連載・コラム ロサンゼルスで暮らす人々

編集: Weekly LALALA - 2018年07月19日

研究の道「わくわく」

日本学術振興会 海外特別研究員

笘野 哲史 |Satoshi Tomano


 

 「将来はお魚博士になる」。そう言っていた少年は、研究者になった。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)アシスタントプロジェクトサイエンティスト兼日本学術振興会海外特別研究員、笘野哲史さんの専門は〝イカの王様〟と呼ばれ、特に商品価値が高いアオリイカ。目的は「捕りながら守り続けていくために生態を明らかにする」ことだ。イカは日本では数十年来、水産物トップ3に入る一方、その生態に関しては基礎的な研究が進んでおらず、理由の一つには養殖ができないことが挙げられるという。世界の漁獲量は過去30年間で激減しているが、イカなどの頭足類は1960年代から資源量が増加。しかし「捕りすぎていなくなってしまった生き物はたくさんいる」。同じ過ちを繰り返さず、養殖など有効な保全政策を取るためにも笘野さんら研究者による解明は必須だ。


 岡山県の実家は祖父の代から牡蠣の養殖業と漁師を営む。そこには常に海があり、子どものころから「生き物と海が大好き」だった。一時は高校の先生になるつもりでいたが「先生になった場合に5年後、10年後にどうなるか見えてしまって。研究の道は何年後にどこで何をしているかわからないし、いつ職がなくなるかという不安はあるけど、そのほうがわくわくする」。さらに大学の先生による「お前はもっと広い世界でやっていける人材だ」というひと言にも背中を押され、研究の道へ進もうと決意を固めた。ところが大学院在籍中のある日、アオリイカに関する論文を偶然見つけた。「見た瞬間に衝撃を受けました。先にこんなことをやられたら絶対に勝ち目はない」。研究者の世界では〝この研究ならあの人〟という武器が必要だ。「アオリイカの研究で生き残るにはこの研究に加わるしかない。そうでないと僕の研究者としての道は終わってしまう」。
運良くその研究チームは日本のサンプルを持っておらず、論文を書いた人物や教授に「日本のサンプルを持っていくので一緒にやりたい」と連絡を取り、数日間の強行軍でLAを訪れるなどし、約1年半かけて渡米にこぎつけた。


 UCLAへ来て半年が経過した現在、さまざまな問題点はあり、「ちょっとずつは進んでいるけど思っていた以上には進まなくて焦っている」と、悩みながら挑戦する日々を送る。「僕の研究はすぐに養殖業に実用化とかそういう華々しいものじゃない。でも、自分がもともと漁師出身だから、海の生き物を捕りながら守るにはどうしたらいいのかとずっと思っていた。日本の漁師さんが元気になるような活動もしたいし、もっともっとわからないことを世の中に明らかにしていきたい」。海が大好きな漁師の少年は、母国を離れて海を越えた。意欲的に研究に取り組む先には「日本のためになる研究をして水産業に貢献する」というぶれない目標がある。

UCLA生態進化生物学部Barber Labでアオリイカの研究をする笘野哲史さん。「研究の道は何年後にどこで何をしているかわからないし、いつ職がなくなるかという不安はあるけど、そのほうがわくわくする」。

 

実家は牡蠣の養殖業と漁師を営み、子どものころから生き物と海が大好きだった。

笘野さんに衝撃を与えた論文を書いた研究者(左)、プロジェクトの教授(右)とともに。チームに加わるため数日間の滞在でLAへ来るなどし、その熱意が伝わった。

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  • 患者のために行動する

それが私のプロフェッショナル

Scripps Memorial Hospital La Jolla
心臓外科オペ室ナース


成相 麻子
Asako Nariai


 

 

    患者のために行動する それが私のプロフェッショナル Scripps Memorial Hospital La Jolla 心臓外科オペ室ナース 成相 麻子 Asako Nariai    

    2020年04月02日 ロサンゼルスで暮らす人々

    「心臓の手術は必ず一旦心臓をとめなければなりません。やるべきことがすべて終わって再び心臓が動き出す瞬間に立ち会うときが最もやりがいを感じるとき」冷静なやや低い語り口から繰り出される彼女の言葉には心を鷲掴みにされた。 がんの手術は機能を取り除く喪失であるのに対し、心臓は機能を回復させる手術。 「喪失ではなく回復だから好きなんです」なるほど。そんな風に世界が見えているのか。   成相麻子さんが医療の世界に進んだきっかけは「高校の保健の先生が個性的で面白かったから」卒業後は先生と同じ聖路加看護大学へ進学。看護大を出ると看護師・保健師の免許がとれ、保健師免許で産業保健師(民間企業勤務の保健師)として働くこともできる。 「それがわかった上で進学しました」しっかりした人だ。   卒業後は東京の虎の門病院に勤務した。12年在職したうち後半6年間は心臓外科オペ室(手術室)主任。 オペ室ではない他のフィールドに挑戦したいと思っていた矢先、夫の渡米が決まる。 「米国の医療現場で働けるというのは私にとってチャンスなのでは」前向きな彼女はそれを好機と捉えた。当時「キャリアを捨てることが恐くなかったのか」と尋ねたことがある。彼女の答えを忘れたことはない。 「12年かければこれだけのことが出来るという自信があった。日本を離れても努力すれば私はひとかどの人物になれると信じていました」   2016年渡米。彼女はその言葉通りの人生を突き進む。 子供を育てながら勉強し、2017年12月加州の看護師資格を取得。2019年9月からナーシングホーム(医療を受けられる介護施設)で働いた。 ずっとオペ室で働いてきた分、異世界だった。歯がない高齢者の言葉は分かりにくく、認知症患者は話の筋道がなく理解するのに苦労した。しかしこの時間が彼女の世界を広げる。「最初は不本意なフィールドでも経験を積むことは大事です」   同年12月に現在の職場Scripps Memorial Hospitalに転職。心臓外科オペ室のナースとして再び働き出した。毎日3~6件の開心手術を4部屋でまわす。   日米の医療現場の違いを聞いた。「患者に訴えられることもあるので、特にカウント・記録には気を使います。オリエンテーションでマスシューティングへの対応や興奮した攻撃的な患者家族への対応をロールプレイで学んだのはカルチャーショックでした」 オペ室の緊迫したなかでも敢えて空気を読まず言葉に出して確認する。「患者の安全のために一つずつのコミュニケーションが何より大切。だから流してしまった時は落ち込みます。患者のために行動できるかが私の存在意義ですから」   彼女を貫く信念はどこまでも真っ直ぐだ。その信念が今日も誰かを救っているんだろう。  

