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  • VOL.5 「やらなくていい仕事」を持たない    

    2020年01月20日 本田直之

    無意味に重い通勤カバン・・・まず「ハコ」から変えてみる   あなたは、「カバンを持つから荷物が増える」と考えたことはありますか? わたしは数年前から実験的にカバンを持ち歩くことをやめました。最初はあえての取り組みでしたが、今ではどうしてもMac Bookを持たなければいけない時以外、手ぶらで移動しています。   そうなってみて気づいたのは、テクノロジーの進化に伴い、スケジュール帳やカメラ、各種資料などのペーパー類がスマホの中に収まったこと。そして、仕事に必要だと思ってカバンに入れていた多くの物がじつは安心するための材料だったということです。   「もしかしたらいつかいるかも・・・」と準備していた物のほとんどは、結局、いつになっても必要ありませんでした。 そんな風に実験してみて初めて得られる気づきというのは、カバンの持ち歩きに限らず、たくさんあります。 もちろん、仕事のステージによっては荷物をたくさん持たなければいけない時期もあるので、全員が試すのは難しいかもしれません。 それでも週に一度でもいいので、カバンを持たないで出かけてみるという実験をしてみてはどうでしょうか。 カバンという小さなハコを使った実験だとしても、その効果は確実です。制約をかけ、日常を自分なりの実験の場に変えていくことによって「本当に必要なモノ」と「じつはいらないモノ」が見えてきます。   カバンの例のように、一度「カバンを持たない不安」という小さな制約をあえて課すことで結果的に「カバンがなければ仕事ができない」という大きな制約を取り除くことだってできるのです。   その「書類」に「会議」、何のためのもの?   仕事をしているとなかなか切り離すことのできない作業が、書類作りや会議への出席です。しかし、本当に必要なのかどうかわからないまま慣例的に作っている報告書や用途が明確ではない資料。現状を報告し合い、次回の開催予定を決めただけで終わる会議。やらなくてもいい仕事のはずなのに・・・と感じながら従っている人も多いはずです。   そこで大切なのは、その「書類」や「会議」が何のためにあるものか?という本質を見失わないことです。 この種類や会議はどんな成果を出すために行われているのか・・・それを問い続けながら、枠の中で改善を試みていきましょう。 そうやって作り出した時間を投資し、自分の力を高めていくことで会社の仕組みとの向き合い方を変えることができます。   労働時間が「ムダに長い」人に共通していること   同じフロアには定時に帰る同僚がいるのに、自分はいつも残業続きで自由に使える時間を作ることもできない・・・ もし、あなたがそんな風に悩んでいるなら、仕事の仕方を見直していきましょう。   時代は刻々と変化し、今はどれだけ作業をしたかではなく、どういう成果を出したかが重視されるようになりました。長期間同じ会社で働けば出世が約束されていた高度経済成長期の頃と同じ発想では、会社に使い捨てられることになるからです。   経験上、労働時間の長い人には、2つの共通点があります。 1つ目は、成果につながらない作業の多さと、それにかける時間の長さです。 例えば、プレゼンテーション用の資料を用意する際、あれこれ頭を悩ませながら時間をかけ、見た目に優れたレジュメを作ってしまう。しかし、それが成果に結びつくかと言えば、そうではありません。 重要なのは、伝えるべき内容の質であり、見た目やそれを作るために費やした作業時間ではないからです。 むしろ、成果から逆算するという視点に立つと、その作業は残業や徹夜までして取り組むべきものではないことが少なくありません。 ところが、長時間労働に悩む人の多くは「作業時間=仕事」だと思い込んでいるのです。 もし、あなたが今、「自分だけが残って毎日のように残業をさせられている」と感じているなら、必ず費やしている作業のどこかにムダがあるはずです。まずは、そのムダを洗い出し、作業そのものとそれにかけていた時間を捨ててしまいましょう。 人は時間があると思うと、効率化の努力や工夫をしなくなり、やらされ感を持ちながら、どんどん時間をかけるようになります。この法則を理解し、あなた自身の仕事の仕方、取り組み方を見直していくべきです。   周りに合わせた「ダラダラ仕事」をゼロにする方法   では、ムダな長時間労働から解放されるには、どうすればいいでしょうか。 まず考えられるのは、プレゼン資料の例のように、仕事のゴールを見据えて「この作業は何のために行うのか?」を問う習慣を持つことも大切です。 それだけで、「やるべきこと」と「やるべきではないこと」のタスクの選択がはっきりとし、ムダを減らすことができます。   また、「時間があるだけ、時間をかけるようになる」という法則を逆手に取るのも効果的です。つまり、あえて「時間がない状態」にしておくのです。   そのために効果的なのが、締め切りを設け、成果から逆算した時間割を作ること。 スウェーデンの海運会社の例のように、外部の環境の変化によって「仕事は午後5時に終わらせなければならない」という締め切りができるだけで、人は変わっていきます。   もし、外圧がないのなら自分で「定時に帰る」というルールを設けて明日から実行していきましょう。それまでのムダが浮き彫りとなり、時間内に終わらせるための試行錯誤が始まります。すると、やらされ感がなくなり、作業は成果のための仕事となっていくのです。   「出世のためにがんばる」ことはなぜ無意味なのか   仕事をする中で評価され、出世することには何の問題もありません。 しかし、出世がゴールになってしまうのは大きな問題です。出世やそれにともなう役職の変化はあるハコの中での出来事であって、一般社会から見ると大きな価値を持つものではないからです。   例えば、転職市場に出た50代の男性が、再就職支援のエージェントに「僕は部長でした。部長ならできます」と自己紹介したとして、それにどんな意味があるでしょうか? たしかに大きな会社ほど、「このプロジェクトに対して予算を引き出すためには、あの人に言って根回しをして、あの役員に働きかければうまくいく」「この企画を通すには、あの部長を押さえておかなければいけない」といったスキルが昇進のカギになるケースがあります。しかし、それはその会社というハコの中でしか通用しないスキルです。 他の会社に行ったら、その役員、その部長はいませんから、その人の持つ調整能力も能力として評価されません。   本人が同じ会社でずっと働いていくつもりならば役立つスキルと言えるかもしれません。しかし、終身雇用制の崩れた今、本人のポジションがこの先も守られる保証はないのです。   ですから、結果として出世が付いてくる人と、「課長になりたい」「部長になりたい」という目標でやってきた人では、外からの評価がまったく異なります。   会社員という守られた立場だからできること   社内での出世を第一に考えることには別の弊害もあります。 それは、減点されないようにどうしても守りに入ってしまうことです。   変化はしてきているものの、多くの日本の会社の人事評価は今も協調性を重視します。そういった組織でマイナスの評価を受けないようにするには、下手にチャレンジなどせず、上司に言われた通りにしている方が確実です。そして、そういうタイプが会社にとって扱いやすい社員として評価され、中間管理職までの道は開けやすい仕組みにもなっています。   本田直之 レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役。シティバンクなどの外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画し、常務取締役として2001年にJASDAQへの上場に導く。現在は、日米のベンチャー企業への投資育成事業を行う。ハワイ・東京に拠点を構え、年の5ヶ月をハワイ、3ヶ月を東京、2ヶ月を日本の地域、2ヶ月をヨーロッパを中心にオセアニア・アジア等の国々を旅しながら、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送る。これまでに訪れた国は60ヶ国、200都市を超える。 著書にレバレッジシリーズをはじめ、「50歳からのゼロ・リセット」等があり、著書累計300万部突破し、韓国・台湾・中国で翻訳版も発売。   2月は『「やらなくていい仕事」を持たない・2』を掲載します。※本コラムは『何を捨て何を残すかで人生は決まる(青春新書)を引用しています。    

