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アメリカ101 第157回
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先週半ばから日本を訪れています。新型コロナ禍があったりして、訪日は4年ぶりです。東京の有楽町から銀座にかけての繁華街一帯、熊本市や名古屋といった地方都市、そして池袋駅から電車で約30分の郊外にある宿泊先の小市街地を歩いていて、マスクを着用している人が、文字通り100%という状況を目のあたりにすると、コロナ禍終息には程遠い感じを受けます。
そんな日本を、東京から熊本までの間を新幹線で往復し、途中下車して知人や親族と会い、短い観光旅行を楽しんだ旅程の中で、「現在の日本」のanecdotal(逸話的)な印象を記してみます。
日本を訪れる外国人、特に観光客が感じる不便あるいは苦情として語られることの多かった「キャッシュ社会 日本」の激変です。歴史的な円安・ドル高とあって米ドル社会で暮らす者にとっては、このところの日本滞在は“財布に優しい〟ものなわけで、さらにドル高が予想される中で、成田空港到着直後の円への換金は急ぐことはないと判断。手元のジャパンレイルパス、クレジットカード、前回の日本旅行の際の残りの幾許かの硬貨、そして残金がある汎用IC現金カードSuicaだけで、どれほど凌ぐことができるかという“課題“に取り組むことにしました。そして、駅弁や食事代、ホテル代、ローカル交通費などの諸経費を含めて、成田到着以降、熊本滞在や途中下車の当初5日間の旅程を一切円への換金をする必要がなかったという「キャッシュレス ジャパン」を経験しました。
ちょっとした必要品のコンビニやスーパーでの買い物、タクシー代、熊本市での市電利用、熊本城入場料などは、すべてSuicaとクレジットカード決済でOKという便利さです。そして、日本の公共交通機関の車内での案内は、長年にわたり日本語と英語の録音テープが使われてきたのですが、今回は新幹線移動では、それに加えて、車掌による車内案内放送が、録音テープだけではなく、車掌による生の声での案内でした。男性や女性の車掌の案内は、決して流暢なものではなく、「日本人風の発音」ではあるものの、いずれもはっきりと聞き取れる発音で、JRの「国際化」に向けた努力のほどが伺える出来栄えでした。
そして毎回の新幹線移動ですが、小学生時代に弟と2人だけで、毎年のように夏休みには愛知県尾張地方の田舎にある母親の実家で過ごすため東海道線を何回も往復した記憶が蘇ります。紛失しないように大事に2人分の切符をポケットに入れていたのですが、「切符を拝見します」という車内検札があるごとに、緊張して切符を差し出した思い出です。
それが今回の旅では主として新幹線で、10回近くレイルパスによる指定席で移動したのですが、検札は一回もありませんでした。車掌が小さなIC端末らしきものを手にして両側の座席の様子を眺めながら通路を行き来する姿を見かけましたが、恐らく指定席利用者の座席を確認してのでしょう。自由席では、従来通り検札しているのかは定かではありませんが、検札なしは、なにやら世の中が落ち着いてきて、乗客が規則通り行動していることを前提とした上でのことであるわけで、穏やかな心にさせるものでした。
そして今回の旅での最高の経験は、旅人に対する地元の人の親切さです。熊本市では駅から離れた新市街地のビジネスホテルに宿泊したのですが、その移動は市電。事前には確認はしてあったのですが、駅前の停車スポットに向かった際、方向感覚も定かでないまま、スーツケースを引っ張り、到着したばかりの市電目指して急いで乗車したものの、すぐ方向違いに気づいた次第。その旨をワンマンカーの運転手に話すと、Suica利用分を削除して、次の停留所で降ろしてくれ、反対方向の市電に乗り換えた次第。降りてホテルに行こうと思っても、暗くなって、なおさら感覚が怪しくなり、ホテルを探すため、地図を片手で付近をウロウロ。通りすがりの中年の男性が別々の場所で、進んで丁寧な助け船を出してくれ、無事に着くことが出来ました。「肥後もっこす」の親切さを実感させられた旅の一コマでした。
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著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)
通称:セイブン
1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。
(10/18/2022)