漱石から春樹まで  朗読をきっかけに人生を語り合う会

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宮原文隆
Fumitaka Miyahara

オンライン朗読会 主宰

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■宮原文隆さん。日本に一時帰国した際の旅先で。
連絡先: f_miyahara88@hotmail.com

 「本会の狙いは文芸作品を鑑賞するというよりは朗読をきっかけに、参加者がご自分の人生体験を語って頂くことに重きを置いています。夏目漱石から村上春樹までと銘打ってジャンルは問わず、あまり知られていない作家や参加者からの希望する作品も取り上げます」こう語るのはオンライン朗読会の発起人であり主宰者である宮原文隆さん。「会を作った経緯は2020年に始まったコロナ禍です。妻以外の人と話す機会が途絶え、気が変になっていくように思いました。そこで人とのコミュニケーションをしなければという気持ちが募り、オンライン朗読会を思いついたんです」。彼はどんな半生を送ってきたのか。軌跡に迫った。

 1948年東京都三鷹市出身。戦後貿易会社を始めた父と戦地引揚者の母のもとに生まれた4人兄弟の長男。人と同じことが嫌いで抜きん出ようとするタイプで、理科の観察でも作文の時間でも全力で取り組む少年だった。11才の時、父が胃癌で亡くなってしまったことが彼の人生を大きく変えた。「それは小学6年になりたての初日に起きました。妹が小5、弟が小3、さらに下の妹が小1で、父が余命6ヶ月だと知っていたのは母と自分だけ。学校に電話がかかってきて叔母と一緒に病院まで電車に揺られていたのを覚えています」棺に釘が入るとき泣き叫んだ妹の声が体に入って、今でも忘れることはなく、それ以来葬式や墓参りを避けるようになった。性格も変わり、冷めた少年になった。

 高校卒業後は家を出て、工場の夜間シフトで働きながら大学費用を自力で貯めた。一年後大学に受かったものの、時代はちょうど学生運動が繰り広げられていた頃。ストライキばかりで大学に意味はないと感じ、3年で中退した。しかし唯一学びになったのは大学の外で行われていた読書会で、これによって本の読み方というものを会得した。

 様々な職を転々とした後、長く勤めることになったのはソフトウェアの開発会社。本人曰く「プログラミングはアートだと思います」。しかし月の残業が200時間は当たり前で体調を二度壊し、10年後に辞職。次を探していた頃リクルート雑誌の募集広告に出逢う。〝米国でソフトウェア開発をしませんか!〟米国では勤務が9時・5時で終わると早とちりして応募。2週間後にNYに行ってほしいといわれ、1981年10月に渡米した。NYで17年、シカゴで14年働き、2012年にリタイアした後は暖かい気候のこの地に引っ越してきた。

 オンライン朗読会は月1回(参加費無料)で、第3木曜日・日曜日に開催している。本の購入と予習は不要。朗読の上手さは競わない。「参加者はオンライン上で集まり、文芸作品を声を出して読み、感想を交換します。国語の時間は忘れましょうがモットーです」

■これから取り上げる作品。これまでの参加者は加州に限らず、ラスベガス・NY・シカゴ・東京からも。年齢は20代から90代までの老若男女。
■「老い」をテーマに認知症高齢者介護ホームにてフィールドワーク中。立っているのが宮原さん。

(3/25/2025)

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