連載・コラム テリー伊藤の東京チャンネル

編集: Weekly LALALA - 2019年10月30日

三億円強奪事件、今なら

今回は少し古いお話をしたいと思います。1968年12月10日東京都府中市で発生した3億円強奪事件。

東京芝浦電気の従業員のボーナス3億円が積まれた現金輸送車が、擬装白バイに乗り、変装した白バイ隊員に、府中刑務所の横で停車させられた。

現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この車も危ない、すぐに車から出てください。」と言って、運転手と銀行員を車から遠ざけ、その隙にまんまと3億円を乗せた車ごと逃げ去るという、まさに映画のような事件がおきた。

当時の3億円というと、現在の価値で15億円程になるというとんでもない大事件だった!  
 

 

あまりのスケールの大きさに日本中が沸き立った。

当時大学生だった私も、心の中で「3億円か!もし3億円あったら何に使おう!?」なんて馬鹿なことを考えたものだ。

私だけではなく、日本中がそんな妄想をしていたのではないか。  事件のあらましとはこんな感じだ。

しかし、1975年12月10日、警察の必死の捜査にも関わらず時効が成立してしまった。

この事件の凄いのは、犯人の行動力だ。まず、銀行を出発した現金輸送車を監視したカローラから素早く擬装白バイに乗換え、続いて白バイから強奪した輸送車に乗り、次の地点で待機させていた車に乗り換えて逃走してしまったという緻密な計画性だ。

しかも単独犯と言われている。

先日仕事の関係で事件現場近くを通る機会があったので、府中刑務所の横の現場に立ってみた。

当時は監視塔があったが、現在はそれに代わり防犯カメラが作動している。

そこで考えてみたのは、現代ではあの「痛快な3億円強奪事件」が成立するのだろうか、ということだ。

 

一番に、現代は給料を現金で手渡しなんて聞いたこともない。

ほとんどがオンラインを使用している。まして一流企業なら皆無だろう。

次に、現金輸送車を追いかけても、今の車には前後にドライブレコーダーが装備されているので、これまた難しい。

擬装白バイをエンジンを起動させたまま待機させていたら、近所からすぐ苦情が警察に連絡される事も容易に想像できる。

銀行員が置き去りにされても、これまた公衆電話を探す必要もなく、すぐに銀行、警察に携帯電話から連絡できる。

ニセ白バイ警官が顔を覗かせた段階でこれまたドライブレコーダーに写ってしまう可能性がある。

そして逃走の最中には各所に設置されている防犯カメラや高速道路を使用してもNシステムにひっかかってしまう。

最後に、事件の4か月後に判明した小金井市本町の団地駐車場に乗り捨てられていたカローラと、3億円が入っていた空のジュラルミンケースだが、これだって今なら4か月間も団地の住民が気付かない訳がない。

 

これらを考えてみても、今の時代、擬装白バイに乗ったニセ警官が、3億円を乗せた現金輸送車を襲うなんて夢の夢なのかもしれない。

現代は「振り込め詐欺」のような顔の見えない犯罪が多くを占めている。

もしかしたら昔の方が犯罪もロマンチックだったのかもしれない。

怪盗ルパンや怪人20面相も出にくい世の中になったもんだ。

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  • 大人になったら
ショッカー軍団に入ろう

 

    大人になったら ショッカー軍団に入ろう  

    2020年08月20日 テリー伊藤の東京チャンネル

    子供の頃、男の子は誰しも一度は仮面ライダーに憧れたものだ。変身ベルトによって(時代によって違うが)本郷猛から仮面ライダーに変身する。さっそうとバイクにまたがり、ショッカー軍団と戦う。ライダーキックで悪を退治する。戦後日本のテレビ界が生んだ大ヒーローだ。   1971年よりスタートした特撮シリーズは、今なおテレビや映画にとその時代時代の子供達の永遠のヒーローとなっている。 そして悪とはショッカー軍団だ。子供達は仮面ライダーに心を奪われるのだが、ショッカーに思いを持つ子供はいない。