連載・コラム テリー伊藤の東京チャンネル

編集: Weekly LALALA - 2019年10月16日

カネヤン凄すぎるぜ!

日本プロ野球伝説の名投手 金田正一さんが亡くなった。あまりにも凄すぎる記録を持っている。

なんといっても通算勝利400勝は、日本プロ野球が例えこの先1000年続いたとしても破ることは出来ない大記録だ。

 

もし破ることが出来るとしたら、AIロボット球団くらいしか考えつかない。それほどまでのとんでもない数字なのだ。

金田さんの記録の驚くところは、完投数の多さにもある。生涯完投数365、例えば1963年は30勝17敗完投25している。

金田正一さん

子供の頃の私は「中継ぎ・押さえ」という役割があることも知らなかった。

エースは先発すれば必ず9回まで投げるものだと思っていたのだ。

trこの認識は私だけではなく、ほとんどのプロ野球ファンはそう感じていたのではないだろうか。

本当に金田正一は鉄人だったのだ。冷ややかな人は「あの時代だから出来た記録だよ。

当時普通にあったダブルヘッダーで2勝するなんて、今のローテーションだったら考えられない。

あれは金田さんが勝てそうな試合で自分から手を挙げて、途中から登場したから出せた数字なんだ。」というけれど、冗談じゃない!

とんでもない活躍が出来たからこそ、そんな我がままも言えたのだ!

 

あの大谷選手だって入団当初ピッチャーとバッター両方やりたいと発言した時、多くの評論家は大反対し「プロ野球はそんなに甘いものじゃない!両立出来るわけない!」のブーイングだらけだった。

しかし大谷選手が実績を重ねていくと誰も言わなくなった。

まして、金田さんは17歳で国鉄に入団翌年から26歳をのぞいて連勝20勝以上している。

こんな投手に誰が文句を言えるのか。言えるわけがないじゃないか!!

 

現代にもしもこんなスーパースターが登場したら、そして本人が3日続けて登板したいと直訴したら、誰も反対は出来ないだろう。監督だって「お願いします」と頭を下げるに決まっている。

プロ野球はこんなスーパースターをいつだって待っているのだ!

 

私と金田さんについて話したいと思います。

以前私がパーソナリティをやっていたニッポン放送「のってけラジオ」によくゲストに来ていただいた。

番組ではラジオ通販コーナーがあり、金田さんプロデュースの「カネヤン枕」を何度も紹介させてもらいました。この枕が本当によく出来ている。

流石自分の体を大切にする金田さんが本気で考えた枕だけのことがあり、肩に負担がかからず熟睡できる優れものだ。

私自身長年愛用している。

以前入院した時も病院にこの枕を持ち込んだほどだ。その話を後日金田さんに伝えたところ、枕を3個ほどいただいた思い出があります!

また、金田さんから食事に誘っていただき、普通はめったに食べられない銀座の高級料亭でふぐ料理をご馳走になったのも「カネヤン枕」の大ヒットのおかげです。

本当に美味しかったな!

 

もう金田さんとあのお店に行くことは出来なくなってしまったが、いつか金田さんの愛した「ふぐ料理」を食べに行こうと思っている。カネヤン大好きでした。

これが噂のカネヤン枕

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ショッカー軍団に入ろう

 

    大人になったら ショッカー軍団に入ろう  

    2020年08月20日 テリー伊藤の東京チャンネル

    子供の頃、男の子は誰しも一度は仮面ライダーに憧れたものだ。変身ベルトによって(時代によって違うが)本郷猛から仮面ライダーに変身する。さっそうとバイクにまたがり、ショッカー軍団と戦う。ライダーキックで悪を退治する。戦後日本のテレビ界が生んだ大ヒーローだ。   1971年よりスタートした特撮シリーズは、今なおテレビや映画にとその時代時代の子供達の永遠のヒーローとなっている。 そして悪とはショッカー軍団だ。子供達は仮面ライダーに心を奪われるのだが、ショッカーに思いを持つ子供はいない。