競馬用語を引用して「3つの偉業」(3連勝単式=trifecta)と呼ぶ向きもあります。そんな、ロサンゼルス発展に不可欠だった石油産業ですが、過去10年にわたり、石油掘削施設が引き起こすさまざまな“公害”に対する地元住民の苦情/批判が高まりをみせています。そして、現在では「邪魔者扱い」となり、今回の市議会での条例制定となったものです。時代の移り変わりを反映したものなのでしょうが、ウイルミントン、ハーバーゲートウェイ、ダウンタウン、サウスロサンゼルス、サンフェルナンドバレー北西地区といった地域の住民にとっては歓迎すべきものでしょう。

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著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)

通称:セイブン

1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。


(12/6/2022)

 

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