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  • 【8/10(土)~8/18(日)】 二世ウィーク

    2019年08月08日 Los Angeles

    リトルトーキョーで毎年開催される日系コミュニティ最大のお祭り。 期間中七夕の飾りがずらりと並ぶ七夕祭りやパレード、餃子の早食い競争など盛りだくさんの催しが行われる。 11日には恒例のグランドパレードが行われ、最終日は盆踊りで1週間の幕を下ろす。   ●Little Tokyo周辺 ●Little Tokyo. Los Angeles ●(213)687-7193 ●niseiweek.org

  • 終戦・平和祈念映画上映会 『望郷の鐘 満蒙開拓団の落日』 LA&OC にて8/25、8/30、9/7

    2019年08月08日

    「中国残留孤児の父」と呼ばれた山本慈昭の人生を描いた映画『望郷の鐘 満蒙開拓団の落日』を8月25日(日)2pmにリトルトーキョー東本願寺別院、30日(金)7pmにニューガーデナホテル、9月7日(土)2pmにニューポートビーチ東本願寺で上映。 入場$15。   教え子を引率し満州へ渡った国民学校教師の慈昭は侵攻開始したソ連軍によりシベリアへ連行される。収容所からの生還を果たすが妻子は既に亡くなっていた。10数年後、多くの日本人孤児が中国にいることを知った慈昭は彼らを日本に帰国させるべく奔走する。     『望郷の鐘 満蒙開拓団の落日』上映会 問合せ・チケット購入/mh.gendaipuro@gmail.com 310-378-3550 (Mikko Henson)

  • 8/10 終日入館無料の『夏祭りファミリー・フェスティバル』 全米日系人博物館

    2019年08月08日

    全米日系人博物館(小東京)は8月10日(土)に年に1度の『夏祭りファミリー・フェスティバル』を開催。入館料が終日無料(Webサイトより予約推奨)になるほか、一日を通してフォトブース、折り紙、紙の帽子作り、沖縄団子、スカベンジャーハント、幼児向けプレイルームなどさまざまなパフォーマンスやクラフト、アクティビティを実施。   また、当日は常設展『コモン・グラウンド―コミュニティの心』、特別展『夜明けと共に:アジア・太平洋諸島系のアメリカの始まり』を無料で観覧できる。     全米日系人博物館 夏祭りファミリー・フェスティバル http://www.janm.org/events/2019/natsumatsuri/  

  • 夢実現へ向け日系一世に「近道のチケットない」 漫画家 井上 三太|Santa Inoue  

    2019年06月28日 ロサンゼルスで暮らす人々

     「成功への近道のチケットはない」。漫画家・井上三太さんが実感していることだ。昨年末、50歳手前で「ハリウッドで映画を作るため」にLAへ移住した。架空都市〝トーキョー〟に生きる若者を描いた代表作『TOKYOTRIBE』シリーズはストリートカルチャーとなり、ファッションや音楽に影響を与え、舞台、アニメおよび実写映画化された。世間から見れば〝成功〟だ。しかし、家族を説得し事務所を整理し、夢実現のため米国へやってきた。15年前、LAを訪れた際にコミックショップの店主と親しくなり「アメリカで映画を作りたい」と話すと「実現するにはここに住まなきゃダメだ」と言われた。そのことがずっと頭にあったが、海外移住のは大きな決断だ。だが、ビジョンが見えた。「科学的な根拠はない。でも明確に、アメリカで成功するというビジョンが見えた。これは勝負するしかないなと」。  米国で自分の漫画でアニメーション映画を作る。それが目標だ。「『TOKYO TRIBE』のタイトルで米国でアニメを作りたい。本気でやりたいんですよ。生半可な気持ちでは来てない。東京と香港とLAがミックスしたような街でちょっと近未来のSFにして、ストーリーは新しいもので。米国はストリートカルチャーやヒップホップの本場だけど、ヒップホップのアニメが存在しない。その2つを掛け合わせられれば商業的にもすごいものが作れる」と熱く語る。しかしその調合が難しい。「ヒップホップとの化学調合ができるアニメを作る人がいない。スケボーやドラッグが出てきたり、洋服の丈であったり、キャップだったり。一朝一夕でわかる問題じゃない。神がおれに与えてくれた才能というか、それを作れるのはおれしかいないと思ってる。それを証明したい」。  LAへやってきてすぐ、不動産屋に言われた事がある。「三太さんもこれから日系一世になるんですよ」。ハッとした。戦後、米国に残ってリトルトーキョーを作ったような元祖日系人たちの開拓者魂を感じた。「自分にもそういう開拓したいっていう気持ちがあるのかもしれない」。現在は移住から半年が経ち、日本の漫画雑誌での連載をLAから描く日々を送る。そのためにPCで漫画を描く技術も新たに学んだ。15年かかったが、移住という夢は実現した。しかし、映画の具体的な話は進んでいない。自分の漫画が世界一だとは思っていない。しかし、オンリーワンだとは思っている。この国で自分のニーズがあると信じている。自分が描ける漫画は米国人には作れないものであり、それを自分が生み出しているという自負がある。焦ってはいない。「すぐにはいいことは起きないんですよ。すぐに仕事がバンバン決まるということは。成功の裏には人一倍の努力がある。そんなうまい抜け道はない気がするんですよね」。一つ夢を実現したあとには、次のステップへ進むための努力が必要。それをわかっているから、今をがんばれる。

