連載・コラム ロサンゼルスで暮らす人々

編集: Weekly LALALA - 2019年07月04日

「映画通し生き方学んだ」

映画監督

落合 賢 / Ken Ochiai


 

 ロサンゼルスを拠点に、日本とベトナムでもプロジェクトを展開する映画監督、落合賢さん。たとえ国がどこであろうと、映画作りや映画に携わるところすべてが「自分の居場所」だという。初めて映画を作った12歳のときからそれは変わらない。「小さいころから映画を作り続けていて、もう24年ぐらいになる。ずっと映画中心の人生を送ってきて、映画を通して生き方自体を学んだ」と話す。


 映画作りの楽しさは一つ一つの過程にあり、頭の中にあるやりたいことを一つ一つ具現化していき、各スペシャリストのビジョンが徐々に加わりできあがっていくプロセスや観客と共有することを含めた一つの大きなうねりを楽しめるのだと、その魅力を語る。


 日本の高校卒業後の2002年に渡米し、南カリフォルニア大学(USC)、アメリカ映画協会付属大学院(AFI)で映画作りを学んだ。これまで短長編合わせて30本以上の作品を撮っている。長編映画は計5本。3カ国を股にかけて活動していることもあり、なかなか目標の「年に1本の長編」は難しいというが、全米映画監督協会審査員賞、国土交通大臣賞、ヒューストン国際映画祭最優秀短編映画賞、札幌国際短編映画祭最優秀短編映画賞など数々の賞を受賞し、着実にキャリアを積み上げてきた。


 映画制作の際に意識するのは、〝人と人とのつながり〟だ。「昔からそのテーマは変わっていないけれど、年を重ねるごとにつながりのあり方は変化してきている」と明かす。映画監督にとって一つ一つの作品は、その年年での自分のあり方や成長を記録する「柱につけた身長のキズのようなもの」だという。いろいろと折り合いをつけなければならない部分は出てくるものの、そのときの等身大の自分が作品に表れる。30代半ばになり、周りには第二、第三の人生を歩みだしている人もいる。家族を築く大切さを実感するようになり、「最新作では父娘のつながりを描くことに挑戦した」と語る。


 ベトナムでの長期にわたる撮影を終えた現在は、住み慣れたLAに戻り脚本を書き溜める毎日だ。日本人として日本で生まれ育ち、20代から30代にかけて米国で学び、近年はベトナムで過ごすことも多い。そのクロスカルチャーを活かした作品を作りたいと考えている。スポーツものやミュージカル作品への挑戦や、まだ実現していない米国で英語の長編映画を撮ることも視野に入れている。


 「映画は20世紀の芸術。21世紀の芸術、エンタメは何かと問われると、ゲームなどがあるがまだ映画に取って代わるものはできていないので、それを模索中」と、新たな分野の開拓にも意欲的だ。

LAを拠点に日本、ベトナムで活躍する映画監督、落合賢さん。AFIの卒業制作短編映画『ハーフケニス』では、全米監督協会(DGA)から日本人として初めて審査員特別賞を受賞。これまで数多くの賞を受賞しキャリアを積んでいる。公式サイトはhttp://www.kenochiai.com

 

子どものころハリウッド映画に夢と希望と居場所をもらったという落合さん。「いつか自分も、だれかに居場所だと思ってもらえるような映画を作りたい」と話す

2016年には『サイゴン・ボディガード』でベトナム映画初の日本人監督として注目を浴び、2018年公開の『パパとムスメの7日間』は同国内で大ヒットを記録した

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  • 患者のために行動する

それが私のプロフェッショナル

Scripps Memorial Hospital La Jolla
心臓外科オペ室ナース


成相 麻子
Asako Nariai


 

 

    患者のために行動する それが私のプロフェッショナル Scripps Memorial Hospital La Jolla 心臓外科オペ室ナース 成相 麻子 Asako Nariai    

    2020年04月02日 ロサンゼルスで暮らす人々

    「心臓の手術は必ず一旦心臓をとめなければなりません。やるべきことがすべて終わって再び心臓が動き出す瞬間に立ち会うときが最もやりがいを感じるとき」冷静なやや低い語り口から繰り出される彼女の言葉には心を鷲掴みにされた。 がんの手術は機能を取り除く喪失であるのに対し、心臓は機能を回復させる手術。 「喪失ではなく回復だから好きなんです」なるほど。そんな風に世界が見えているのか。   成相麻子さんが医療の世界に進んだきっかけは「高校の保健の先生が個性的で面白かったから」卒業後は先生と同じ聖路加看護大学へ進学。看護大を出ると看護師・保健師の免許がとれ、保健師免許で産業保健師(民間企業勤務の保健師)として働くこともできる。 「それがわかった上で進学しました」しっかりした人だ。   卒業後は東京の虎の門病院に勤務した。12年在職したうち後半6年間は心臓外科オペ室(手術室)主任。 オペ室ではない他のフィールドに挑戦したいと思っていた矢先、夫の渡米が決まる。 「米国の医療現場で働けるというのは私にとってチャンスなのでは」前向きな彼女はそれを好機と捉えた。当時「キャリアを捨てることが恐くなかったのか」と尋ねたことがある。彼女の答えを忘れたことはない。 「12年かければこれだけのことが出来るという自信があった。日本を離れても努力すれば私はひとかどの人物になれると信じていました」   2016年渡米。彼女はその言葉通りの人生を突き進む。 子供を育てながら勉強し、2017年12月加州の看護師資格を取得。2019年9月からナーシングホーム(医療を受けられる介護施設)で働いた。 ずっとオペ室で働いてきた分、異世界だった。歯がない高齢者の言葉は分かりにくく、認知症患者は話の筋道がなく理解するのに苦労した。しかしこの時間が彼女の世界を広げる。「最初は不本意なフィールドでも経験を積むことは大事です」   同年12月に現在の職場Scripps Memorial Hospitalに転職。心臓外科オペ室のナースとして再び働き出した。毎日3~6件の開心手術を4部屋でまわす。   日米の医療現場の違いを聞いた。「患者に訴えられることもあるので、特にカウント・記録には気を使います。オリエンテーションでマスシューティングへの対応や興奮した攻撃的な患者家族への対応をロールプレイで学んだのはカルチャーショックでした」 オペ室の緊迫したなかでも敢えて空気を読まず言葉に出して確認する。「患者の安全のために一つずつのコミュニケーションが何より大切。だから流してしまった時は落ち込みます。患者のために行動できるかが私の存在意義ですから」   彼女を貫く信念はどこまでも真っ直ぐだ。その信念が今日も誰かを救っているんだろう。  