  • VOL.4 必要以上のつながり」を持たない  

    2019年12月20日 本田直之

    「付き合いの良さ」で変えられることは1つもない   講演会の懇談会の場で、ビジネスパーソンから悩み相談を受けることがあります。その際、必ず話題に上がるのが、会社での人間関係の悩みです。実際、新聞社や大手転職サイトが発表した「社会人の悩みベスト10」といったランキングでも、人間関係は上位ベスト3に入っています。   しかし、わたしにはこの悩みが、ピンときません。相手と合わないのなら、無理して付き合わなければいい、そう思うからです。世の中の人全員と付き合う必要はありません。そして、あなたが今いるコミュニティにずっといなければならない理由も義務もありません。   移動は自由です。 どこで働くか、どこで暮らすか、誰と一緒にいるか1人でいるか。100人いれば、100通りの働き方、暮らし方があります。周りがどう思おうと、自分にとってプラスになると思えば、転職も、起業も、東京を離れることも、地方から出てくることも、海外に拠点を持つことも、旅を始めることも、躊躇すべきではありません。   例えば、あなたが狭いコミュニティでの付き合いを優先して、ストレスを溜め込んだ人から相談を受けたら、どう答えるでしょうか。きっとそのコミュニティから一旦、距離を置いてみることを提案するはずです。   すると、悩んでいる人は、「そこに居続けなければ自分の価値が失われる」「戻った時にポジションがなくなる」といった我慢の理由を打ち明けるかもしれません。でも、その理由は無理してまでコミュニティにとどまるに足るものでしょうか。   何かトラブルが起きたら、自分のこととして捉えず、「トラブルを抱えた人から相談を受けている」と考えるよう勧めています。一歩引いてみることで、問題の本質が見えてくるものです。   付き合いの良い自分に息苦しさを感じている人は、自分には自由に行動する力がないと思い込み、弱気になっているだけ。わたしにはそんなふうに感じられます。周りに合わせて生きたところで、何も変わらず、何も始まらず、ストレスにしかなりません。   しがらみを捨てて出て行っても、困ることなど何もないはずです。   押し付けの「協調性」はもういらない   わたしは学生時代、通信簿に必ず「協調性がない」「自己中心的な傾向がある」と書かれてきました。当時は「良くないことかな」と考え込んだこともあります。でも、「無理して居心地の悪い場所に長くいる必要はないんじゃないか?」と思うと、どうしても周りと合わせることができませんでした。   そんなわたしが、就職活動を始めてすぐに気づいたことがあります。それは「自分は大企業は合わない」ということです。理由は「自分で自分の仕事が決められないから」。   大企業では「マーケティング職に就きたい」と思って学生時代から準備してきた人と、何となく就活をくぐり抜けた人が、同じ新入社員として扱われます。   その後、本人の希望とは違う部署に配属されることもあれば、会社のやり方を覚えるための異動もあります。しかもせっかく慣れてくたところでまた別の部署へ移されることもめずらしくありません。「最初の就職はくじ引きのようなもの」と言われるほど働く前から自分がどんな適正を持っているかを正確に知ることはできません。とはいえ、まったく自分で決められないまま、会社の指示に従って流されてしまうのもおかしなことではないでしょうか。   ところが、そのおかしさを「おかしい」と感じさせない仕組みがあります。 それが学校で教えられる「協調性」です。多くの学校は協調性のある従順な従業員を育てることを得意としています。先生の言ったことが正しく、評価されるのは素直に言うことを聞く生徒。成績の良し悪しも、教わったことを記憶して答えることのできる能力で決まります。   そういう環境で育った人は、自然と個性よりも協調性を大事だと思うようになります。協調性を重んじる人は変化に対応する力が乏しく、自ら動き出し、何かを作り出すことに慣れていません。   もし、今、勤めている会社が来年なくなったら? 業界そのものが年々縮小していったら? スティーブ・ジョブスもこう言っていました。 「世間の常識にとらわれてはいけない。それは、他人の考えに従って生きることになるのだから」と。 変化に対応しなければいけない時代に重要になるのは協調性よりも自分で判断していく力です。 ただし、誤解してほしくないことが1つあります。 それは、「協調性を持たない=人間性が良くない」ではないこと。 人間性の悪い人は何事もうまくいきません。 大事なのは、他人に流されず、自分で物事を判断できる人間でいながら、お互いの個性を尊重するようなあり方。 仕事も人生も1人では何も成し遂げることはできません。叶えたい理想がある人ほど、必ず仲間の助けが必要になります。その時、人間性ゼロの嫌なヤツになっていたら、仲間と一緒に幸せも遠ざけてしまうことになるでしょう。   本物の人脈を作るたった1つの手段   本物の人脈というのは、一緒に成長できる仲間、パートナーとのつながりです。勤めている会社で作ることのできるつながりは、上司や部下といった関係を起点とした「縦の人脈」が中心になります。しかし、本物の人脈となるのは出会いの時点で、肩書きも関係なく、利害関係もない「横の人脈」です。   そんな横の人脈を作るのに最も適している場が、異業種の人たちが集まる交流会です。そこで大切なのが、会に参加するか、自分で会を立ち上げるかということです。 自ら会を主催する時には、とにかくテーマを絞り込むといいでしょう。   ひとりの時間への投資が未来のあなたを作る   今の時代、何かを調べたいと思った時、片手にスマホがあればすぐに答えを知ることができます。これは20年前でには考えられなかった環境です。   ところが、その圧倒的な便利さの一方で失われてしまった時間があります。 それは、「ひとりで立ち止まって考える時間」です。 例えば、自分の生き方や仕事についての悩みも、ある程度はネットが答えてくれます。そんな環境で過ごすうち、わたしたちは流されがちになってはいないでしょうか。 何かを決める時、すぐにネットの向こうに答えを求めるのは、外部のアドバイザーに判断を求めるようなものです。 専門家の見解や法的な解釈が必要なケースや口コミを参考にするのもいいでしょう。 しかし、最後に決めるのは自分自身だということを忘れないでください。 一番怖いのは、なんとなく流されたまま生きてしまうことです。 朝起きて会社に行き、与えられた仕事をこなす。 夜、会社を出て家に帰り、食を済ませて、床につく。 休日は家事や雑事を片付け、ぼんやりと過ごすうちに終わってしまう。 忙しい日々では当たり前になりがちな時間の使い方です。 こうした時間は、たとえ、ひとりで過ごしていても物事を考える時間にはなっていません。物事を考えるための「ひとりの時間」は、あえて作らなければ取れないものです。 ところが、忙しさの中で、「人生には大きな変化はない」「日常には終わりがない」と勘違いしていると、人は立ち止まって考えることをサボりがちになってしまいます。   でも、もしあなたの身に明日、何かが起きるとしたらどうでしょう。 手遅れになる前に、ひとりの時間を作り、「この生活を続けていったら10年後の自分はどうなるか」を想像してみましょう。日常がいかに大切な時間か気づくはずです。   流されたままになっている時間を有効に使うようにして、「この人はおもしろそうだな」「会ってみたいな」と思われるような人になれるよう投資していきましょう。 インプットが少ない人はアウトプットも少なくなり、周りに貢献する機会が減っていきます。 ひとりの時間を大切にし、あなたの興味の赴くまま、本を読み、旅をし、地場のおいしいものを食べる。そういった1つ1つの経験がインプットとなり、あなたの未来への投資となるのです。   10年後は遠い未来のようで、確実に今日という日とつながっています。   本田直之 レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役。シティバンクなどの外資系企業を経て、バックスグループの経営に参画し、常務取締役として2001年にJASDAQへの上場に導く。現在は、日米のベンチャー企業への投資育成事業を行う。ハワイ・東京に拠点を構え、年の5ヶ月をハワイ、3ヶ月を東京、2ヶ月を日本の地域、2ヶ月をヨーロッパを中心にオセアニア・アジア等の国々を旅しながら、仕事と遊びの垣根のないライフスタイルを送る。これまでに訪れた国は60ヶ国、200都市を超える。 著書にレバレッジシリーズをはじめ、「50歳からのゼロ・リセット」等があり、著書累計300万部突破し、韓国・台湾・中国で翻訳版も発売。   1月は『「やらなくていい仕事」を持たない』を掲載します。※本コラムは『何を捨て何を残すかで人生は決まる(青春新書)を引用しています。    

