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山岸秀匡
Hidetada Yamagishi
ボディビルダー
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2007年に渡米して以来、世界最高峰のプロ・ボディビルコンテスト「ミスター・オリンピア」に10回出場、2016年には、アーノルド・クラシックで優勝するなど世界の舞台で数々の日本人初の快挙を生み出した山岸秀匡さん。昨年は40歳以上のボディビルコンテスト「マスターズ・オリンピア212」で優勝を果たした。
「2020年には一旦、一般大会への出場を引退したんです。それが3年ぶりに大会に挑戦してみたら優勝することができた。この優勝により再びミスター・オリンピアへの出場権も得ることができました。11回目の出場が叶うとは思ってもみなかったので、正直驚いています」
ラスベガスは近年、有名大会の開催やジムが増え、カリフォルニアに勝る「ボディビルのメッカ」といわれている。山岸さんは10年ほど前に拠点をロサンゼルスからベガスに移し、現在は「パワーハウスジム」を経営のほか、栄養食品の輸入販売、さらに日本でボディビルコンテストを開催している。「これまでアスリートとして培ってきたことをボディビルの世界で還元していきたい。日本の若い選手たちに世界でどんどん活躍してほしいですし、そうなると、やはり自分自身が現役で大会に出場してアスリートとしての感覚を持っていることも大事。出場するとトレーニング情報やサプリメントについてなど業界の最新情報を得られるのも大きい」
高校のラグビー部時代には、身長170センチで60キロもなかったという山岸さん。太りたいと、筋肉トレーニングを始めたのがボディビルの世界に入ったきっかけ。「ボディビルは1年365日の競技。筋肉は一日や二日で完成するものではなく、何年もかけて積み重ねて出来上がるものなんです」。山岸さんが競技生活をスタートして四半世紀。長年第一線で活躍できたボディビルの魅力は何なのだろう。
「自分がアメリカに来てプロとして全盛期だった時代は、まだソーシャルメディアが発達していませんでした。今はソーシャルメディアの弊害か、トップ選手と直接交流できるイベントが少なくなりましたが、それ以前はイベントへのゲスト出演の機会が多くあり、ニューヨークでコンテストがあって招かれれば直接足を運んでいたものです。ボディビルをしていたおかげで世界中を飛び回る貴重な経験ができた。あの時代だったからこその醍醐味だと思います」
2007年に山岸さんが日本人初の出場を果たしたミスター・オリンピアは、それまで日本人にとっては別世界の国際大会だった。そんな不可能を可能にした経験の中で生まれた言葉が、「NO LIMITS-無限-」だ。「オリンピアに出るなんて言ったら笑われるほど異次元の存在でした。なぜ自分が挑むことができたかというと、知識が無くて怖いもの知らずだったから。それが幸いして成し遂げることができたと思います。NO LIMITS!アスリートとしても、ビジネスも、何事も限界をどんどん超えていきたい」。
現在ラスベガスを拠点に、アスリートとしてのほか、栄養食品の輸入販売、2021年7月には、アイリス・カイリと共同オーナーでラスベガスに「POWERHOUSE GYM」をオープン、日本でも広く展開している。
https://phg-las.com/
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https://www.youtube.com/@hideyamagishi
(1/9/2024)
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