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アメリカ101 第156回
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毎年10月初めに発表となる恒例の一連のノーベル賞は、今年は10日の経済学賞で全6部門で出揃ったものの、残念ながら2年連続での日本人受賞はなりませんでした。だが生理学・医学、物理、化学のサイエンス3部門そして経済学賞では引き続き欧米各国からの受賞者が占め、しかもアメリカからの受賞者が6人という圧倒的な「ノーベル賞大国アメリカ」の存在感を誇示した格好です。中でも複数回にわたり受賞するのは、これまでで5人目というダブル受賞者に名を連ねた化学賞のバリー・シャープレス教授はサンディエゴ・ラホヤにあるスクリプス研究所に所属しており、同じ化学賞を受けたキャロン・バルトッツィ教授がスタンフォード大学とあって、サイエンスの分野でも“カリフォルニア勢“の強みを顕示した結果となりました。
ちなみに、これまでのノーベル賞全受賞者の国別内訳(ノーベル賞委員会発表)は、アメリカが403人で、以下イギリス(137人)、ドイツ(113人)、フランス(72人)、スウェーデン(33人)、ロシア(ソ連も含む32人)と続き、日本は29人で7位です。その後は、カナダ、スイス、オーストリア、オランダ、イタリアなどが20人台で続き、欧米日以外ではイスラエル(13人、16位)、オーストラリア、インド、南アフリカ、中国などがランクインしています。
筆者の自宅の食器棚の一角に「ノーベル賞金メダル」が鎮座しています。もちろん本物ではないのですが、ノーベル賞の“聖地“であるスウェーデンの首都ストックホルムにあるノーベル賞博物館でゲットした一種のレプリカ・メダルで、その入手エピソードは、“ノーベル賞少年“だった筆者にとっては自慢のタネです。直径5cmで、中央にダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの胸から上の肖像が彫られており、左側にALFD NOBEL、右側にアラビア数字でMDCCXXXIIIとMDCCCXCVIと記されています。ノーベルの誕生と死去の年号です。10数年前に観光旅行でストックホルムを訪れた際に、王宮のある旧市街ガムラスタンにあるノーベル博物館で、係員のガイドが引率するグループに加わって館内を巡り、歴代の受賞者が座席の裏に直筆サインした椅子といった賞にちなんだ陳列品をながめて歩きました。そして、その最後にガイドが、「クイズに正解を答えたら賞品をあげます」と言って、「ノーベル賞を複数回受賞した人を2人挙げてください」というので、調子に乗って早速手を挙げ、「マリ・キューリー(夫人)(物理学賞と化学賞)とライナス・ポーリング(化学賞と平和賞)」と答え“ビンゴ!“となって、手にしたのが、この「金メダル」です(メダルと言っても金紙で包んだチョコーレート)。
日本人初のノーベル賞受賞者は、もちろん1949年に物理学賞を受賞した湯川秀樹博士(京都大学教授)です。第二次世界大戦で敗北、大都市の多くが焦土と化したあと、戦後復興にようやく本格的に着手し始めた時期で、それこそ戦後初めて国民がこぞって喜びを爆発させたという一大ニュースでした。当時小学生5年生で、東京文京区後楽園に近い、焼け跡に建てられたバラックに住んでいたのですが、外国からのニュースとして初めて意識し、ノーベル賞なるものの存在を知ったわけです。その後1952年のヘルシンキ夏季五輪では、戦後初の日本選手団参加であったことから、新聞記事の切り抜きを覚え、日本勢では唯一の金メダルと獲得したレスリングの石井庄八の名前は現在も記憶しています。そんなことから、筆者にとっては、ノーベル賞とオリンピックは「世界へ開く窓」だったと言えます。
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著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)
通称:セイブン
1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。
(10/11/2022)