連載・コラム ロサンゼルスで暮らす人々

編集: Weekly LALALA - 2018年07月13日

日本文化忘れない
刀で未来サポート

目利き師

マイク 山崎 |Mike Yamasaki


 

 第二次世界大戦後、敗戦国日本ではGHQによる〝刀狩り〟が行われた。日本刀も武器とみなされ没収され、その後、進駐軍兵士たちによって数々の刀が海を渡った。そのため米国には思わぬ名刀が存在することがあり、日本刀に惹かれる米国人も多い。


 日系三世のマイク山崎さんは世界で30人ほどいる刀の目利き師の一人だ。作者はだれか、作られた時代はいつかを見分ける。カリフォルニアでは唯一の存在で、日本刀および古美術品を取り扱う『鉄元堂』を営む。祖父母は日本人。祖母に「日本の文化を忘れないで」と言われて育ち、10歳で空手、12歳で居合道を始めた。子供のころ、チャンバラ映画好きの祖父に連れられ映画館へよく行った。
日本文化への興味や和の精神は自然と育まれていった。


 ある日、友人に誘われて日本刀のビジネスに足を踏み入れた。日本語が読めなかったため、1年間毎日一つずつ漢字を覚えた。日本からやってきた刀ディーラーに日本刀のことなら日本で勉強するべきだと勧められ、訪日したのが25年前。日本美術刀剣保存協会の田野辺道宏氏に〝Good Eye(目利き)〟を学び始め、自費で日米を行き来しながら熱心に勉強した。もともとの才能に加えて田野辺氏の献身的な指導により、日本刀の作者や年代を当てる鑑定会では初参加で200人中5位に入賞。2001年の鑑定会では『天位』を獲得し史上初の日本人以外の優勝者となった。「米国生まれ米国育ちでも二世、三世の世代は日米両方のことをよく知っているほうがいい。刀について学ぶということは、日本の文化や歴史を学ぶということで、未来のサポートにつながる」。


 昨年、自分の知識や経験を将来ある子どもたちに伝えていこうと思い立った。そして起ち上げたのがNPO団体『Jidai Arts』。「刀などの高価なものに『触ってはいけない』というのは間違った教育。信頼してあげなければ子どもたちは自信を持てない。『触るな』ではなく、どうやって扱うかを教えてあげればいい。それに今の子どもは大変なことはすぐ諦める。昔の職人はプライドがあり、どんなに困難でも〝ネバーギブアップ〟だった。その精神を伝えたい」。日本の刀文化を途絶えさせたくない。刀や鎧兜について教えることで、和の精神、知識、文化や歴史を米国で若い世代に伝えたいと考える。しかし「子どもたちには刀のことは教えたいけど仕事にはするなと言いたい」と笑う。生業とするには努力と知識に加えて、才能が必要となる超一流の〝Good Eye〟が求められる。マイクさんは「僕はすごく運が良かった。人にとても恵まれた」と話す。日本行きのきっかけをくれた友人の刀ディーラーと、刀について教示してくれた田野辺氏には心から恩義を感じている。「田野辺先生は『(受けた恩は)自分ではなくほかの人たちに返してくれればいい』と言ってくれる。だから子どもたちに教えることで恩を返したい」。和の魂は、米国でしっかり受け継がれている。

日系三世のマイク山崎さんは、世界でも30人ほどしかいない刀の目利きができる一人。カリフォルニアでは唯一の存在だ。日本刀および古美術品を取り扱う『鉄元堂』(tetsugendo.com/)を営む。

 

真剣な眼差しで刀の目利きをする。“Good Eye”には努力だけでなく、才能も必要。マイクさんは「僕は人にとても恵まれた。運がいい」と話す。

「刀や鎧兜について教えることで、和の精神、知識、文化や歴史を米国で若い世代に伝えたい」というマイクさんは今年NPO団体『JidaiArts』(www.jidaiarts.com/)を起ち上げた。

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  • 患者のために行動する

それが私のプロフェッショナル

Scripps Memorial Hospital La Jolla
心臓外科オペ室ナース


成相 麻子
Asako Nariai


 

 

    患者のために行動する それが私のプロフェッショナル Scripps Memorial Hospital La Jolla 心臓外科オペ室ナース 成相 麻子 Asako Nariai    

    2020年04月02日 ロサンゼルスで暮らす人々

    「心臓の手術は必ず一旦心臓をとめなければなりません。やるべきことがすべて終わって再び心臓が動き出す瞬間に立ち会うときが最もやりがいを感じるとき」冷静なやや低い語り口から繰り出される彼女の言葉には心を鷲掴みにされた。 がんの手術は機能を取り除く喪失であるのに対し、心臓は機能を回復させる手術。 「喪失ではなく回復だから好きなんです」なるほど。そんな風に世界が見えているのか。   成相麻子さんが医療の世界に進んだきっかけは「高校の保健の先生が個性的で面白かったから」卒業後は先生と同じ聖路加看護大学へ進学。看護大を出ると看護師・保健師の免許がとれ、保健師免許で産業保健師(民間企業勤務の保健師)として働くこともできる。 「それがわかった上で進学しました」しっかりした人だ。   卒業後は東京の虎の門病院に勤務した。12年在職したうち後半6年間は心臓外科オペ室(手術室)主任。 オペ室ではない他のフィールドに挑戦したいと思っていた矢先、夫の渡米が決まる。 「米国の医療現場で働けるというのは私にとってチャンスなのでは」前向きな彼女はそれを好機と捉えた。当時「キャリアを捨てることが恐くなかったのか」と尋ねたことがある。彼女の答えを忘れたことはない。 「12年かければこれだけのことが出来るという自信があった。日本を離れても努力すれば私はひとかどの人物になれると信じていました」   2016年渡米。彼女はその言葉通りの人生を突き進む。 子供を育てながら勉強し、2017年12月加州の看護師資格を取得。2019年9月からナーシングホーム(医療を受けられる介護施設)で働いた。 ずっとオペ室で働いてきた分、異世界だった。歯がない高齢者の言葉は分かりにくく、認知症患者は話の筋道がなく理解するのに苦労した。しかしこの時間が彼女の世界を広げる。「最初は不本意なフィールドでも経験を積むことは大事です」   同年12月に現在の職場Scripps Memorial Hospitalに転職。心臓外科オペ室のナースとして再び働き出した。毎日3~6件の開心手術を4部屋でまわす。   日米の医療現場の違いを聞いた。「患者に訴えられることもあるので、特にカウント・記録には気を使います。オリエンテーションでマスシューティングへの対応や興奮した攻撃的な患者家族への対応をロールプレイで学んだのはカルチャーショックでした」 オペ室の緊迫したなかでも敢えて空気を読まず言葉に出して確認する。「患者の安全のために一つずつのコミュニケーションが何より大切。だから流してしまった時は落ち込みます。患者のために行動できるかが私の存在意義ですから」   彼女を貫く信念はどこまでも真っ直ぐだ。その信念が今日も誰かを救っているんだろう。  

