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Vol.14 ▶︎2度目の朝日が登る前、午前5時
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ヘッドランプが照らし出す小さなエリアだけを長時間に渡って見ていると、光が当たる部分が実在する世界の全てである様な錯覚に襲われる。ゆっくりと足を前に進めると、周りにある小さな世界が自分と一緒に移動して来るような、不思議な感覚だ。 左腕のガーミンは、スタートしてから24時間以上が経過しているが、まだ、正確に時を刻んでいる。丸一日走っていれば、様々なものが日常と違うものとして見えても不思議ではない。その感覚は、例えるなら夜のダイビングだろうか。ダイビングライトの光だけを頼りに夜の海に潜る。光が届くエリアだけが、ダイバーにとっての世界である。レギュレーターから吐き出される空気の泡が無ければ、上下の感覚も怪しくなる。さすがに走っている間は、躓いてゴロゴロと転がらない限りは、上下の感覚を失う事は無い。
幸い今のところ、そこまでの状態にはなっていない。 時刻は2日目の午前5時を回っている。もう一時間もすれば、2度目の朝を迎えることになる。沈んだ太陽は、誰に望まれなくても、いずれまた昇って来る。朝日をこれほど待ち望んだことが過去にあっただろうか。 闇に覆われたトレイルでは空間の感覚同様に、時間の感覚も麻痺してくる。止まらずに、足を一歩ずつ前に出すことだけに気持ちを集中させてきた。ルートが闇に包まれてから、何人ものランナーと会った。殆どは、挨拶を交わし手短かな会話をする程度である。やがて一人になり、暫くすると、また別のランナーに遭う。殆どは一人で走っている時間であるが、その間の感覚は極めて曖昧だ。全てが僅か2~3時間の出来事のような気もする。 途中、ルートを外れて道に迷った。暗闇で味わった不安と絶望感は、生涯忘れる事は無いだろう。元のルートに戻るのに、2~3マイル余分に走った。その甲斐あってか、幸運にも山の精霊、マウンテン・ライオンに遭った。「幸運」と言えるのは、無事に生還できたからこそだ。あれから、3時間が経過している。途中のエイドステーションでは、ボランティアが温かく迎えてくれた。 曖昧な感覚が暗闇の作用によるものか、あるいは疲労によるものかは定かでない。山の闇は深い。
長い夜を乗り超え迎える二度目の夜明け
当然、景色と呼べるものは無い。ランプが照らし出す足元と、その先の僅か数メートルが存在するする世界の全てだ。転ばぬように注意しながら足を動かし続ける。水分補給をこまめにする。30分ごとに栄養補給を摂る。この単純作業を数時間にわたって繰り返す。時に、電源の入っていないテレビの前で、じっと画面を見つめている様な気分になる。時間の感覚を失うのも、当然と言えば当然だろう。 疲労は限界に達している筈だが、不思議と自覚症状は無い。眠気もない。レースに備えて様々なトレーニングをしてきた。眠気対策の一環で、午後11過ぎから翌朝まで、自宅付近を走り続けたこともある。 前方に見覚えのあるランナーの姿を見つけた。特に意識していたわけではないが、レース序盤より、幾度となく抜いたり、抜かれたりしている。最後に見たのは、まだ明るい時刻。調子が良いとは言い難い状態だった。トレイル脇で吐いていたように見えた。今はペイサーに何とか着いて行ってるという感じだ。おそらくボランティアのペイサーだろう。ランナーに付き添っているペイサーがボランティアかどうかは、端から見ていても何となく分かる。 友人同士の場合は言葉少なく、黙々と走っている場合が多い。一方、ボランティアの場合は、見知らぬランナーのペイサーを買って出るくらいなので、社交的で世話好きな人が多いのだろう。ひたすら喋りながら前を走るペイサー、その後を無言で着いていくランナー。これがお決まりのパターン。たった今、前を走っているランナーも疲労困憊で、相槌を打つのも辛そうだ。(ボランティアのペイサーには誠に申し訳ないが、)もういい加減黙っていてくれと、後姿が叫んでいるように見える。気持ちが落ち込んでいるロー状態ではそんなものだろう。敢えてペイサーなしで今回のレースに挑んだ、自分の判断が正しかったと思えた一瞬であった。
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(5/31/2022)
Nick D (ニックディー)
コロンビア、メキシコなど中南米での十数年の生活を経て、2007年よりロサンゼルス在住。100マイルトレイルラン、アイアンマンレースなどチャレンジを見つけては野山を駈け回る毎日。「アウトドアを通して人生を豊かに」をモットーにブログや雑誌への寄稿を通して執筆活動中。