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  •   Vol.3 補習授業校を継続することの大切さ  

    2019年09月20日 教育コラム

     前回述べました通り、補習授業校を継続することは、特に永住や米国市民の子どもにとって、とても難しいことですが、継続することによって、とても大切なものを得ることができます。  まず、日本の同年齢の子どもに準ずる日本語力が修得できます。中学部を卒業すれば、二、一三六字の常用漢字すべてを学ぶことになりますので、日本で生活するのに支障がなくなります。高等部を卒業すれば、常用漢字の読みに慣れ、主な常用漢字を書き、文や文章の中で使うことを学習しますので、日本語をより使いこなすことができるようになります。  また、補習授業校では、文法、敬語、ことわざや慣用句、故事成語なども学びます。文法を学ぶことは正しい日本語を使うことに有効ですし、敬語を修得することは日本で大学生や社会人になった時にはもちろん、海外でも日系企業で働いたり、日本人と接したりする場合に必ず役に立ちます。  永住者や米国市民の子どもは、英語は第一言語として使いこなしているでしょうから、補習授業校の中学部や高等部を卒業すれば、バイリンガルとなれると言えるでしょう。 しかし、日英両語が使いこなせるだけでは、真のバイリンガルとは言えません。日本の文化を理解していること、特に日本的な礼儀作法を身に付けていることが必要です。  補習授業校では、授業はもちろん、運動会や入学式、卒業式などの学校行事や、音楽会、文化祭、生徒会活動などの諸活動も、日本の学校に準じて行っています。このような学校行事や諸活動を通じて、起立、礼などの礼法、朝や帰り、始業や終業時の挨拶など、日本的な礼儀作法が自然に身に付いていきます。  このように、補習授業校を継続することによって、社会でも通用する日本語力と日本的な礼儀作法が修得でき、真のバイリンガルとなることができるのです。そして、真のバイリンガルとなった子どもたちは、グローバルな世界で活躍しています。  私の教え子たちも、アメリカの大学を卒業してアメリカに進出している大手日系企業に勤務している生徒、日本の大学を卒業して世界四大会計事務所のような外資系の企業に勤務している生徒など、さまざまな分野で活躍しています。 私の娘も、アメリカの大学を卒業し、アメリカの医薬品関係企業に就職しましたが、日英バイリンガルということで、現在は東京支社に勤務しています。  すべての生徒に共通しているのは、幼少時より高等部まで補習授業校を継続したこと、日英両語が堪能であること、日本的な礼儀作法を修得していることです。 さらに、大学で身につけたエンジニアリング、コンピュータサイエンス、バイオケミストリー、マネージメントなど専門分野を活かして活躍しているということです。現在、補習授業校で学んでいるどもたちが、彼らに続くことを期待しています。   次回は、『一時帰国で学ぶ日本語と日本文化について』を掲載します。       サンディエゴでの生活も5カ月半となりました。妻はミシガン、娘は東京という、各々時差のある地域で暮らしていますが、ラインでコミュニケーションを取っています。お互いが寂しいながらも、元気に生活しているのを確認でき、嬉しく思います。    

  • 10/4&5 バイリンガル就職イベント 会計・コンサル業界限定 キャリアフォーラム開催

    2019年09月11日

    ディスコ インターナショナル主催の日本語・英語のバイリンガルを対象とした転職・就職イベント『Accounting & Consulting Career Forum 2019』が10月4日(金)、5日(土)にパサデナ・コンベンション・センターにて開催される。 今回は30年以上のキャリアフォーラム史上初の業界に特化したイベント。 ブースやインタビュールームで企業説明、面接が行われ、期間中に内定が出ることも。 企業と求職者のネットワーキングタイムや20分の企業ショートセミナーもあり、企業研究の場としても最適だ。 登録・詳細は下記サイトで確認を。

