様々な表情を持つ 風景を探して

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斉藤おさむ
Osamu Saito

水彩画家

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ロサンゼルスを拠点に、水彩画家として活動を続ける斉藤おさむさん。1975年の渡米以前は、地元北海道で看板職人として働き、LAでは、看板職人+画家の二足の草鞋を履いた。コロナ禍以降は日々オンラインで作品を披露している。
作品はこちら https://shinia62.exblog.jp/
インスタグラム https://www.instagram.com/osamu8490/

朝日がちょうど昇るころ、サウスベイにある自宅の周りを散歩する。斉藤さんにとって大好きな時間だ。朝もやが煙る朝、夕焼けにも似たオレンジ色の朝日が昇る朝、草花が朝露にぬれる朝・・・日々、様々な表情を持つ朝の風景は、絵ごころを刺激する。「最近は特に、面白い光にすごく惹かれます。光が何かに遮られてできる逆光とか木洩れ日とか。そんな風景をいつも探しています」。アトリエの壁には、日本の田園風景や、椰子の木の佇む公園などを描いた水彩画が並ぶ。「絵には、描く人の人生やものの見方、その人そのものが自然と映し出される。そこが描くことの楽しさのひとつでもあります」

 北海道西部の蘭越町出身。少年時代から絵を描くのが好きだった斉藤さん。人生初めての就職先は、地元の看板屋だった。「あの時代、絵が好きな人は看板職人になる人も多かった。僕も、先輩看板職人のもとで下働きから始めました。その看板屋はデパートからの仕事を多く請け負っていたので、『大売出し』など看板に文字を書く仕事がほとんどでした。想像がつくと思いますが、いわゆる職人の世界。初めはひたすら掃除や、筆や道具の手入れ、看板磨きといった雑用ばかり。習うより慣れろ、技は見て盗め。そして4年が経ったころ、先輩が看板を指さして『ここに日にちを書いてみろ』って言ったんです。自分が日にちを書いた看板が取り付けられた時には嬉しくて、用事もないのにそこまで見に行ったほどです」。厳しい見習いの仕事が嫌に思うこともあったが、今は経験してよかったと話す。「社会での物の習い方、物事を習得するための忍耐強さなど、職人哲学から学んだことが長い人生に役立っています」

 日本が1960年代半ばに海外渡航の自由化を迎えたころ、斉藤さんは海外の文化に興味を持ち始めた。「28歳の時に初めてアメリカ、カナダ、メキシコを9ヶ月間旅して回りました。グレイハウンドバスに乗っていろんな町を訪れ、そこの人々や文化に触れて感じたのが、日本にはないゆったりとした時間の流れでした。精神的に余裕ができて、絵を描きたい!毎日そんな気持ちになれた。ここに住みたいと思うようになりました」

 1975年にロサンゼルスに移住。昼間は看板職人として働きながら、時間が許す限り絵を描いた。LAのアート団体主催の展示会や、日本での展覧会出展のほか、コミュニティセンターで水彩画を教えるなど精力的に画家活動を続けてきた。コロナ禍以降の現在は、自分の思うがままに、絵をこつこつと描くことを楽しんでいるという。

 斉藤さんにとって、長年愛してやまない水彩画の魅力とは。「水彩画って本当にフレッシュ。絵の具の滑らかさといい、水をたっぷりと使って描く、あの瑞々しさが好きなんですよね」。

 

数え切れない枚数を描いてきた中で、自身の中でも印象に残る作品がいくつかある。写真の作品は、友人たちと訪れたシェラネバダ山脈のビショップにて。レイクのほとりでひと休みする友人と愛犬。

(11/14/2023)

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