イマージョン教育の現場で 自己実現を手助けしていく

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篠崎 駿 
Shun Shinozaki

グレンデール市ダンズモア小学校
(Dual Language Immersion Program実践校) 教諭

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篠崎駿さん。グレンデール市ダンズモア小学校(Dual Language Immersion Program 実践校)で小学校教諭を務めている。

 「先生になろうと思ったきっかけは二度あります。小2のとき校長であった父と一緒に仄暗い中でおたまじゃくしを観察したときと、小5のとき担任にはじき者にされて『僕ならこんな教師には絶対にならない』と思ったときです。その担任は差別的だったので、今でも反面教師のようにしています。憧れとは真反対にいる先生に出会うことによって、逆に先生という職業に興味を抱きました」。日本で小学校教諭を勤め、渡米後も現地校教諭として教育に情熱を注ぎ続ける篠崎駿さんの軌跡に迫った。

 1991年神奈川県相模原出身。年の離れた二人の姉がいる末っ子。母は四人姉妹の末っ子で、相模原には祖父母や母の姉妹が全員住んでいた。野菜を届けあい、互いの家を行き来して従兄弟と遊ぶ。そんな助け合いのなかで大きな家族に包まれて育った感覚がある。性格はナンバー2でクラスのまとめ役。「早熟だったかな」と本人談。
 中学においても、進学した高校においても、教師になるという目標はぶれず、勉強に対して真摯に取り組んだ。一度決めたらまっすぐに突き進む。教員資格をとるために選んだのは文教大学。初めて実家の相模原を離れて、埼玉で一人暮らしをした。大学4年の時、半年間休学してカナダのトロントに留学したことは、今考えれば転機になったかもしれない。トロントはいわずとしれたイマージョン教育の元祖。外国語で教科を学ぶことで、より高い学習効果が得られる教育方法を目の当たりにした。帰国後は大学を卒業し、さらに学びを深めるために大学院の教育専攻科に進学。Practical Educationを学び、課題分析の力、適切な解決策を導き出す力、批判的思考力を学んだ。

 相模原市で念願の小学校教員になり、初めて受け持ったクラスは小4。外国籍の生徒もいるなか無我夢中で3年間を走り抜けてきた。「単元計画がうまくはまった時は嬉しかったですね」けれど多忙で、常に帰宅時間は遅く、教科教育の授業準備に専念できなかった悔しさも残った。結婚がきっかけで渡米したのは2018年。

 この地で小学校教員資格を得るため、あらゆるテストを受け、パスしてきた。現在グレンデール市には日本語イマージョン小学校は2校ある。学校の教科を第二言語も使って教えることで、母語と第二言語両方の習得を目指している。学校では餅つきや節分などの文化イベントを実施し、実体験に触れながら学習する環境がある。「日本語
〝を〟教えるだけでなく、日本語〝で〟教える方法にこだわり、このポジションに巡り合いました。僕は自己実現の手助けをしたいという思いから小学校教師になりました。カナダでの経験が今につながっています」

生徒たちと触れ合う篠崎駿さん。彼を見かけると生徒がたちまち寄ってくる。子どもたちに大人気の先生だ。
リフレッシュの時間。

(3/21/2025)

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