。
Vol.1 ▶︎Nick Dの現在地 極乾のジョシュアツリー
バックパックの重さは8kg。背負って山道を走るのは思いのほか堪える。8マイル(13km)地点。早くも右脚の付け根に違和感がある。かれこれ、10年以上愛用しているグレゴリー製のバックパックには、飲料水4.5リットル、カロリー補給用のジェルやエナジーバー、ヘッドランプと予備のバッテリー。これらの基本的な装備と合わせて、地図、コンパス、ファーストエイドキット、防寒用のレイヤーなどが入っている。
ジョシュアツリー国立公園を縦断する、ジョシュアツリー・トラバースと呼ばれる37.5マイル(60km)のバックカントリーのトレイル。ルート上に水の補給場所はない。当然、エイドステーションもない。途中で怪我をしてもエスケープルートは極めて限定的だ。特に前半30kmは完全なウィルダーネス。必要なものは自ら背負っての自己完結でのチャレンジだ。数年前にフランス人の旅行者2名が道に迷い、後日死体で発見される残念な事故があった。極度の脱水状態だったという。この地域はモハビ砂漠の一部。降水量は極めて少なく、池や川と行った水源はない。あるのは、何処までも広がるカラカラに乾燥した大地だけだ。
万が一に備えて準備をするうちに、バックパックの重量は8kgを超えた。キャンプ用具など重い荷物を背負ってのトレッキングは幾度となく経験しているが、歩くのと走るのとでは、体に掛かる負担が大きく異る。分かってはいた事だが、これほど早くガタがくるとは思っていなかった。違和感は間もなく痛みに変わった。未だチャレンジは始まったばかり、先が思いやられる。
遡ること数時間前。午前1時過ぎにロサンゼルスの自宅を後にし、夜中のフリーウェイを飛ばすこと3時間。4時過ぎに今回のゴールとなるジョシュアツリー国立公園のノースエントランスに到着した。頭上には、プラネタリウムでしかお目に掛かれない様なゴージャスな星空が広がっていた。どれほど空を見上げていただろうか。近づいてくる2つの光で我に返った。携帯電話が使えるか定かでなかったため、事前に手配していたタクシーだ。
スタート地点は、公園の東端にあるブラックロック・キャンプグラウンド。40分程の移動の後、タクシーを降りてヘッドランプを装着。走り始めたのは午前5時30分。6時13分の日の出までには未だ時間があったが、東の空はうっすらと紫色に染まり始めていた。
最初の10キロは砂地の上りだ。勾配はそれほど急ではないが、砂に足を取られ走り難い。ペースが遅い分、背中のバックパックの揺れは抑えられる。ヘッドランプが照らし出す丸いエリアの輪郭が薄くなる。周囲は明るさを増し、奇妙な形をした影だったジョシュアツリーが、質感や色を伴った三次元の物体となって姿を表し始めた。
昇り始めた春の太陽が山肌を照らす。目覚めたばかりのジョシュアの木々が、両腕を天に突き上げ、気持ち良さ気にストレッチをする。気温が徐々に上がり肌が汗ばんできた。ミドルレイヤーの長袖のシャツを脱ぎ、バックパックに詰め込む。漸く6マイル(10km)。ヨーレイカピークの頂きに着いた。
カリフォルニア・ライディング・アンド・ハイキング・トレイル(California Riding and Hiking Trail:略してCRHT。第二次世界大戦終結の年、1945年にカリフォルニア州内3,000マイル(4,800km )を繋ぐトレイを作るプロジェクトが州議会で可決された。南はメキシコ国境から、北はオレゴン州境まで。シエラネバダ山脈を北上し、太平洋岸を南下する壮大な環状トレイルとなる計画だった。1960年代には州南部を中心に工事が行われたが、予算とルートプランニングの上の問題から1974年に事実上中止となった。幸いにも、すでに工事が完了していた1,000マル以上に及ぶトレイルの多くは、今も名前を変えて各地に残っている。
Nick D (ニックディー)
コロンビア、メキシコなど中南米での十数年の生活を経て、2007年よりロサンゼルス在住。100マイルトレイルラン、アイアンマンレースなどチャレンジを見つけては野山を駈け回る毎日。「アウトドアを通して人生を豊かに」をモットーにブログや雑誌への寄稿を通して執筆活動中。