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アメリカ101 第139回
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このコラムで取り上げるのは、基本的にはトピカルな“現在進行形”の硬めの話題ですが、時折軟らかい内容も必要かなということで、「閑話休題」ならぬ「閑話話題」も忘れないように心掛けていますが、そんな“路線”の一環で、今回は筆者の苗字である「佐藤」をめぐる話題です。というのも、またまた「SOTO」に直面したからです。
過日近くのレストランにテイクアウトで昼食を注文、手にした料理の入った袋には「SOTO」という名札が貼ってありました。電話で注文した際は、「サトー」と名乗り、念のために「エス・エイ・エス・オー」と発音したはずでしたが、結果は「ソト」でした。
エルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)という「有名な歴史上の人物」をご存じでしょうか。日本人の間では、ラテン・アメリカ史に詳しい人以外は聞いたこともないでしょう。エルナンド・コルテスやフランシスコ・ピサロといった、馴染み深い、アメリカ大陸を征服/侵略したコンキスタドール(征服者)の一人で、16世紀前半に、現在はアメリカ領のミシシッピ、テキサス、アーカンソーなどの各州に白人として初めて遠征したスペイン人探検家です。
このため、メキシコ人、メキシコ系アメリカ人なら誰でも知っている歴史上の人物で、筆者のような稚拙な発音で「SATO」を口にすると、「SOTO」と思い込んで、そのように記すきらいがあります。アメリカには通算40年近く住んでいますが、その前半を過ごしたニューヨーク、ワシントンといった東部都市では、メキシコ系の人々が少ないせいか、「SOTO」と間違われたことはありません。ところが1990年代初めにロサンゼルスに移り住んで以来、主として電話を通じた会話で年に数回は「SOTO」を経験しています。
最初の海外勤務地はベトナム戦争の渦中にあったサイゴン(ホーチミン市)でしたが、当時は佐藤栄作が首相だったことから、取材先の南ベトナム政府関係者や現地メディアの間では「SATO」という日本人の苗字は知られており、初対面の場では、当時20歳代半ばの筆者は、冗談交じりで「実は親戚のような・・・」といった曖昧な言い方でSmall talk(世間噺)を始めて、スムーズな取材となったケースが何回かありました。当時の南ベトナムでは、ホンダやスズキの小型バイクが手頃な交通手段とあって大流行しており、同姓の特派員が何人かいて、取材でのちょっとしたBreak the ice(口火を切る)のきっかけとなっていたようです。
海外で「SATO」という大きなスペリングの看板を街角で見かけて驚いた経験があります。20年ほど前、2回目のドライブ観光旅行中のトルコ西部の田舎町でのこと、角を曲がったら正面に「SATO」という名前を看板の大きなレストランが目に飛び込んできました。すぐに好奇心で車を止めて、「何事か」と店内に入り店員に尋ねたところ、「Chateau」(フランス語で城)とのこと。たしかに「S」を「シャ」と発音すれば、確かに「シャトー」となります。そこでよく見直すと冒頭の「S」の下には、ネズミの尻尾のような小さな記号が付いていました。
後で調べると、トルコ共和国建国の父ケマル・アタテュルクが推進した、それまでのトルコ語のアラビア文字表記をラテン文字に置き換える“文字革命”の結果、独自の発音が必要なc,s,gといった文字については、それぞれ文字については、元字に小さな符号を加えることで、別の発音をすることとした結果、「S」には「サ」と「シャ」の2種類の発音文字が存在することになったようです。
生まれてから現在まで、愛着のある「佐藤」ですが、そんな苗字についてのさまざまな経験、感慨からすると、日本で論争が続く「夫婦別姓」に同感の意が強くなりますが・・・。
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著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)
通称:セイブン
1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。
(6/14/2022)