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荒木純
Jun Araki
空軍研究所 宇宙空間推進部門エンジニア
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「激動の人生でした」オレンジカウンティー(OC)で生まれた荒木純さんは小学校入学前までそこで育ち、その後、父の地元の石川に帰った。8つ上に姉、3つ上に兄がいる3きょうだいである。
小学3年生のとき、母がガンで他界。世界がひっくり返った。「母は家族の中心で精神的支柱だった。幼少期に一心に愛情を注いでくれたおかげで、人格の土台を形成できたと思います」しかし彼の激動は終わらなかった。小学5年のとき父が単身渡米。姉が大学で大阪へ。2人の兄弟は石川に残った。隣に住む祖母から多少のサポートはあったものの、基本的には家事は兄弟でこなす生活が始まった。
地元の中学に進んだが、学校は荒れていた。両親がいないので家は溜まり場になった。警察に名前を覚えられるくらいよく補導された。しかし中学2年の夏に、思いつきで父のいるOCへ単身向かったことが転換点となる。父が間借りしていた部屋に寝泊まりし、週5日は現地校、土曜日は補習校へ通った。中学3年開始時に日本に帰国。そこから踏み外しかけた道を軌道修正し、高校受験に向けて猛勉強した。見事第一志望の高校へ合格。高校3年間は一人暮らしをしながら青春を謳歌した。
卒業後は日本を離れ、OCのコミカレに通うと決めていた。「周りと同じ流れに乗りたくなかった」のがその理由。しかし19歳のとき父から学費を含めた一切の金銭的援助を断ち切られてしまう。家を出てすぐは、荷物を車に積んで友達の家で寝泊まりした。そんな状況でも「自分ならやれる」と不思議な自信があった。安い部屋で節約し本業で学生をしながら、週6日のレストランのアルバイトで生計をたて、編入先の学費を貯めた。
2005年にUCLAに編入。航空宇宙工学科を選んだのは航空系の会社で働く父の影響が大きかったという。週末はアルバイトを続け、毎日夜遅くまで勉強し、結果、首席で卒業。大学で受けた人工衛星の授業が、のちのち大学院で電気推進の研究をするきっかけとなった。UCLA大学院では研究しながら、奨学金だけでは生活費は賄えずアルバイトを続けた。研究者の道に入ったのは、母の影響があったのかもしれない。母は大学で物理の研究をしていた。
2014年博士号を取得し無事卒業。博士論文の謝辞を書くとき、自分の人生を振り返り、涙が止まらなかった。「とにかく前に突き進んできた。険しい道だったが、辛いと思ったことはなかった」荒木さんは、母のおかげで今の自分があり、ここまで来れたと話す。その後は、一本釣りで空軍研究所へ就職。現在は、人工衛星の電気推進の数値解析を担っている。「これからの人工衛星技術の発展に貢献したいです」乗り越えてきた人の目には静かな自信が宿っている。
(3/28/2023)
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