挫折を経てたどり着いた場所 自分の足で自分の人生を歩いてきた

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長谷川靖紘
Yasuhiro Hasegawa

NASA ジェット推進研究所 (科学者)

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科学者の長谷川靖紘さん。

「思い通りだったのは高校までで大学以降は挫折だらけです(笑)でも僕は自分を信じているし、信じてきたし、自分の足で自分の人生を歩んでこれたと思っています」パサデナにある無人探査機の研究開発を主とするNASAジェット推進研究所で、科学者として働く長谷川靖紘さんは軽やかな口調でこう語った。

職場内。天気のいい日は外で仕事をすることも。

 1982年岐阜県多治見市生まれ。名古屋の栄まで電車で約30分のこの街で、祖父は水道関係の小売店を営んでいた。お店兼自宅は商店街の中にあり、祖父母と父母、3つ上の姉と1つ下の妹に囲まれて育った。姉妹と同じく「スカートを履きたい」と言っていた時期もあったらしいが本人の記憶にはない。父は寡黙な人で商業高校教師。そろばんや簿記を教えていた。母は教育熱心な人で、長谷川さんは小学校の時から高校まで塾に通った。

 宇宙に興味をもった原点は、父と観に行った映画『アポロ13』。NASAが人間を月に送るその映画を見て興奮し、ロケットの打ち上げに興味をもった。小学4年の頃、画一的な義務教育に疑問を感じ「いつになったら社会に飛び出せるのだろう」と思ったことも。夢中になったのはボーイスカウトとスキー。中学ではサッカー部に所属するも補欠。第一希望の高校に合格後は硬式テニス部に入部し、晴れてレギュラーに。熱心に取り組んだ。その時出会ったテニスを、現在も長谷川さんは続けている。高校1年の教室で、のちの妻となる希実子さんと出会った。あいうえお順に並んだ机で、長谷川の「は」と林の「は」で席が近かった。運命は目の前に転がっているものだ。

趣味のテニスを楽しむ長谷川さん。

「将来の計画を立てるのが好きなんです」京大理学部以外に選択肢はないと思い込むほど惚れ込み、受験勉強に邁進。1浪まではすると決め、昼夜を問わず勉強したものの結果は不合格。「負け犬の人生を受け入れ、マイナスから頑張ろう」と自分を鼓舞しながら東京理科大に進学。その一方で「自分の良さを見抜けない日本を離れ、大学院は国外へ」と闘志を燃やし、先を見据えて勉学に励んだ。岐阜の県人寮に住み、六本木の高級バーでアルバイトしたことはいい思い出だ。色々な大人を見ることができた。

 海外進学に強い鈴木公教授のもとで量子力学を学んだのち、カナダのハミルトンにあるマックマスター大学院に進学した。渡航前、結婚。専攻を量子力学から天文学に変更し、惑星形成を専門として研究してきた。「〝好きなもの〟というのはこれまで自分が触れてきたもの。知らないことを学べば、新しい〝好き〟が見つかるかも」実際その通りだった。2012年9月博士号取得。その後、台湾にある天文台「台湾中央研究院」、東京・三鷹にある国立天文台での研究員を経て、2015年9月NASAジェット推進研究所に着任。NASAの命題である「ハビタブルプラネット(地球と似た生命が存在できる惑星)を見つけよう」というミッション達成のため、惑星の起源を探る研究をしている。

(8/8/2023)

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