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仲谷崚平
Nakatani Ryohei
NASA ジェット推進研究所(科学者)
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「どの土地に行っても、故郷の福岡よりいいなと思える場所はなかった。でもロサンゼルスはいいところですね」NASAジェット推進研究所(JPL)に博士研究員として在籍する科学者 仲谷崚平さんはそう語る。
1991年福岡県北九州市に長男として生まれた。3歳下に次男、7歳下に三男の弟2人がいる。父と母はともに小学校教員。生まれ育った北九州市若松区は田んぼや緑に囲まれた自然豊かな場所だった。積み木、雑誌の付録、レゴ、囲碁、絵画、サッカー、野球、ピアノと興味の対象は変遷していったが一貫して「つくること・表現すること」が好きだった。弟の付録さえも奪い「作る機会を奪っていたと思いますね」と笑った。
小学校は全校生徒1000人規模のマンモス校。この頃から宇宙に興味を持ち始めたが具体的にいつからかは思い出せない。小6のときプレステのゲームにはまり仮病を使って一日中ゲームをしたことも。1年に7〜8回学校を休んだが「親にはばれなかった」と笑う。続く中学校もマンモス校。「小・中、公立でよかったと思います。親がアウトローな人もいた。色々な人がいた。おかげでどのタイプの人とも仲良くなれます」中学の数学は初めておもしろいと思った。数学はひとつのルールをもとにして辻褄があっていく。一方で国語はいまいちルールがはっきりせず肌に合わなかった。「本は好きじゃないです。読んだのは多分ハリーポッターだけ」将来の夢はずっと見つからなかった。

東筑高校ではサッカー部に所属。「ゴール以外は失敗の連続で試合が動いていく」サッカーが大好きになった。部活の友達とは今でも仲が良い。高3の1学期まで成績は九州大学にぎりぎり受かるかなというくらい。しかし夏休み以降、自分でも期せぬ覚醒をし「化け物」に成る。高校で圧倒的な1位を堅持し、東大模試もA判定を取り続け、目標や張り合いがなく勉強がつまらないと感じるように。今までは勉強を友達との競争として楽しんでいたんだと気づいた。
大学は前期で東大に落ち、後期で阪大合格。理学部物理学科に入学した。数学を専攻にしようか迷ったが物理にしたのは「数学を道具として使う方が性に合うはず」と思ったから。大学時代は楽しくなく、ほぼ自分で勉強した。「阪大生は自分で限界を決めている人が多い印象だった」東大大学院に進学し、宇宙物理学研究室に所属した。2019年博士号取得。その後は3年間和光市にある理化学研究所で基礎科学特別研究員として研究三昧。理研の研究室は半分以上が外国人だった。日本にいるより海外に出た方が自分の研究の注目度が上がると思って海外に出ることを決意。2022年JPL着任。惑星がつくりやすい宇宙内の環境を研究している。「高1のときドラマのガリレオを見て研究者の選択肢を考えたことがあったけれど本当に自分がなるとは思いもしなかった。JPLは自由でいい場所です」。

(8/15/2023)
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