  • 米国式で仕事呼び込み 重ねるキャリアアップ アニメーター 古賀 理恵 / Rie Koga  

    2019年02月21日 ロサンゼルスで暮らす人々

     昨年11月にNetflixが立ち上げたアニメスタジオでシークエンスディレクターとして働く古賀理恵さんは、在米7年になる。これまで日米で数多くの有名アニメスタジオに勤めてきた。「アメリカでは転職であっという間に人が散っていく。シリーズの途中でも辞めていくので最初はびっくりした」というが、今では「自分のやりたいことを優先するのもありかな」と思うように。これまで途切れることなく仕事に恵まれている状況を「仕事をするたびに知り合いが増えていって推してくれたり、横のつながりでオファーが来ている」と分析する。  アニメを見て育ち、漠然とアニメに関わる仕事がしたいと思うようになった古賀さん。アニメ好きの理由を「実写ではなく、命を持たないものを使って人を楽しませるところに面白さを感じた」と明かす。短大卒業後にアートスクールへ。CGアニメという新しい分野にハマり、在学中に作ったショートアニメがきっかけでアニメ制作会社のサンライズに入社した。アメリカのTVアニメを見始めたのはこのころだ。「平面的な止め絵と実際にエピソードを見たときの印象が全然違う」。スピード感も早く、緩急をつけて面白く作る脚本の細やかさも目に止まり、「いったいどうやって作っているんだろう?」と、がぜん興味が湧いた。  その後、トロントに留学し英語とCGを学んだ。現地で就職したかったが、2年の経験では「英語力も知識も足りず」に帰国。地元の福岡でアニメも作るゲーム会社に就職した。5年間働き、貯金もできたので「リベンジ」のため2011年に渡米。なんのつてもなく「ほとんどのアニメ会社がある」という理由でLAへやってきたが、ここで参加したワークショップが転機となりニコロデオンへの入社が決まる。ここで人気作品『ニンジャタートルズ』のストーリーボードアーティストを務め、ディレクターになった。5年後にシリーズが終わると、声をかけてくれたドリームワークスTVへ。1年間ディレクターを務めた後、今度はディズニーTVでTVシリーズ『ベイマックス』の制作に4カ月間携わり、昨年からNetflixに入社した。  各分野のビッグネームをヘッドハントしている現チームでは「刺激をすごく受けるし、作る楽しさが倍増する」と、充実の日々を送っている。「まだまだ日本に帰るつもりはない」と語る一方、「何かしらの形で日本の作品に携わるのも面白い」という。作品を作る際には「いかに感情移入できるキャラクターを作れるか」を心がけ、自分の作品を見る人には「純粋に楽しんでほしい」と思う。どこの国にいようとも、作品に対する姿勢は変わらない。