  • ママになっても
才能を活かしてほしい

マリンバ奏者

高田 直子

Naoko Takada
 


 

    ママになっても 才能を活かしてほしい マリンバ奏者 高田 直子 Naoko Takada    

    2020年03月26日 ロサンゼルスで暮らす人々

    ぽわん、ぽろん、ぽろろん。まるみを帯びた深い音色。スタジオに続く木製扉の前で耳を澄ませて立ち止まった。 マリンバという楽器をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろう。マリンバは、いわゆる木琴の一種。木琴の音は固く乾いた音であるのに対し、マリンバのそれはやわらかい。   マリンバ奏者の高田直子さんのスタジオを訪れた日は、空には雲ひとつなかった。開け放たれたドアの向こうにマリンバが見える。想像よりもずっと大きい。ビブラフォンもドラムもピアノもあった。光が注がれる楽器はどれも本当に神々しい。   マリンバはピアノよりも鍵盤数が多く感じたので尋ねてみると、すぐさまピアノの前に座り「そんなことないです。ほらね」と慣れた手つきで弾いてくれた。 なるほど、マリンバとピアノはまったく違う楽器にみえるが、考えてみれば同じ鍵盤打楽器だ。たたくことで音を出す。   出会いは8歳。母親と一緒に行った雛祭りコンサートだった。「最初は大きな家具だなって(笑)そこで聴いたのは『熊蜂の飛行』でした」 マリンバに出会ってしまった直子さんは「習いたい」と親に頼んだが、最初の頃は一時的なことだろうと相手にされなかった。けれども変わらぬ情熱に母親は「1回だけね」と約束して教室に連れて行ってくれた。   その1回が2回になり3回になった。そのうちに忘れるだろうと思った親の期待とは裏腹に、彼女の熱意は薄まるどころかどんどん増した。 父親は、新聞紙を切って音の出ない即席マリンバを作ってくれ、彼女はそれで練習した。 遂にマリンバを買ってもらったとき、あまりの嬉しさにマリンバの下で寝たほど。   先生についてめきめきと力をつけた彼女は、11歳で初めて舞台に立った。しかし中学の時に一度マリンバを辞めている。「舞台に立って以降は、周りからプロになるの?どうするの?と何度も聞かれ、それがすごく嫌だったんです」   早稲田大学の心理学科に進み、一年間の交換留学でカリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)を訪れたことがその後の運命を大きく変える。早稲田を中退し、CSUNの音楽学科に編入し、再びマリンバと向き合う日々が始まったのだ。   「一日6時間、5年間集中すればプロになれる」と信じ、昼夜問わず練習に身を捧げた。 当時の自分の言葉をどう思うかと聞いたら「生意気だったと思います」と笑った。   2002年、ニューヨークで開かれたヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝したことを機にプロとして始動。「20代のときは仕事を選べなかったけど今は選ぶことができて幸せ。子供と過ごす時間が何より大事です」   交換留学初日に出会ったご主人との間には2人の可愛い子供がいる。「才能があるのに子育てでやめてしまう人を私はもったいないと思う。 ママになっても自分の才能を活かしてほしい」彼女の演奏に勇気をもらう理由がわかった気がした。  

  • 出会った瞬間、これだと思った

サンドアーティスト

ラッセル 知絵

Chie Russell


 

    出会った瞬間、これだと思った サンドアーティスト ラッセル 知絵 Chie Russell  

    2020年03月18日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASP(ノースアメリカンサンドペインターズ協会)で講師資格を取得し、インストラクター、サンドアーティストとして活動するラッセル知絵さん。 連絡先:ラッセル知絵(サンドアーティスト) R.SandPaintingStudio@gmail.com 213-537-3957

  • 途中でやめるのはいつだって自分

NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニア

石松 拓人

Takuto Ishimatsu



 

    途中でやめるのはいつだって自分 NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニア 石松 拓人 Takuto Ishimatsu  

    2020年03月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニアの石松拓人さん。2012年に着陸した火星ローバー『キュリオシティ』のエンジニアリングモデルの前で。

  • 民謡を通して、日本の美しさや日本の心を歌い継ぐ

民謡歌手

小杉 真リサ

Marisa Kosugi


 

    民謡を通して、日本の美しさや日本の心を歌い継ぐ 民謡歌手 小杉 真リサ Marisa Kosugi  

    2020年03月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

    今年で創設55周年を迎える日本民謡「松豊会」の民謡歌手、小杉真リサさん。 photo by Albert Lien