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Maaya 麻文
シンガー・ソングライター/サイコセラピスト
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アメリカ人の音楽プロデューサー、ジョーイ・カルボーン氏と音楽契約を結んだのを機に、日本からロサンゼルスへ移り住み25年のMaaya麻文さん。以来、アコースティックをベースにしたソロ音楽活動のほか、ヒップホップ系バンドや通称Lady Dragonとしても世界各国のミュージシャンとコラボレーションするなど様々な形で音楽を続けてきた。「国や文化の異なるアーティストとコラボレーションすることでいろんな音楽に触れることができる。それにより自分の可能性を広げてくれる、音楽にはそんな魅力があります」。ヒップホップのレジェンドアーティストたちともステージで共演。アフロアメリカンな音楽カルチャーのど真ん中でパフォーマンスできたことに対して、「あぁ、自分はロサンゼルスで音楽をやってるんだな!とすごく実感しました」
現在はコミュニティでの音楽活動に力を注ぐ。「災害の被災地支援のチャリティコンサートに出演させて頂いたり、シニアセンターでの弾き語りや、教会でイベント音楽のプロデュースでは、子供たちを集めてクワイヤを作ったりもします」。夏祭りでは、「ちーむ河内音頭」のステージで会場を熱狂させるパワフルな歌声を響かせることも。
母はタンゴシンガー。父はジャズベーシストで、音楽プロデューサー。物心ついたころから洋楽ばかりを耳にしていた。中学生になると自分で詞や曲を書き始め、高校ではブラスバンドに入りドラムなどパーカッションを担当。大学時代になると、ドラムを叩き、バンドでオルタナティブロックやハードロックなどもカバー。アコースティックギターを弾き始め、ソロでも歌うようになった。
大きな転機となったのが1996年。Virgin TokyoRecordsのオーディションで2万人の中から新人アーティストとして選ばれ、同レーベルと契約。翌年にはSony Development Recordsからのオファーで事務所を移り、ソロで活動。プロミュージシャンとのレコーディングのほか、作詞作曲活動、東京都内のライブハウスで弾き語りライブなどを精力的に展開した。日本で音楽キャリアを積み上げていたその一方で、アメリカで音楽を追求したい思いもどんどん大きくなっていったという。
1999年に渡米後は、自身の世界観を映し出した楽曲制作も行った。「音楽はいつでも、私の支えになってくれました。私自身は以前に不安症を経験したり精神的に辛い症状を抱えたことがあったんです。そんな時でも悲しい気持ちもすべて音楽を通して表すことができた」。心理セラピーを受けたことがきっかけで自身も大学院で学び、現在はカリフォルニア州認定のマリッジアンドファミリーセラピストを本業としている。「セラピストとして心を癒すことが音楽とも繋がっています。音楽やセラピーを通して、たくさんの人の心が癒されて元気になるお手伝いができたらいいなと思っています」。
(3/27/2024)
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