  • 次世代育て大切に渡す   日舞で伝える日本文化 歌舞伎役者 中村 鴈京 |Gankyo Nakamura  

    2018年11月08日 ロサンゼルスで暮らす人々

     オレンジカウンティで生まれ育ち、大学以降LAで暮らす中村鴈京(日舞:坂東拡七郎)さんは日系二世の歌舞伎役者だ。UCLAで政治学と哲学を専攻し、当時は弁護士になろうと思っていた。母方の祖母がハワイ生まれ、母は日本生まれ。シカゴ大留学後米国へ住み着いた父は会計士。祖母の「二世として米国で生まれ育つからには日本文化を習ったほうがいい」という言葉により、兄は剣道、姉は日舞を習っていた。姉の稽古に同行していた鴈京さんも3歳で日舞を開始。「子どもはファンタジーの世界が好きですから。日本舞踊は侍や町人の世界でいろいろな役で遊べる。他のだれかになれるのが楽しかった」。  大学3年時、政治学と哲学を学ぶために東大へ1年間留学した。その間も日本舞踊を習っていたが、ある日、先生から大阪の『松竹上方歌舞伎塾』で学んでみてはとすすめられた。当時の中村鴈治郎が上方歌舞伎の後継を育てるために作り、三味線、踊りなど日本の伝統芸能すべてを2年間で習うことができる塾だ。面接と試験を受けてみたところ合格し、東大を辞めて大阪に引っ越した。両親にはあとから手紙を出して報告した。 2年後、卒業発表を見た鴈治郎(現・坂田藤十郎)に声をかけられて弟子入り。稽古について行ったり、師匠の世話をしたりと忙しい日々を送っていたが、師匠のもとでは初の外国人弟子。周囲から反対され、鴈治郎ファンから罵声を浴びせられたこともあった。楽屋の掃除をすると「外人だから掃除の仕方がなっていない」と言われ、英字新聞を楽屋で読んでいたら厳しく叱られた。そういう経験があるからこそ、「だれよりもちゃんとしていないと」と思うようになり、悔しさをバネにした。その一方で、「一門の先輩たちはすごく大事にしてくれて細かく教えてくれ、理解してくれた」という。  7年間の修行後はLAに戻り、日舞を教えるかたわら、修士号、博士号を取得した。現在は日舞のほか母から受け継いだ木目込人形の技術も教えながら、大学で教鞭を執る。日本文化と文学以外に、アニメの授業も受け持つ。「アニメを通して日本の文化、歴史を深く理解することがテーマ。古典文学を生かした授業をしています。ここから日本に興味持ってもらえたら」。昨年、世界で初のアニメと日舞のコラボを行い、好評を得た。「米国はいろいろな文化が混ざっていて、それがいいところ。でも自分のルーツをしっかり考えないと、どんどん消えていってしまう。まずは日本文化を大切にし、将来の子どもたちのためにも守っていかないといけない。祖母が『せっかく日本文化を習っても伝えていかないと意味がない。大切にして渡していかないと』と言っていた。今後は日本文化のすばらしさを広め、次の世代を育てていきたい」。