  • Vol.12 グローバルな世界に羽ばたいた子どもたち  

    2019年12月19日 教育コラム

     私は、補習授業校や学習塾の教師として、長年にわたり、多くの子どもたちと出会いました。すでに帰国した子どもが多いですが、アメリカで生活している子どももいます。また、社会人として活躍している子ども(もう大人ですが…)もいます。 一人ひとりの活躍ぶりを把握しているわけではありませんし、特に小学生や中学生の時に帰国した子どもの進学した大学や就職先は分かりませんが、ある日、帰国生中学入試を受験して、有名大学附属の中高一貫校に入学した教え子が、テレビ番組の天気予報のコーナーに大学生として出演している姿を見かけ、その成長ぶりに感激しました。小学生ながら、TOEFLで高スコアを上げるという抜群の英語力がありましたので、それも活かして活躍していることと思います。最終回となる今回は、アメリカ育ちの子どもたちの大学卒業後の様子について触れさせていただきます。  補習授業校の高等部卒業後に帰国し、帰国生大学入試を受験して大学に入学した子どもたちの中には、大学卒業後、外資系企業に就職したり、日本の企業の海外駐在員としてアメリカに派遣されたりして、海外で習得した英語力を活かして活躍しているケースが目立ちます。特に、近年、増加している英語の授業のみで学位取得ができる=卒業できるという英語プログラムを設置する大学・学部の卒業生は、このような傾向が強いです。ただし、英語ができるだけで帰国生の就職が有利という時代ではなくなっているのも実情です。国内の学校での英語教育が進んでいることもあり、また、大学入試や次期学習指導要領で英語の四技能(読む、書く、聞く、話す)の力が重視されることも相俟って、国内生の英語力の向上が目立っているからです。企業は、日英バイリンガルであることはもちろんですが、どのような専門的な知識や技能があるかを判断するようになっています。大学を選ぶ際に、何を学ぶかが重要です。  補習授業校の高等部卒業後に、アメリカの大学に進学した子どもたちの多くは、アメリカの企業に就職しています。日英バイリンガルであることが評価され、日系企業で活躍しているケースも目立ちます。ただし、アメリカの企業は、日本の企業以上に専門的知識や技能を重視します。つまり、大学で学んだ専門分野(専攻)が、就職の有利不利を左右しますし、年俸にも影響します。私の教え子でも、サイエンス、エンジニアリング、ビジネス系の専攻で学位を取得した生徒が有名企業に就職し、好条件で採用されています。  また、アメリカの大学卒業後に日本で就職しているケースもあります。日本の企業の中には、日英バイリンガルで専門性の高い人材を獲得するために、アメリカの大学の学生に対する求人を積極的に行っているところもあるからです。私の娘は、サイエンス系の学位を取得し、アメリカの企業に就職しましたが、現在は、その企業の東京支社に勤務しています。  このように、アメリカで育った子どもたちは、グローバルな世界に羽ばたいて活躍しています。今後も、地球の未来のために頑張ってくれることを期待しています。     本コラムの連載は今回で終了します。これまでお読みいただきましてありがとうございました。本コラムが読者の皆様のお役に立てることを願っています。私自身にとっても、これまでの補習授業校教員として、また、在外子女の父親としての経験を振り返る良い機会になりました。  

