アメリカで11番目の連邦祝日が追加 『Juneteenth』、知っていますか?

アメリカ101 第89回

それは「あれよあれよ」と言う間もないほどの感じでしたが、どうでしょう。アメリカで「Juneteenth National Independence Day」(通称Juneteenth)という名称の新しい連邦祝祭日が追加となり、早々に619日に初めて祝ったという先週の動きです。 

 

 通常の感覚では、国全体のお祝いとなる新たな祝祭日を設定するとすれば、ある程度の期間を通じて世論や議会での喧々諤々の議論の末に法律制定というかたちで最終的に決定、施行という運びなのでしょう。だが、この「Juneteenth」祝日法案は、連邦上院が15日に全会一致で承認、翌16日には下院が賛成415、反対14の圧倒的多数で承認、直ちに法案をホワイトハウスに送付、ジョー・バイデン大統領が17日に署名して施行、19日に11番目の連邦祝日として祝うというスピードぶりでした。それは、この日がアメリカにおける奴隷制度廃止を実質的に画する、テキサス州ガルベストンでの1865619日でのイベントを祝う趣旨のもので、正式名称が日本語にすると「ジューンティーンス(619日)全米独立記念日」(日本のメディアでは「奴隷解放記念日」と表記)だからです。 

 

 皆さんご存じのように、1861421日から186559日まで続いたアメリカの南北戦争(英語ではThe Civil War=内戦)は、南北の経済構造の違いを背景とした奴隷解放をめぐるアメリカ歴史上唯一の内戦で、北軍のエイブラハム・リンカーン大統領による奴隷解放宣言(1862922日)で奴隷解放が実現したはずでした。しかし、まだ戦闘が続いている最中で、実質的な奴隷解放は、北軍の実効支配地域の伸張で徐々に実現していったというのが実情です。そして南軍側が正式に降伏したあとも、南部各地で戦闘が続き、とくにテキサス州は、連邦国家から離脱を宣言した11州のうち最南西端に位置するという地理的条件もあって、北軍の進駐を逃れて、他の南部諸州から多数の奴隷を引き連れて逃れた大地主たちの避難先となったため、奴隷州であり続けました。そして港町ガルベストンに北軍が進駐、軍政を敷いた一環として、1865619日に北軍のゴードン・グレンジャー少将が、テキサス州での奴隷制度廃止と黒人奴隷の解放を命じる軍令を布告したのが「Juneteenth」の発端です。 

 

 このガルベストンでの奴隷解放令で自由の身となった黒人たちが同地で、解放1周年に教会での礼拝や政治集会、パーティーなど「ジュビリー」と呼ばれるさまざまな行事で祝ったのが毎年恒例となり、年を経てテキサス州全域、南部一帯に、その慣習が拡散していきます。そして20世紀初頭の「Great Migration」と呼ばれる南部黒人の全米各地への「大移動」で「Juneteeth」は全米の黒人居住区での一大行事として定着しました。 

 

 どうして「619日」を「Juneteeth」と呼ぶようになったのは、英文法の「poermanteau」というフランス語に由来する「かばん語」だからです。「両開きのかばん」が語源で、「二つ以上の用途を兼ねた」ということから、「June」(6月)と「nineteeth」〈19日)を結合させた造成語として、単純化したわけです。 

 

 発祥地のテキサス州で1938年の州知事の布告で「解放の日」として制定されたのを最初に、全米の州や地方自治体レベルの祝日制定が相次ぎ、「Juneteenth」の連邦祝日化に積極的なバイデン大統領の就任や、昨年の警察官によるジョージ・フロイド殺害事件を契機とした公民権運動の高揚などを背景に、今回最終的に連邦祝日として制定の運びになったものです。

 


著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)

通称:セイブン

1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。


 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。