  • ルーツへの思い ビジネスに反映   起業家 ジョー・ジツカワ / Joe Jitsukawa  

    2019年01月09日 ロサンゼルスで暮らす人々

     日系二世のジョー・ジツカワさんが現在手がけるビジネス、その土台となった企画、いずれもアジア系アメリカ人というバックグラウンドが大きな役割を果たしていると言える。  初めて試みたビジネスはeBayでのショップ。カレッジに通っていたある日、学校に残ったり普通に就職してもさまざまな経験を得る機会が限られてしまうと思い、友人とビジネスを開始しようと決めた。そしてeBayでおもちゃなどを売り始め、6カ月後には月8000ドルを稼ぎ出すように。しかし共同経営していた友人が辞めたことで、ジツカワさんもカレッジへ戻った。転機となったのは、カレッジを卒業した11年前。「たまたま、楽しむためだけ」に友人たちと始めたYouTubeでのスケッチコメディ動画の作成・投稿だった。  「アジア系アメリカ人に対する認識を変えたかったから」と撮り始めたこれらの動画では、他の人種がアジア人を笑うのではなく、自分たちでアジアの風習やステレオタイプについてのインサイドジョークを取り上げて笑いにすることで、文化の違いなどを伝えようとした。また、もともと内輪で楽しむことを目的に始めたことだったため、役者など人を雇ったことはない。スタッフ全員が友人という環境で、コメディのほか、ジツカワさんたち友人同士や本当のカップル、夫婦がさまざまなことについて素で語り合ったり、ゲームをするようすをアップ。始まりは偶然だったが、これは今流行りのリアリティ番組そのものの形態だ。このようにスタートしたJust Kidding Films(JKF)は、「真の友情やリアルストーリーを見るのが好きで、フェイクに飽きているオンライン世代」に広く受け入れられた。現在では登録者数16万を超える人気YouTubeチャンネルとなり、いつの間にかオンラインビジネスとして大成功を収めた。  これによって得た資金を元手に始めた複数のフードビジネスはいずれも日本またはハワイアンジャパニーズに関連し、中でもsip matchaは「アメリカを正しい抹茶について教育したい」と始めたもの。アメリカで生まれ育ったジツカワさんだが「僕はアメリカ人だけど日本がほめられるとうれしいし気分がいい」と話し、日本に対する愛情は深い。近ごろ、「アジア人だっていうことはクールだ」と子どもに言われて驚いたことがあるという。「まだ差別も感じるアメリカ社会だけど、祖母の時代に比べればずっと良くなっていると思う。この国では人種によっては『お手本であれ』というプレッシャーを感じることなく生きているけれど、僕らアジア人にはそれがあり、責任感もある。だから、そのためにいつもお手本であろうと努力している」。

  • 最新アートメイク マイクロブレーディングで 理想の眉を手に入れる!

    2019年01月09日 さとみるくの Happy Life Style

    名前: 藤原 ひとみ(Hitomi Fujiwara Bernhardt)   職業: コスメティックタトゥーアーティスト兼Fuji Cosmetic Inkオーナー   ハマっていること: 始めたばかりなのですが絵を描く事です。時間がある時はクラスに行き、忙しい時はiPad を使用しています。いつも夢中になって時間を忘れてしまいます。   健康とキレイの秘訣: 基本的には野菜中心の食生活で、蒸したり、オーブンで焼いたり、塩分も控えています。 WHOLE FOODSのオーガニック系のスキンケアグッズを使い、朝はお湯だけの洗顔をしています。時々知り合いの所でマイクロニードリングをしています。   お気に入りの場所: 娘のお気に入りの公園、マンハッタンビーチ、冬の札幌、可愛いカフェ(お酒が飲めないので笑)   アメリカに来た理由: 旅行でロスに来た時、周りの目を気にせず生き生きして過ごせた事から、アメリカでの学問や就職、移住に興味を持ちました。   最近感動したこと: Appleペンの凄さ。奥が深くてアップルのクラスに行っています(笑)サングラスをかけた1歳の娘に投げキッスされた事。   尊敬する人: 父。いつも寛大でどんな事があっても批判せず、見守ってきてくれました。そんな父に育てられた私は失敗しても色んな事に挑戦する事ができました。父は一人の職人として会社を設立し、その後従業員さん達からも慕われる経営者でありました。私も一技術者かつ会社設立者、そして親として改めて父の偉大さを感じます。今私があるのも、憧れてきた父の姿を見てきたからだと思います。   夢: 現在、乳がんで失った乳輪をアートメイクで描いていく技術があります。サロンで募金を集め、傷を抱えた方にアートメイクを通してお手伝い出来る環境を作って行きたいです。   メッセージ:最新眉アートメイクのマイクロブレーディングで、非対称の眉、薄い眉などでお困りの方、それぞれに合わせた技法で染料を使い眉を一本一本描いていきます。 (個人差はありますが2〜3年持ちます)仕上がりだけでなく、オーガニック染料や医療で使う機材を使い安全面にもこだわっています。 技術面では常に自分の限界を作らず世界の最新テクニックを習得しています。 Fuji Cosmetic Ink 3537 Torrance blvd Torrance 90503 Phone: +1 (310) 756-0864 Website: www.fujicosmeticink.com FB: @fujicosmeticink IG: hitomi_fujiwara_bernhardt