  • Vol.9 高校生で帰国する子どものアメリカ生活

    2019年12月04日 教育コラム

    高校生で帰国する子どもたちは、小学校高学年や中学校の時に来米していることが多いです。現地校では、来米してすぐにミドルスクールやハイスクールに通学することになりますので、とても苦労することが多いです。日本の中学校で英語教育を受けただけでは、現地校での学習には通用しません。また、英会話の学習をしていたとしても、先生や同級生とのコミュニケーションはできても、授業を聞いて理解したり、教科書を読んだりすることは難しいですし、テストを受験したり、リポートを書いたり、発表したりすることは至難の業でしょう。中には、授業についていけないだけでなく、学校生活にもなじめず、不登校になってしまう子どももいるくらいです。  もちろん、日本人や外国人が多い学校では、ESLのクラスに所属して、英会話や授業のサポートを受けることもできます。ただし、ESLのクラスの授業は、通常の授業とは異なりますので、学年相応の教科の知識が修得できないこともあります。また、日本人が多い学校では、現地校内で日本語を使ってしまうことが多くなり、英語力がなかなか伸びないというケースもあります。  一方、小中学生で帰国する場合と異なり、帰国するための準備も大変です。高校に入学や編入学する際に、入学試験の受験が必要で、現地校での学習に加え、帰国時の受験対策をしなければならないからです。高校一年生の四月に入学する場合には、中学校での履修内容から出題される国語、数学、英語の三教科の試験が課されます。社会や理科が課される高校もありますが、試験がなくても、高校入学後を考えれば、勉強しておく必要があります。また、作文や小論文が課される高校もあります。高校一年生の四月を過ぎて入学する場合は編入学となります。国語、数学、英語の三教科の試験が課されることが多いですが、地歴・公民や理科、作文や小論文が課される高校もあります。出題範囲やレベルは、その高校の履修内容と同様です。つまり、帰国までに、入学・編入学試験に対応できる日本語での学力を修得しなければならないのです。  また、日本の高校に入学・編入学するためには、現地校でのクレジットの取得も重要です。九年生修了は高校入学の条件ですし、編入学のためにも、日本の学年に相当する現地校の学年を修了していることが条件になります。つまり、現地校の授業に出席し、課題や宿題を提出し、テストで合格点を取ることが必要です。そのためには、家庭での学習時間の確保が重要となりますが、一方で、帰国のための日本語での学習時間も確保せねばなりません。  せっかくのアメリカでの中学校や高校生活を謳歌しようと、スポーツや音楽、ボランティアなどにも参加することは良いことですが、このような活動のためにも時間が取られ、睡眠時間が削られている子どももいます。しかし、海外で苦労したことによって、大学進学や就職で、素晴らしい成果を挙げ、活躍している子どもたちが目立っています。頑張ってほしいです。 次回は、『ますます多様化する高校卒業後の進路について』を掲載します。   令和元年度の補習校の授業日も、もうすぐ残り四分の一となります。月日が過ぎるのが早く感じます。年が明けると、年度末と新年度のための校務に追われ、もっと月日が過ぎるのが早くなるでしょう。ただし、子どもたちの成長を感じることができることを嬉しく思います。    

  • 11/1~3 バイリンガル就職イベント ボストンキャリアフォーラム 2019

    2019年10月23日

    ディスコ インターナショナル主催の日本語・英語のバイリンガルを対象とした転職・就職イベント『ボストンキャリアフォーラム 2019』が11月1日(金)~3日(日)にBoston Convention & Exhibition Center (BCEC)にて開催。 現在241社の企業・団体が参加を予定。ボストンキャリアフォーラムの大きな特徴は開催期間中に複数回の面接が行われ内定を獲得できる可能性がある。 そのため参加者の多くは事前応募を行い、企業との面接予約を持って参加する。優良企業と直接出会える貴重な機会だ。 参加無料。登録・詳細は下記サイトで確認を。

  •   Vol.3 補習授業校を継続することの大切さ  

    2019年09月20日 教育コラム

     前回述べました通り、補習授業校を継続することは、特に永住や米国市民の子どもにとって、とても難しいことですが、継続することによって、とても大切なものを得ることができます。  まず、日本の同年齢の子どもに準ずる日本語力が修得できます。中学部を卒業すれば、二、一三六字の常用漢字すべてを学ぶことになりますので、日本で生活するのに支障がなくなります。高等部を卒業すれば、常用漢字の読みに慣れ、主な常用漢字を書き、文や文章の中で使うことを学習しますので、日本語をより使いこなすことができるようになります。  また、補習授業校では、文法、敬語、ことわざや慣用句、故事成語なども学びます。文法を学ぶことは正しい日本語を使うことに有効ですし、敬語を修得することは日本で大学生や社会人になった時にはもちろん、海外でも日系企業で働いたり、日本人と接したりする場合に必ず役に立ちます。  永住者や米国市民の子どもは、英語は第一言語として使いこなしているでしょうから、補習授業校の中学部や高等部を卒業すれば、バイリンガルとなれると言えるでしょう。 しかし、日英両語が使いこなせるだけでは、真のバイリンガルとは言えません。日本の文化を理解していること、特に日本的な礼儀作法を身に付けていることが必要です。  補習授業校では、授業はもちろん、運動会や入学式、卒業式などの学校行事や、音楽会、文化祭、生徒会活動などの諸活動も、日本の学校に準じて行っています。このような学校行事や諸活動を通じて、起立、礼などの礼法、朝や帰り、始業や終業時の挨拶など、日本的な礼儀作法が自然に身に付いていきます。  このように、補習授業校を継続することによって、社会でも通用する日本語力と日本的な礼儀作法が修得でき、真のバイリンガルとなることができるのです。そして、真のバイリンガルとなった子どもたちは、グローバルな世界で活躍しています。  私の教え子たちも、アメリカの大学を卒業してアメリカに進出している大手日系企業に勤務している生徒、日本の大学を卒業して世界四大会計事務所のような外資系の企業に勤務している生徒など、さまざまな分野で活躍しています。 私の娘も、アメリカの大学を卒業し、アメリカの医薬品関係企業に就職しましたが、日英バイリンガルということで、現在は東京支社に勤務しています。  すべての生徒に共通しているのは、幼少時より高等部まで補習授業校を継続したこと、日英両語が堪能であること、日本的な礼儀作法を修得していることです。 さらに、大学で身につけたエンジニアリング、コンピュータサイエンス、バイオケミストリー、マネージメントなど専門分野を活かして活躍しているということです。現在、補習授業校で学んでいるどもたちが、彼らに続くことを期待しています。   次回は、『一時帰国で学ぶ日本語と日本文化について』を掲載します。       サンディエゴでの生活も5カ月半となりました。妻はミシガン、娘は東京という、各々時差のある地域で暮らしていますが、ラインでコミュニケーションを取っています。お互いが寂しいながらも、元気に生活しているのを確認でき、嬉しく思います。    