  • ママになっても
才能を活かしてほしい

マリンバ奏者

高田 直子

Naoko Takada
 


 

    ママになっても 才能を活かしてほしい マリンバ奏者 高田 直子 Naoko Takada    

    2020年03月26日 ロサンゼルスで暮らす人々

    ぽわん、ぽろん、ぽろろん。まるみを帯びた深い音色。スタジオに続く木製扉の前で耳を澄ませて立ち止まった。 マリンバという楽器をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろう。マリンバは、いわゆる木琴の一種。木琴の音は固く乾いた音であるのに対し、マリンバのそれはやわらかい。   マリンバ奏者の高田直子さんのスタジオを訪れた日は、空には雲ひとつなかった。開け放たれたドアの向こうにマリンバが見える。想像よりもずっと大きい。ビブラフォンもドラムもピアノもあった。光が注がれる楽器はどれも本当に神々しい。   マリンバはピアノよりも鍵盤数が多く感じたので尋ねてみると、すぐさまピアノの前に座り「そんなことないです。ほらね」と慣れた手つきで弾いてくれた。 なるほど、マリンバとピアノはまったく違う楽器にみえるが、考えてみれば同じ鍵盤打楽器だ。たたくことで音を出す。   出会いは8歳。母親と一緒に行った雛祭りコンサートだった。「最初は大きな家具だなって(笑)そこで聴いたのは『熊蜂の飛行』でした」 マリンバに出会ってしまった直子さんは「習いたい」と親に頼んだが、最初の頃は一時的なことだろうと相手にされなかった。けれども変わらぬ情熱に母親は「1回だけね」と約束して教室に連れて行ってくれた。   その1回が2回になり3回になった。そのうちに忘れるだろうと思った親の期待とは裏腹に、彼女の熱意は薄まるどころかどんどん増した。 父親は、新聞紙を切って音の出ない即席マリンバを作ってくれ、彼女はそれで練習した。 遂にマリンバを買ってもらったとき、あまりの嬉しさにマリンバの下で寝たほど。   先生についてめきめきと力をつけた彼女は、11歳で初めて舞台に立った。しかし中学の時に一度マリンバを辞めている。「舞台に立って以降は、周りからプロになるの?どうするの?と何度も聞かれ、それがすごく嫌だったんです」   早稲田大学の心理学科に進み、一年間の交換留学でカリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)を訪れたことがその後の運命を大きく変える。早稲田を中退し、CSUNの音楽学科に編入し、再びマリンバと向き合う日々が始まったのだ。   「一日6時間、5年間集中すればプロになれる」と信じ、昼夜問わず練習に身を捧げた。 当時の自分の言葉をどう思うかと聞いたら「生意気だったと思います」と笑った。   2002年、ニューヨークで開かれたヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝したことを機にプロとして始動。「20代のときは仕事を選べなかったけど今は選ぶことができて幸せ。子供と過ごす時間が何より大事です」   交換留学初日に出会ったご主人との間には2人の可愛い子供がいる。「才能があるのに子育てでやめてしまう人を私はもったいないと思う。 ママになっても自分の才能を活かしてほしい」彼女の演奏に勇気をもらう理由がわかった気がした。  

  • 出会った瞬間、これだと思った

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ラッセル 知絵

Chie Russell


 

    出会った瞬間、これだと思った サンドアーティスト ラッセル 知絵 Chie Russell  

    2020年03月18日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASP(ノースアメリカンサンドペインターズ協会)で講師資格を取得し、インストラクター、サンドアーティストとして活動するラッセル知絵さん。 連絡先:ラッセル知絵(サンドアーティスト) R.SandPaintingStudio@gmail.com 213-537-3957

  • 途中でやめるのはいつだって自分

NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニア

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Takuto Ishimatsu



 

    途中でやめるのはいつだって自分 NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニア 石松 拓人 Takuto Ishimatsu  

    2020年03月13日 ロサンゼルスで暮らす人々

    NASA Jet Propulsion Laboratory システムズエンジニアの石松拓人さん。2012年に着陸した火星ローバー『キュリオシティ』のエンジニアリングモデルの前で。

  • 民謡を通して、日本の美しさや日本の心を歌い継ぐ

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小杉 真リサ

Marisa Kosugi


 

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    2020年03月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

    今年で創設55周年を迎える日本民謡「松豊会」の民謡歌手、小杉真リサさん。 photo by Albert Lien