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玉井リリーアン優美
Lily Anne Yumi Tamai
UCLA アジア系アメリカ学 歴史研究者
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公園で巻き髪の息子と会話していると、見知らぬ人からほとんどの場合こう話しかけられる。「あなた達は何語で話しているの? あなたはどこから来たの? 本当の出身はどこ?」玉井リリーさんはうんざりするほどこの質問に答えてきた。彼女はUCLAでアジア系アメリカ学の教鞭をとる歴史研究者だ。人は彼女の出自にとても興味をもつようだ。
サンノゼで、日本人の母とアメリカ人の父の間に長女として生まれた。父は言語能力に優れた人で日本語を話すことができたため、家庭内の言語は日本語だった。補習校や日本語学校には一度も通ったことがない。すべて耳から学んだ。小学校に入ると学校では英語を話すようになった。仲良しのモニカの親は移民でスペイン語しか理解しなかったので、予めスペイン語で挨拶できるように準備して家に遊びに行った。他人をリスペクトするというのはそういうことだと母から教わった。だからだろうか、幼い頃から「英語ができるかできないかに関わらず素敵な人はたくさんいると知っていた」という。
高校生まで、リリーさんは一度も日本を訪れたことがない。だから日本への想いが余計に募った。UCサンタバーバラに在学中、遂に願いが叶う。JETプログラム(語学指導を行う外国青年招致事業)で採用され、1年間埼玉に住むことができたのだ。「私にとって日本に暮らすことが必要でした」その間、母も日本に一時滞在して、自分と母と祖母の三世代で過ごした日々はかけがえのない思い出になった。「アメリカで私は母親の通訳として大人とのやりとりをしていたけど、お母さんは日本に行けば何でもできるんだと初めて知った。自分の国に行けばこんなに強くなれるんだ」と。母はその後、癌で急逝してしまったが、日本で母と過ごした日々があったことが彼女を支え続けた。
リリーさんは今、UCLAでアジア系アメリカ学について学生たちに教えている。「たくさん回り道をしましたが、UCサンタバーバラで博士号をとって研究者になりました。私は勝者の歴史に興味はありません。疎外された人に興味があるんです」「Aという国を学ぶ。Bという国を学ぶ。それだけでは歴史を語れない。AとBを移動する、国境を越えた人の話が大事だと思います」彼女は、軍人とともに国境を越えて生活していく人に焦点をあてた研究を続けている。
家では、お母さんだ。日本語補習校に通う息子の勉強は「自分の挑戦でもある」と一緒に取り組んでいる。息子は「僕に話すときは英語じゃなくて日本語で話しかけてね」と言うそうだ。
(3/21/2023)
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