  • Vol.1日英バイリンガルを目指した子育て  

    2019年09月18日 教育コラム

    米日教育交流協議会の丹羽と申します。この度、Weekly LALALAの誌面にて在外子女教育について書かせていただくことになりました。  私は1999年に妻と娘(当時2歳9か月)とともに来米し、20年間アメリカに暮らしています。その間、カリフォルニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州、ミシガン州にて在外子女教育に携わってきました。補習授業校や学習塾の教員を務めるとともに、日本の里山を活動拠点とする日本語・日本文化体験学習プログラム「サマーキャンプ in ぎふ」の企画・運営、帰国生のための学校選びや受験に関するサポートなどを行っています。ここでは、このような在外子女教育現場で感じたことを書かせていただきます。  また、私は在外子女の父親でもあります。娘は2歳9か月でカリフォルニア州に来て、すぐにチャイルドケアセンターに通園し、その後、プレキンダーからからハイスクールまで現地校に通学し、アメリカの大学の自然科学部を卒業しました。卒業後はテネシー州の医薬品系企業に就職し、現在はその企業の東京支社に勤務しています。また、娘は幼稚園から補習授業校に通学し高等部を卒業しました。アメリカの大学で専門的な学問(神経科学)を修得し、日英バイリンガルであることが医薬品系企業への就職と日本での勤務につながっています。ここでは、娘の子育てを通じて感じたことも書かせていただきます。  前置きが長くなりましたが、今回は娘の話題を続けさせていただきます。娘は来米直後に通園したチャイルドケアセンターでは言葉が通じないにもかかわらず、ほどなく馴染むことができ、知らないうちに英語を話せるようになりました。家庭でも時々英語を使うようなこともあり、その発音の良さに驚いたものです。また、アメリカのアニメもよく観ていましたし、休日には現地のお友達ともよく遊んでいました。しかし、両親とは日本語で会話しており、日本語力について何の問題も感じませんでした。また、日本の絵本を読んだり、日本のビデオを観たりしたりするのが大好きでしたので、日本語力の低下を心配することもありませんでした。しかしながら、日英バイリンガルとなるためには補習授業校での学習は重要であり、娘を入学させるのはもちろん、私自身も補習授業校で教えたいと考え、サンフランシスコ補習授業校で教員を務めることになりました。  そんな中、娘が現地校のキンダーの時にニュージャージー州に転居することになりました。私はプリンストン補習授業校に勤務することになり、娘も同校の幼稚園に入園しました。親子ともに、週末は補習授業校という生活が始まったのです。今思うと、この生活があったからこそ、娘を日英バイリンガルに育てることができたのです。ただし、この生活を継続することは簡単ではありませんでした。    次回は、『現地校と両立し、補習授業校を継続することの難しさについて』を掲載します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今年3月に約15年間暮らしたミシガン州を離れ、カリフォルニア州サンディエゴで生活しています。毎日のように青空が見られる快適な気候や海が近いこと、日本食が豊富なことを嬉しく思っています。しかし、25年ぶりに一人暮らしとなり、不便で寂しい思いもしています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  • 10/4&5 バイリンガル就職イベント 会計・コンサル業界限定 キャリアフォーラム開催

    2019年09月11日

    ディスコ インターナショナル主催の日本語・英語のバイリンガルを対象とした転職・就職イベント『Accounting & Consulting Career Forum 2019』が10月4日(金)、5日(土)にパサデナ・コンベンション・センターにて開催される。 今回は30年以上のキャリアフォーラム史上初の業界に特化したイベント。 ブースやインタビュールームで企業説明、面接が行われ、期間中に内定が出ることも。 企業と求職者のネットワーキングタイムや20分の企業ショートセミナーもあり、企業研究の場としても最適だ。 登録・詳細は下記サイトで確認を。

