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佐藤誠子
Seiko Sato
Pasadena City College日本語講師
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この取材をきっかけに写真家の友人に撮ってもらった1枚。笑顔が眩しい。
「たくさんの質問が飛んでくるときほど楽しい。対面授業に戻って生き返りました」パサデナ・シティ・カレッジで日本語を学ぶ学生は、実に15才から50才までと幅広い。初級日本語のクラスには25人、中級日本語のクラスには21人の学生がいるという。「1クラスにつき週5時間の授業をしています。忙しいけど充実していますよ」
授業風景。そこで何かを得ようと学生は熱心に聞き入っている。「アメリカの学生はばんばん質問してきます。それが楽しいんですよ」
岡山で生まれ育った佐藤誠子さんの原点は、進路選択の際に父親が放ったある一言だった。「ひとつのことを究めなさい」今もずっと心に残っている。彼女にとってそれは〝言語〟だった。佐藤さんは早稲田大学に進学し、社会言語学を学ぶ。言語は常に変わるものであり、社会情勢や国際交流から言語がどんな影響を受けているのか、夢中になって学んだ。一旦は東京で就職を試みるも、大好きな父親が脳梗塞で倒れ、半身麻痺になったことをきっかけに、就職は辞めて大阪大学大学院の言語学に進んだ。家族で父親のサポートをしながら、時には岡山から大阪までバスで通い、院生室で寝泊りしたこともあった。その後は岡山の高校で英語教師になった。「自分の英語力に磨きをかけなければと思ったんです」思い立ったら行動がはやい。彼女はカリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)に留学し、そこで2つ目の修士号を取得する。凄まじい達成力だ。
日本に帰国後、今度は香川高等専門学校と香川大学で英語講師として教鞭をとった。もちろん岡山から通った。気が付けば教育の分野でキャリアを積んで、実に10年の歳月が流れていた。
七五三の時の写真。アメリカで育つ息子にとって、ひらがなは絵に見えることがわかった。そのことをヒントに授業で絵を使ってひらがなの説明をしている。子育ては学習者の視点を思い出させてくれる最たるもので、すべてはつながっていると感じるそう。
結婚を機に渡米したのは2015年のこと。子育てもあり、生活に慣れるのに必死だった。しかし行動力のある彼女がそのままで終わるはずがない。パサデナの日本語学校で、大人を対象に日本語を教え始めた。そこで出会った先生に「大学で教えてみたら?」と言われたことがきっかけで今に至る。「日本では学生の学習意欲をどう高く引き上げるか、それが課題でした。でもアメリカは違う。日本語への学習意欲はもうある。いかにその学習意欲に応えられる授業をし、さらに学習意欲を高めるにはどうしたらいいかをいつも考えています」「私は言語が大好きです。言語を学ぶ楽しさを伝えたい。言語を学ぶことできっと人生はさらに豊かなものになるから。学習者の視点を忘れず、言語についてもっと追究していきたいです」5年前に他界した父の言葉は今も彼女の中にある。教育を語る彼女の目は、実にきらきらしている。彼女のもとで日本語を学ぶ学生は、彼女の愛とパワーに包まれながら大きく成長していくに違いない。
休みの日は家族と一緒に自然の中で過ごすことが多い。この写真は、夏に長野県上高地へ行ったときのもの。「家族の協力がなければ今の仕事はできていないので、家族には感謝の気持ちでいっぱいです」
(10/18/2022)
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