  • ママになっても
才能を活かしてほしい

マリンバ奏者

高田 直子

Naoko Takada
 


 

    ママになっても 才能を活かしてほしい マリンバ奏者 高田 直子 Naoko Takada    

    2020年03月26日 ロサンゼルスで暮らす人々

    ぽわん、ぽろん、ぽろろん。まるみを帯びた深い音色。スタジオに続く木製扉の前で耳を澄ませて立ち止まった。 マリンバという楽器をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろう。マリンバは、いわゆる木琴の一種。木琴の音は固く乾いた音であるのに対し、マリンバのそれはやわらかい。   マリンバ奏者の高田直子さんのスタジオを訪れた日は、空には雲ひとつなかった。開け放たれたドアの向こうにマリンバが見える。想像よりもずっと大きい。ビブラフォンもドラムもピアノもあった。光が注がれる楽器はどれも本当に神々しい。   マリンバはピアノよりも鍵盤数が多く感じたので尋ねてみると、すぐさまピアノの前に座り「そんなことないです。ほらね」と慣れた手つきで弾いてくれた。 なるほど、マリンバとピアノはまったく違う楽器にみえるが、考えてみれば同じ鍵盤打楽器だ。たたくことで音を出す。   出会いは8歳。母親と一緒に行った雛祭りコンサートだった。「最初は大きな家具だなって(笑)そこで聴いたのは『熊蜂の飛行』でした」 マリンバに出会ってしまった直子さんは「習いたい」と親に頼んだが、最初の頃は一時的なことだろうと相手にされなかった。けれども変わらぬ情熱に母親は「1回だけね」と約束して教室に連れて行ってくれた。   その1回が2回になり3回になった。そのうちに忘れるだろうと思った親の期待とは裏腹に、彼女の熱意は薄まるどころかどんどん増した。 父親は、新聞紙を切って音の出ない即席マリンバを作ってくれ、彼女はそれで練習した。 遂にマリンバを買ってもらったとき、あまりの嬉しさにマリンバの下で寝たほど。   先生についてめきめきと力をつけた彼女は、11歳で初めて舞台に立った。しかし中学の時に一度マリンバを辞めている。「舞台に立って以降は、周りからプロになるの?どうするの?と何度も聞かれ、それがすごく嫌だったんです」   早稲田大学の心理学科に進み、一年間の交換留学でカリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)を訪れたことがその後の運命を大きく変える。早稲田を中退し、CSUNの音楽学科に編入し、再びマリンバと向き合う日々が始まったのだ。   「一日6時間、5年間集中すればプロになれる」と信じ、昼夜問わず練習に身を捧げた。 当時の自分の言葉をどう思うかと聞いたら「生意気だったと思います」と笑った。   2002年、ニューヨークで開かれたヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝したことを機にプロとして始動。「20代のときは仕事を選べなかったけど今は選ぶことができて幸せ。子供と過ごす時間が何より大事です」   交換留学初日に出会ったご主人との間には2人の可愛い子供がいる。「才能があるのに子育てでやめてしまう人を私はもったいないと思う。 ママになっても自分の才能を活かしてほしい」彼女の演奏に勇気をもらう理由がわかった気がした。  

  • 出会った瞬間、これだと思った

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ラッセル 知絵

Chie Russell


 

    出会った瞬間、これだと思った サンドアーティスト ラッセル 知絵 Chie Russell  

    2020年03月18日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASP(ノースアメリカンサンドペインターズ協会)で講師資格を取得し、インストラクター、サンドアーティストとして活動するラッセル知絵さん。 連絡先:ラッセル知絵(サンドアーティスト) R.SandPaintingStudio@gmail.com 213-537-3957

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    2020年03月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニアの石松拓人さん。2012年に着陸した火星ローバー『キュリオシティ』のエンジニアリングモデルの前で。

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    2020年03月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

    今年で創設55周年を迎える日本民謡「松豊会」の民謡歌手、小杉真リサさん。 photo by Albert Lien