  • 米国式で仕事呼び込み 重ねるキャリアアップ アニメーター 古賀 理恵 / Rie Koga  

    2019年02月21日 ロサンゼルスで暮らす人々

     昨年11月にNetflixが立ち上げたアニメスタジオでシークエンスディレクターとして働く古賀理恵さんは、在米7年になる。これまで日米で数多くの有名アニメスタジオに勤めてきた。「アメリカでは転職であっという間に人が散っていく。シリーズの途中でも辞めていくので最初はびっくりした」というが、今では「自分のやりたいことを優先するのもありかな」と思うように。これまで途切れることなく仕事に恵まれている状況を「仕事をするたびに知り合いが増えていって推してくれたり、横のつながりでオファーが来ている」と分析する。  アニメを見て育ち、漠然とアニメに関わる仕事がしたいと思うようになった古賀さん。アニメ好きの理由を「実写ではなく、命を持たないものを使って人を楽しませるところに面白さを感じた」と明かす。短大卒業後にアートスクールへ。CGアニメという新しい分野にハマり、在学中に作ったショートアニメがきっかけでアニメ制作会社のサンライズに入社した。アメリカのTVアニメを見始めたのはこのころだ。「平面的な止め絵と実際にエピソードを見たときの印象が全然違う」。スピード感も早く、緩急をつけて面白く作る脚本の細やかさも目に止まり、「いったいどうやって作っているんだろう?」と、がぜん興味が湧いた。  その後、トロントに留学し英語とCGを学んだ。現地で就職したかったが、2年の経験では「英語力も知識も足りず」に帰国。地元の福岡でアニメも作るゲーム会社に就職した。5年間働き、貯金もできたので「リベンジ」のため2011年に渡米。なんのつてもなく「ほとんどのアニメ会社がある」という理由でLAへやってきたが、ここで参加したワークショップが転機となりニコロデオンへの入社が決まる。ここで人気作品『ニンジャタートルズ』のストーリーボードアーティストを務め、ディレクターになった。5年後にシリーズが終わると、声をかけてくれたドリームワークスTVへ。1年間ディレクターを務めた後、今度はディズニーTVでTVシリーズ『ベイマックス』の制作に4カ月間携わり、昨年からNetflixに入社した。  各分野のビッグネームをヘッドハントしている現チームでは「刺激をすごく受けるし、作る楽しさが倍増する」と、充実の日々を送っている。「まだまだ日本に帰るつもりはない」と語る一方、「何かしらの形で日本の作品に携わるのも面白い」という。作品を作る際には「いかに感情移入できるキャラクターを作れるか」を心がけ、自分の作品を見る人には「純粋に楽しんでほしい」と思う。どこの国にいようとも、作品に対する姿勢は変わらない。

  • ルーツへの思い ビジネスに反映   起業家 ジョー・ジツカワ / Joe Jitsukawa  

    2019年01月09日 ロサンゼルスで暮らす人々

     日系二世のジョー・ジツカワさんが現在手がけるビジネス、その土台となった企画、いずれもアジア系アメリカ人というバックグラウンドが大きな役割を果たしていると言える。  初めて試みたビジネスはeBayでのショップ。カレッジに通っていたある日、学校に残ったり普通に就職してもさまざまな経験を得る機会が限られてしまうと思い、友人とビジネスを開始しようと決めた。そしてeBayでおもちゃなどを売り始め、6カ月後には月8000ドルを稼ぎ出すように。しかし共同経営していた友人が辞めたことで、ジツカワさんもカレッジへ戻った。転機となったのは、カレッジを卒業した11年前。「たまたま、楽しむためだけ」に友人たちと始めたYouTubeでのスケッチコメディ動画の作成・投稿だった。  「アジア系アメリカ人に対する認識を変えたかったから」と撮り始めたこれらの動画では、他の人種がアジア人を笑うのではなく、自分たちでアジアの風習やステレオタイプについてのインサイドジョークを取り上げて笑いにすることで、文化の違いなどを伝えようとした。また、もともと内輪で楽しむことを目的に始めたことだったため、役者など人を雇ったことはない。スタッフ全員が友人という環境で、コメディのほか、ジツカワさんたち友人同士や本当のカップル、夫婦がさまざまなことについて素で語り合ったり、ゲームをするようすをアップ。始まりは偶然だったが、これは今流行りのリアリティ番組そのものの形態だ。このようにスタートしたJust Kidding Films(JKF)は、「真の友情やリアルストーリーを見るのが好きで、フェイクに飽きているオンライン世代」に広く受け入れられた。現在では登録者数16万を超える人気YouTubeチャンネルとなり、いつの間にかオンラインビジネスとして大成功を収めた。  これによって得た資金を元手に始めた複数のフードビジネスはいずれも日本またはハワイアンジャパニーズに関連し、中でもsip matchaは「アメリカを正しい抹茶について教育したい」と始めたもの。アメリカで生まれ育ったジツカワさんだが「僕はアメリカ人だけど日本がほめられるとうれしいし気分がいい」と話し、日本に対する愛情は深い。近ごろ、「アジア人だっていうことはクールだ」と子どもに言われて驚いたことがあるという。「まだ差別も感じるアメリカ社会だけど、祖母の時代に比べればずっと良くなっていると思う。この国では人種によっては『お手本であれ』というプレッシャーを感じることなく生きているけれど、僕らアジア人にはそれがあり、責任感もある。だから、そのためにいつもお手本であろうと努力している」。

  • 最新アートメイク マイクロブレーディングで 理想の眉を手に入れる!

    2019年01月09日 さとみるくの Happy Life Style

    名前: 藤原 ひとみ(Hitomi Fujiwara Bernhardt)   職業: コスメティックタトゥーアーティスト兼Fuji Cosmetic Inkオーナー   ハマっていること: 始めたばかりなのですが絵を描く事です。時間がある時はクラスに行き、忙しい時はiPad を使用しています。いつも夢中になって時間を忘れてしまいます。   健康とキレイの秘訣: 基本的には野菜中心の食生活で、蒸したり、オーブンで焼いたり、塩分も控えています。 WHOLE FOODSのオーガニック系のスキンケアグッズを使い、朝はお湯だけの洗顔をしています。時々知り合いの所でマイクロニードリングをしています。   お気に入りの場所: 娘のお気に入りの公園、マンハッタンビーチ、冬の札幌、可愛いカフェ(お酒が飲めないので笑)   アメリカに来た理由: 旅行でロスに来た時、周りの目を気にせず生き生きして過ごせた事から、アメリカでの学問や就職、移住に興味を持ちました。   最近感動したこと: Appleペンの凄さ。奥が深くてアップルのクラスに行っています(笑)サングラスをかけた1歳の娘に投げキッスされた事。   尊敬する人: 父。いつも寛大でどんな事があっても批判せず、見守ってきてくれました。そんな父に育てられた私は失敗しても色んな事に挑戦する事ができました。父は一人の職人として会社を設立し、その後従業員さん達からも慕われる経営者でありました。私も一技術者かつ会社設立者、そして親として改めて父の偉大さを感じます。今私があるのも、憧れてきた父の姿を見てきたからだと思います。   夢: 現在、乳がんで失った乳輪をアートメイクで描いていく技術があります。サロンで募金を集め、傷を抱えた方にアートメイクを通してお手伝い出来る環境を作って行きたいです。   メッセージ:最新眉アートメイクのマイクロブレーディングで、非対称の眉、薄い眉などでお困りの方、それぞれに合わせた技法で染料を使い眉を一本一本描いていきます。 (個人差はありますが2〜3年持ちます)仕上がりだけでなく、オーガニック染料や医療で使う機材を使い安全面にもこだわっています。 技術面では常に自分の限界を作らず世界の最新テクニックを習得しています。 Fuji Cosmetic Ink 3537 Torrance blvd Torrance 90503 Phone: +1 (310) 756-0864 Website: www.fujicosmeticink.com FB: @fujicosmeticink IG: hitomi_fujiwara_bernhardt