  • 色重ね「世界一に」 メイクアップアーティスト 樫部 翔一郎 |Shoichiro Kashibe  

    2018年11月14日 ロサンゼルスで暮らす人々

     ハリウッド映画やテレビの撮影、ファッション、ビューティーがあふれるロサンゼルス。そんな街で暮らして6年になる樫部翔一郎さんは「きれいなものを作ることにすごく執着心がある」と話す。人の顔というキャンバスに美しい色を重ねていくメイクアップアーティストが生業と聞けば、それも納得がいく。現在、『SOLSTISE』や『XIOX』といった雑誌撮影やダイヤモンドのブランド『Rahaminov Diamonds』などの仕事を中心に活動中だ。  メイクの仕方は、シーズンやディレクターのイメージによって変わってくる。現場へ行ってからコンセプトを聞くこともあるが、インスピレーションに従うようにと言うカメラマンもいるという。「そういうときは、モデルの顔などを見てどういうメイクが合うかとか、何を着るかによって方向性を決めます」。モデルの顔や服を見ていると、色やどういうブレンドをしたら合うかが、映像となって頭に浮かんでくるのだという。「スッと、来ます。イメージが沸かなくて苦労したことは今のところはないです」と話す。  幼少期から漠然と米国に住みたいというあこがれを持っていた樫部さん。中学3年のころ、ハリウッド映画『死霊のはらわた』を観て「お金を貯めてアメリカへ行って、絶対に特殊メイクの仕事をしようと思った」といい、洋楽と洋画に大きな関心があった学生時代、英語はクラスでトップになるほどだった。高校卒業後はフィリピンに半年間英語留学。翌年からLAのメイク専門学校で4カ月間勉強し、帰国後に東京へ。造形工房に就職して念願の特殊造形の仕事を始めた。しかし、自分が本当にやりたいこととは違うと徐々に感じ始め、24歳のときに再びLAへ戻ってきた。3年ほど前、特殊メイクからビューティーのメイクアップに路線をスイッチするきっかけとなったのが、子どものころから好きだったペイント。「特殊メイクよりも着色していくほうが自分は力を発揮できると思ったんです。自分は美的感覚が人と違う感じがあると思うので」。また、ペイントがメイクの助けになることもあるという。「二次元の世界でリアルに物を作れると、三次元の世界でも簡単に作れる。メイクに反映するというか。造形でもボディペイントでも応用が効く」と、趣味もスキルアップにつなげるポジティブさを持ち合わせる。  メイクアップ業界の中でも特に競争率の高いというLAで生き残っていくことは、至難の業だ。メイク専門学校の同級生でも、未だこの仕事を続けているのは樫部さんを含む数人だけ。「長男じゃないのに〝一〟をもらった」という名前には、両親の「飛翔しナンバーワンになってほしい」という願いが込められている。その期待に応えるべく「世界一のメイクアップアーティストになる」ため、これからも色を塗り重ねていく。