  • 生まれ変わった自分  「救いの手差し伸べる」 牧師、名誉神学博士 河野 亮平 |Kawano Ryohei  

    2018年10月25日 ロサンゼルスで暮らす人々

     リトルトーキョーのセンテナリー合同メソジスト教会で、毎週日曜日に行われる礼拝。祭壇に立ち、堂々と、しかし穏やかに優しく、礼拝堂に集まった30名ほどに語りかけるのは、牧師の河野亮平さんだ。「わかろうとする姿勢が大事。知ることは信じること。ハングリー精神、求めていく精神がなければ人間は成長しない」。  キリスト教と縁のない家庭に育った河野さんは、かつては超がつく人見知りだった。とにかく内気で、人と話ができない。買い物も1人では行けないほどだった。中学3年のとき、社会性を養わせたいと考えた母にお遣いを頼まれた。しかし店で「いらっしゃい!」と言われた瞬間、緊張して何を買いに来たのか忘れてしまった。結局違うものを買って帰宅すると母は「情けない」と泣き出した。ある日、数少ない友達の1人がクリスチャンになり、教会へ行こうと誘ってくれた。何度も何度も誘い続けてくれ、根負けした河野さんは教会へ行った。しかし大勢の前で自己紹介ができず、恥ずかしくて二度と行きたくないと思った。  高校受験が終わり、勉強ができた河野さんは有数の進学校へ。相変わらず内気は治らなかったが、ふと考えた。「こんなに社会性のない人間は大学まで行けたとしても、そのあと生きていけない。これが解決しなかったらもう自殺するしかない」。そんなとき思い出したのが、たった一度訪れた教会の雰囲気だった。「もう一回自分から教会に行ってみて、そこで解決ができなかったら死のう」。思い詰めて足を運んだ教会では、宣教師の衝撃的なことばが待っていた。「人間はみな罪人。人の心の中は汚く、人を恨んだり憎んだりすることは罪である」。法を犯す行為だけでなく、悪い思いを持つこと自体が罪。この教えにハッとさせられた。それでは、その罪はどうすれば償うことができるのか。「罪のないイエスがこの地上に生まれ、人々の罪の身代わりとして死んでくださった。心の中の罪は消し去ることはできないが、イエスを救い主として信じるなら罪が許される」。そして、河野さんは言った。「それなら私は罪人です。その教えを信じます」。言った瞬間、心があたたかくなった。神の愛に生まれ変わらせてもらった気がした。  大学卒業後、牧師となった河野さんは留学のため1972年に渡米。サウスベイやミッションバレーの教会などを経て、今年から現教会へ。「私は信じることで普遍的な心理を発見しました。日々、悔い改めて反省し、わかろうとすることが大切。自分が苦しんだから人の悩みもよくわかります。クリスチャンにならなかったら私はこの世にもういなかった。悩み苦しんでいる人たちを少しでも助けたい」。死を考えるまでに思い悩んだ経験があるからこそ、救いの手を差し伸べる存在でありたい。それが河野さんの思いだ。

  • 「日系人社会一つに」 南加宮城県人会会長/ロサンゼルス七夕委員会ボードメンバー会長 米澤 義人 |Yoshihito Yonezawa  

    2018年08月09日 ロサンゼルスで暮らす人々

     1956年、終戦後に米国へ移住した米澤義人さん。当初は英語がまったく話せず、ハワイの入国管理局では近くにいた日本人の方に助けられたという。給油のための乗り継ぎ2回を経て、計36時間をかけて日本からロサンゼルスへたどり着いた。着いてまもなく参加した同郷の人々が集まる南カリフォルニア宮城県人会は「400人ぐらいいて驚きました(笑)」と振り返る。1992年以降は会長を務めるこの県人会では、日本人の助け合いの精神をあらためて感じたという。10年前には、日系人が集うリトル・トーキョーの活性化につながればと、七夕委員会を発足。以来、郷里名物の七夕祭りロサンゼルス版を、毎年8月にリトルトーキョーで行われる日系人の祭典『Nisei Week』の一環として開催している。  米澤さんは「新旧日系人の交流をもっと深めたい。ここには日系社会の小さな団体がたくさんあるから絆を深めたいと思って始めました。日系社会を存続していくためでもある」と開催のきっかけを話す。言葉やバックグラウンドの違いによって、それぞれの小さなコミュニティー間ではまだ言葉や意思の疎通が難しい部分が存在すると言われるロサンゼルスの日系人社会。その発展と地域の活性化を願って始まったロサンゼルス七夕祭りは今年で10回目を迎える。準備は4月ごろから開始し、ワークショップを開催し、学校を訪問して子どもたちにお飾りの作り方を教える。そうしてできあがった地域の個人や団体などによる150個以上の七夕飾りが、日系人博物館前の広場を鮮やかに彩る。  七夕祭りの飾りはすべて手作業で作られる。老若男女だれでも作ることができ、話をしながらコミュニケーションを取る手段にもなる。そのため「この作業が、核家族化によってバラバラになりがちな今日、家族が再び一つになるきっかけにもなる」。お飾りを作ったことがきっかけで日本を初めて訪れ、ねぶたに始まり竿燈、七夕と東北の三大夏祭りを一通り体験してきたという日系人の方もいるという。ともにテーブルを囲み、作業に精を出すことで「親子の会話が増えた」「孫とのコミュニケーションが取れるようになった」という声も多い。米澤さんの夫人、純子さんは熊本出身。宮城についても七夕祭りについても知識がなかったため、最初は大変だったというが、経験を通して徐々に学んでいき、米澤さんをしっかりと支え続けてきた。米澤さんは「みんなで一緒に作って、ここに集まって団結して、日系人社会をもっともっと良くしていきたい」と話す。手を取り合って生きていきたい。そんな願いが込められたロサンゼルス七夕祭りが、今年も始まる。