  • 色重ね「世界一に」 メイクアップアーティスト 樫部 翔一郎 |Shoichiro Kashibe  

    2018年11月14日 ロサンゼルスで暮らす人々

     ハリウッド映画やテレビの撮影、ファッション、ビューティーがあふれるロサンゼルス。そんな街で暮らして6年になる樫部翔一郎さんは「きれいなものを作ることにすごく執着心がある」と話す。人の顔というキャンバスに美しい色を重ねていくメイクアップアーティストが生業と聞けば、それも納得がいく。現在、『SOLSTISE』や『XIOX』といった雑誌撮影やダイヤモンドのブランド『Rahaminov Diamonds』などの仕事を中心に活動中だ。  メイクの仕方は、シーズンやディレクターのイメージによって変わってくる。現場へ行ってからコンセプトを聞くこともあるが、インスピレーションに従うようにと言うカメラマンもいるという。「そういうときは、モデルの顔などを見てどういうメイクが合うかとか、何を着るかによって方向性を決めます」。モデルの顔や服を見ていると、色やどういうブレンドをしたら合うかが、映像となって頭に浮かんでくるのだという。「スッと、来ます。イメージが沸かなくて苦労したことは今のところはないです」と話す。  幼少期から漠然と米国に住みたいというあこがれを持っていた樫部さん。中学3年のころ、ハリウッド映画『死霊のはらわた』を観て「お金を貯めてアメリカへ行って、絶対に特殊メイクの仕事をしようと思った」といい、洋楽と洋画に大きな関心があった学生時代、英語はクラスでトップになるほどだった。高校卒業後はフィリピンに半年間英語留学。翌年からLAのメイク専門学校で4カ月間勉強し、帰国後に東京へ。造形工房に就職して念願の特殊造形の仕事を始めた。しかし、自分が本当にやりたいこととは違うと徐々に感じ始め、24歳のときに再びLAへ戻ってきた。3年ほど前、特殊メイクからビューティーのメイクアップに路線をスイッチするきっかけとなったのが、子どものころから好きだったペイント。「特殊メイクよりも着色していくほうが自分は力を発揮できると思ったんです。自分は美的感覚が人と違う感じがあると思うので」。また、ペイントがメイクの助けになることもあるという。「二次元の世界でリアルに物を作れると、三次元の世界でも簡単に作れる。メイクに反映するというか。造形でもボディペイントでも応用が効く」と、趣味もスキルアップにつなげるポジティブさを持ち合わせる。  メイクアップ業界の中でも特に競争率の高いというLAで生き残っていくことは、至難の業だ。メイク専門学校の同級生でも、未だこの仕事を続けているのは樫部さんを含む数人だけ。「長男じゃないのに〝一〟をもらった」という名前には、両親の「飛翔しナンバーワンになってほしい」という願いが込められている。その期待に応えるべく「世界一のメイクアップアーティストになる」ため、これからも色を塗り重ねていく。

  • 先人への感謝、 若人に継承 協同システム 羅府中央学園主任 蔡 正子|Masako Chai  

    2018年09月27日 ロサンゼルスで暮らす人々

     1948年に創設された全米最大規模の日本語学校、日本語学園協同システムのロサンゼルス羅府中央学園で教える蔡正子さんは、結婚相手の米国留学を機に渡米した。まずは語学学校に通い、間もなく日系商社に就職。5年間勤めた後に子どもができたため退職した。渡米前は生活できるのだろうかと不安だったが、いざLAに来てみると住みやすくてすぐに馴染めたという。「当時から日系人の方々には感謝の気持ちがありましたね。先人が築いた日系社会に対する信用などを継承していきたいと思いました」と振り返る。中央学園との関わりは5歳になった子どもを入学させたことが始まり。当初は父兄として学校運営に携わると同時に、代理教師として中央学園で働いていた。その後、中高等部で教師となり主任を務め、パサデナ学園の主任を経て再び中央学園主任となり、現在まで現役で教鞭をとる。  日本人、日系人どちらの子どもも通う中央学園では、レベルの異なる子どもたちを一緒に教えなければならないため教える側の苦労は大きい。親が新一世の場合や渡米間もない子どもたちは読み書きも会話もできるが、「日本語がわからない子に教えるのは一番大変」だという。親の日本語能力によって子どもの日本語能力もかなり変わってくるため、学校側は個々のケースに応じて対策を取る。また、全員が動機があって入学するわけではなく、「日本語に興味のない子が騒ぐのが大変です(笑)」。モチベーションやレベルの違う生徒をどう指導するか教員同士で話し合い、使用する教材を代えるなどの対応をしながら、外国語としての日本語を文化や料理、歌から覚えさせるといった工夫をし、日本の言葉と文化を伝える授業を行う。苦労も多いが、蔡さんは「子どもたちの成長を見ることや、卒業生の子が学校に入ってくるとまたうれしいし、日系二世、三世が多いのもうれしいことです」と充足感を見せる。  蔡さんが日本語教育以外にも重視するのが、感謝の気持ちを教えること。中央学園の校舎は父兄たちの協力により建てられた。「当時の日本人のがんばりがすごかったんだと思う」と話し、生徒たちには常に「この学校は日系人の先輩たちが建てたのだからきれいにしなさい」と言う。「若い人たちにそういったことを後々のために伝えて、今あるものは自分たちのためだけではないということを考えてほしい」。日本語教師として、米国で暮らす日本人としての思いだ。「日系社会もいろいろ分かれている。一人でも多くの日系人に日本語学校に参加してもらって、日本語はもちろん、日系人が残していった財産、歴史を共有してほしい」。これからの時代を担う若人たちへの願いを胸に抱きながら、今日も教壇に立つ。