  • 先人への感謝、 若人に継承 協同システム 羅府中央学園主任 蔡 正子|Masako Chai  

    2018年09月27日 ロサンゼルスで暮らす人々

     1948年に創設された全米最大規模の日本語学校、日本語学園協同システムのロサンゼルス羅府中央学園で教える蔡正子さんは、結婚相手の米国留学を機に渡米した。まずは語学学校に通い、間もなく日系商社に就職。5年間勤めた後に子どもができたため退職した。渡米前は生活できるのだろうかと不安だったが、いざLAに来てみると住みやすくてすぐに馴染めたという。「当時から日系人の方々には感謝の気持ちがありましたね。先人が築いた日系社会に対する信用などを継承していきたいと思いました」と振り返る。中央学園との関わりは5歳になった子どもを入学させたことが始まり。当初は父兄として学校運営に携わると同時に、代理教師として中央学園で働いていた。その後、中高等部で教師となり主任を務め、パサデナ学園の主任を経て再び中央学園主任となり、現在まで現役で教鞭をとる。  日本人、日系人どちらの子どもも通う中央学園では、レベルの異なる子どもたちを一緒に教えなければならないため教える側の苦労は大きい。親が新一世の場合や渡米間もない子どもたちは読み書きも会話もできるが、「日本語がわからない子に教えるのは一番大変」だという。親の日本語能力によって子どもの日本語能力もかなり変わってくるため、学校側は個々のケースに応じて対策を取る。また、全員が動機があって入学するわけではなく、「日本語に興味のない子が騒ぐのが大変です(笑)」。モチベーションやレベルの違う生徒をどう指導するか教員同士で話し合い、使用する教材を代えるなどの対応をしながら、外国語としての日本語を文化や料理、歌から覚えさせるといった工夫をし、日本の言葉と文化を伝える授業を行う。苦労も多いが、蔡さんは「子どもたちの成長を見ることや、卒業生の子が学校に入ってくるとまたうれしいし、日系二世、三世が多いのもうれしいことです」と充足感を見せる。  蔡さんが日本語教育以外にも重視するのが、感謝の気持ちを教えること。中央学園の校舎は父兄たちの協力により建てられた。「当時の日本人のがんばりがすごかったんだと思う」と話し、生徒たちには常に「この学校は日系人の先輩たちが建てたのだからきれいにしなさい」と言う。「若い人たちにそういったことを後々のために伝えて、今あるものは自分たちのためだけではないということを考えてほしい」。日本語教師として、米国で暮らす日本人としての思いだ。「日系社会もいろいろ分かれている。一人でも多くの日系人に日本語学校に参加してもらって、日本語はもちろん、日系人が残していった財産、歴史を共有してほしい」。これからの時代を担う若人たちへの願いを胸に抱きながら、今日も教壇に立つ。

  • 夢与えるため夢実現へ 映画監督 大澤 広暉|Hiroki Ohsawa  

    2018年09月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

      人に夢を与えたい。大澤広暉さんが映画監督を志す理由だ。LAのニューヨーク・フィルム・アカデミーで映画製作を学び、昨年修士課程を修了した。しかし一度は玩具の会社で営業職に就いている。  子どものころからおもちゃが好きで、日本の玩具を原作にハリウッドで映画としてリメイクされた作品でもある『トランスフォーマー』にあこがれた。そんなバックグラウンドから、就職活動は玩具業界と映像業界に絞った。 日本の大学では映像製作は副専攻だったが、自主制作で撮った作品が賞を獲った。   それでも映像関連ではなく玩具会社に就職したのは「小さいころから〝ストーリーを伝える〟ことが好きだった。 自分が一番使える映像というツールでストーリーを伝えるか、おもちゃというツールを使ってストーリーを伝えるか。どちらも夢を与えることには変わりない」と考えたからだ。  2年間働いた玩具会社を退社し、米国へやってきたのは4年前。会社の商品のプロモーション映像を自社制作したいとも考えていたが、映像専門の学部出身でもなければプロとしての経験もないため実現が難しく、「学生時代に賞を獲ったといっても趣味のレベルは超えられない」と痛感し、映像制作を一から学び直そうと思ったのがきっかけだった。それまで海外志向はまったくなかった。 しかし「世界の中で最高の映画の教育が受けられるところはやはりハリウッド。どうせなら海外に行くのもありかなという思いがそこで芽生えました」。  LAでの進学先は「入学翌日からユニバーサルスタジオ内でカメラの講習を受けるような非常に実践的」かつ休み返上のカリキュラムが売り。さらに外国人学生が多く、結果としてワールドワイドなコネクションを作ることができたという。 「能力を認めてくれると元クラスメイトがスタッフとして呼んでくれたりして、いろいろな経験ができるのは将来にもつながる。ワールドワイドな視点も強み」。 学生時代は監督した作品がノミネーションを含めて複数受賞したが、卒業したからといってすぐに映画監督になれるわけではない。   現在はウェブシリーズの番組の監督や、監督兼プロデューサーとして日本語教材の映像コンテツに携わるなど、異なる活動を通じて基盤を築いている最中。 いずれは自分の作品で日本の文化を発信していきたいと考えている。   米国で足下を固め、そのバックグラウンドを背負った状態で日本へ行き、最終的には日米をまたいで仕事をするのが目標だ。 夢を与えるために、まずは自分の夢実現を目指している。

  • アメリカ旅行を楽しんでます!