  • 夢与えるため夢実現へ 映画監督 大澤 広暉|Hiroki Ohsawa  

    2018年09月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

      人に夢を与えたい。大澤広暉さんが映画監督を志す理由だ。LAのニューヨーク・フィルム・アカデミーで映画製作を学び、昨年修士課程を修了した。しかし一度は玩具の会社で営業職に就いている。  子どものころからおもちゃが好きで、日本の玩具を原作にハリウッドで映画としてリメイクされた作品でもある『トランスフォーマー』にあこがれた。そんなバックグラウンドから、就職活動は玩具業界と映像業界に絞った。 日本の大学では映像製作は副専攻だったが、自主制作で撮った作品が賞を獲った。   それでも映像関連ではなく玩具会社に就職したのは「小さいころから〝ストーリーを伝える〟ことが好きだった。 自分が一番使える映像というツールでストーリーを伝えるか、おもちゃというツールを使ってストーリーを伝えるか。どちらも夢を与えることには変わりない」と考えたからだ。  2年間働いた玩具会社を退社し、米国へやってきたのは4年前。会社の商品のプロモーション映像を自社制作したいとも考えていたが、映像専門の学部出身でもなければプロとしての経験もないため実現が難しく、「学生時代に賞を獲ったといっても趣味のレベルは超えられない」と痛感し、映像制作を一から学び直そうと思ったのがきっかけだった。それまで海外志向はまったくなかった。 しかし「世界の中で最高の映画の教育が受けられるところはやはりハリウッド。どうせなら海外に行くのもありかなという思いがそこで芽生えました」。  LAでの進学先は「入学翌日からユニバーサルスタジオ内でカメラの講習を受けるような非常に実践的」かつ休み返上のカリキュラムが売り。さらに外国人学生が多く、結果としてワールドワイドなコネクションを作ることができたという。 「能力を認めてくれると元クラスメイトがスタッフとして呼んでくれたりして、いろいろな経験ができるのは将来にもつながる。ワールドワイドな視点も強み」。 学生時代は監督した作品がノミネーションを含めて複数受賞したが、卒業したからといってすぐに映画監督になれるわけではない。   現在はウェブシリーズの番組の監督や、監督兼プロデューサーとして日本語教材の映像コンテツに携わるなど、異なる活動を通じて基盤を築いている最中。 いずれは自分の作品で日本の文化を発信していきたいと考えている。   米国で足下を固め、そのバックグラウンドを背負った状態で日本へ行き、最終的には日米をまたいで仕事をするのが目標だ。 夢を与えるために、まずは自分の夢実現を目指している。

  • アメリカ旅行を楽しんでます!

    2018年06月07日 さとみるくの Happy Life Style

    名前: 樽井 優 (Yu Tarui)   職業: 学生   ハマっていること: ジム、ビーチバレー。   健康とキレイの秘訣: 体を動かすこと。   お気に入りの場所: ハワイ。   アメリカに来た理由: 就職に必要な英語力を身につけるため。   最近感動したこと: パイロットになるまでの過程と仕事。   尊敬する人: 自分に自信を持って何事にも向き合える人。   夢: 外資系客室乗務員。   メッセージ: 旅行大好きなのでアメリカ国内旅行を存分に楽しんでいます! インスタグラムに写真を載せてるのでもし参考になれば見てください@yurilyty

  • 目指すは「世界王者が就職先」 プロボクサー 富岡 樹|Izuki Tomioka  

    2018年05月17日 ロサンゼルスで暮らす人々

     日本ボクシング界が今アツい。これまでの歴史上で浮き沈みはあったものの、昨年は9人が世界のベルトを奪取し、井上尚弥や村田諒太といった大スターも誕生。そして、ここLAにはその仲間入りを目指して厳しい練習に励む若き日本人ファイターがいる。  富岡樹さん、21歳。日本ライト級ユース初代王者(2度の防衛後ことし3月に返上)、日本Sフェザー2位、東洋太平洋13位のホープだ。日本を拠点に練習していたが、「本場で学びたい」とLAを訪れるようになった。汗を流すのはハリウッドにあるワイルドカード・ボクシング・クラブ。数々のチャンピオンを生み出してきた名門ジムである。  2つ上の従兄弟の影響を受け、11歳でボクシングを始めた。高校卒業間際には大学ボクシング部からの誘いもあったが「始めたときからプロになろうと思っていた」ため進学はせず。「プロ入り前に一度本場を体験したい」と、初めて訪米した先がLAだった。トレーナーと契約し、右も左も、ことばもわからない地で40日間ジムへ通った。帰国後、19歳でプロ入りすると3連勝。昨年8月には日本ユース王座(日本プロボクシング協会による要請で新設された24歳以下のA級ライセンス保持者で争うタイトル)決定戦に勝利し、初代ライト級王者に輝いた。  そのタイトル戦を控えていた昨年6月に再訪米した。以来、リベリア出身の元五輪代表サミー・スチュワート氏に師事。「足を使って距離を取ってパンチをもらわない、自分のやりたいボクシングとサミーのボクシングが合うんです」。先月、3度目の渡米を果たし、現在もジムでトレーニングを積みながら心身ともに鍛える日々を送る。「最初は空港から出るのにも何時間もかかったりして。たった1人でことばのわからないところに来たというのは、生活の上でもボクシングの面でも活きています。試合直前も、最後の一番の自信になるのは1人で米国に行って、世界レベルの強い選手とスパーリングをやってきたという部分ですね」。  人々が開放的でフレンドリーなLAが気に入っている。人目を気にせず過ごせる自由さも快適だ。「プロ入り前に初めて来て、プロになるからには世界チャンピオンになりたくて、そのためには本場のアメリカの空気を感じたいというのがあって。その本場の空気を感じられたのがLAでした」。  ボクシングを始めたときから、一番の目標は世界タイトル。「23歳までに」とする理由を「大学卒業して就職するぐらいの年には、と思って。就職先は世界チャンピオンと言えるようにしたい」と説明する。「いつかこっちで活躍できるような選手になるので、LAの皆さんにも応援していただきたいです」と話す笑顔の奥に、強い意思と自信がうかがえた。次戦は7月29日、大阪で東洋太平洋王座戦に挑む。