    2018年06月07日 さとみるくの Happy Life Style

    名前: 樽井 優 (Yu Tarui)   職業: 学生   ハマっていること: ジム、ビーチバレー。   健康とキレイの秘訣: 体を動かすこと。   お気に入りの場所: ハワイ。   アメリカに来た理由: 就職に必要な英語力を身につけるため。   最近感動したこと: パイロットになるまでの過程と仕事。   尊敬する人: 自分に自信を持って何事にも向き合える人。   夢: 外資系客室乗務員。   メッセージ: 旅行大好きなのでアメリカ国内旅行を存分に楽しんでいます! インスタグラムに写真を載せてるのでもし参考になれば見てください@yurilyty

  • 目指すは「世界王者が就職先」 プロボクサー 富岡 樹|Izuki Tomioka  

    2018年05月17日 ロサンゼルスで暮らす人々

     日本ボクシング界が今アツい。これまでの歴史上で浮き沈みはあったものの、昨年は9人が世界のベルトを奪取し、井上尚弥や村田諒太といった大スターも誕生。そして、ここLAにはその仲間入りを目指して厳しい練習に励む若き日本人ファイターがいる。  富岡樹さん、21歳。日本ライト級ユース初代王者(2度の防衛後ことし3月に返上)、日本Sフェザー2位、東洋太平洋13位のホープだ。日本を拠点に練習していたが、「本場で学びたい」とLAを訪れるようになった。汗を流すのはハリウッドにあるワイルドカード・ボクシング・クラブ。数々のチャンピオンを生み出してきた名門ジムである。  2つ上の従兄弟の影響を受け、11歳でボクシングを始めた。高校卒業間際には大学ボクシング部からの誘いもあったが「始めたときからプロになろうと思っていた」ため進学はせず。「プロ入り前に一度本場を体験したい」と、初めて訪米した先がLAだった。トレーナーと契約し、右も左も、ことばもわからない地で40日間ジムへ通った。帰国後、19歳でプロ入りすると3連勝。昨年8月には日本ユース王座(日本プロボクシング協会による要請で新設された24歳以下のA級ライセンス保持者で争うタイトル)決定戦に勝利し、初代ライト級王者に輝いた。  そのタイトル戦を控えていた昨年6月に再訪米した。以来、リベリア出身の元五輪代表サミー・スチュワート氏に師事。「足を使って距離を取ってパンチをもらわない、自分のやりたいボクシングとサミーのボクシングが合うんです」。先月、3度目の渡米を果たし、現在もジムでトレーニングを積みながら心身ともに鍛える日々を送る。「最初は空港から出るのにも何時間もかかったりして。たった1人でことばのわからないところに来たというのは、生活の上でもボクシングの面でも活きています。試合直前も、最後の一番の自信になるのは1人で米国に行って、世界レベルの強い選手とスパーリングをやってきたという部分ですね」。  人々が開放的でフレンドリーなLAが気に入っている。人目を気にせず過ごせる自由さも快適だ。「プロ入り前に初めて来て、プロになるからには世界チャンピオンになりたくて、そのためには本場のアメリカの空気を感じたいというのがあって。その本場の空気を感じられたのがLAでした」。  ボクシングを始めたときから、一番の目標は世界タイトル。「23歳までに」とする理由を「大学卒業して就職するぐらいの年には、と思って。就職先は世界チャンピオンと言えるようにしたい」と説明する。「いつかこっちで活躍できるような選手になるので、LAの皆さんにも応援していただきたいです」と話す笑顔の奥に、強い意思と自信がうかがえた。次戦は7月29日、大阪で東洋太平洋王座戦に挑む。