連載・コラム 教育コラム

編集: Weekly LALALA - 2019年09月19日

 

Vol.2

補習授業校を継続することの難しさ

 


 補習授業校は、平日現地校で学ぶ子どもが、帰国後に日本の学校に適応できるように、日本の教科書を使った授業や学校行事など、日本の学校に準ずる教育を行っている学校です。

ただし、多くの学校には、帰国予定の子どものみでなく、永住者や米国市民の子どもも在籍しており、後者の方が多い学校も目立ちます。


 私は補習授業校の教員を、複数校で通算十七年ほど勤めています。娘も幼稚部から高等部までの十三年間通学しました。これらの経験で、永住者や米国市民の子どもが補習授業校を継続することの難しさを実感しています。


 補習授業校を継続することの難しさの一つは、日本の子どもが一年間で学ぶ内容を、週一回のみで履修しなければならないことです。授業だけでは定着しないので、多くの宿題が課されますが、それをこなすのがなかなか大変です。


 娘の場合、幼稚部や小学部一~二年生までは、さほど苦労はしませんでしたが、それを過ぎると、覚える漢字の数も増えますし、難しい言葉も出てくるようになり、徐々に親の手伝いを要するようになりました。

また、毎日、少しずつ進めればよいのですが、平日は現地校の宿題や課外活動、習い事などもあり、ふと気が付くと金曜日になっていたこともあり、そんな時は深夜まで泣きながら取り組んだこともありました。

しかし、大変でも宿題をすることによって授業を理解できる実力が着き、続けることができるのです。


 もう一つの難しさは、現地校との両立です。現地校のエレメンタリースクールは、授業も難しくなく宿題も多くはありませんが、ミドルスクール、ハイスクールと上級学校に進学すると様変わりします。授業や宿題が難しくなるだけでなく、授業によっては平日の放課後や休日にも、コンサートやコンクール、プロジェクトへの参加の必要があり、クラブに所属すれば、練習や試合などに参加せねばなりません。

また、アメリカの大学に進学するためには、ボランティア活動やインターンシップを行う必要もありますし、進学に必要なSATやACTは、補習授業校の授業日の土曜日に試験が行われます。


 娘の場合、オーケストラとバンドの両方をやっており、平日の夜にコンサートに参加することもしばしばありました。

ただし、補習授業校を休まないよう土曜日に練習や試合のあるクラブ活動には、敢えて参加しませんでした。それでもオーケストラやバンドの関係で休むことはありましたし、フットボールのシーズンは金曜日の夜まで試合の応援演奏があり、土曜日の朝に辛い思いをして起きたことも少なくありませんでした。

た、高等部三年の九月からは州内の大学に進学し寮生活をしていましたので、毎週金曜日に車で片道一時間半かけて迎えに行かねばならず、親としても大変でしたが、今は、補習授業校を継続できて、とても良かったと感じています。

 

次回は、『補習授業校を継続することの大切さについて』を掲載します。

 

 


 

夏休み明けは、心身ともに一回り成長した子どもの姿が見られ嬉しいです。一方で、現地校の学年が上がり、勉強が難しくなったり、課外活動が忙しくなったりして、大変そうな子どもの姿を見ることもあります。将来のため、頑張って乗り切ってほしいと思います。

 


 

 

米日教育交流協議会代表
丹羽 筆人

名古屋・東京の河合塾在職後に渡米し、約20年間にわたりCA・NY・NJ・MI州の補習校・学習塾にて指導。2006年に「米日教育交流協議会」を設立。日本語・日本文化体験学習「サマーキャンプ in ぎふ」の企画・運営や帰国生と保護者のサポートを行っている。他に、河合塾北米事務所アドバイザー、名古屋国際中学校・高等学校アドミッションオフィサー北米地域担当。カリフォルニア州サンディエゴ補習授業校教務主任。
 

●米日教育交流協議会ウェブサイト:
www.ujeec.org

 


 

関連記事:その他の教育コラム

  • Vol.1日英バイリンガルを目指した子育て

 

    Vol.1日英バイリンガルを目指した子育て  

    2019年09月18日 教育コラム

    米日教育交流協議会の丹羽と申します。この度、Weekly LALALAの誌面にて在外子女教育について書かせていただくことになりました。  私は1999年に妻と娘(当時2歳9か月)とともに来米し、20年間アメリカに暮らしています。その間、カリフォルニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州、ミシガン州にて在外子女教育に携わってきました。補習授業校や学習塾の教員を務めるとともに、日本の里山を活動拠点とする日本語・日本文化体験学習プログラム「サマーキャンプ in ぎふ」の企画・運営、帰国生のための学校選びや受験に関するサポートなどを行っています。ここでは、このような在外子女教育現場で感じたことを書かせていただきます。  また、私は在外子女の父親でもあります。娘は2歳9か月でカリフォルニア州に来て、すぐにチャイルドケアセンターに通園し、その後、プレキンダーからからハイスクールまで現地校に通学し、アメリカの大学の自然科学部を卒業しました。卒業後はテネシー州の医薬品系企業に就職し、現在はその企業の東京支社に勤務しています。また、娘は幼稚園から補習授業校に通学し高等部を卒業しました。アメリカの大学で専門的な学問(神経科学)を修得し、日英バイリンガルであることが医薬品系企業への就職と日本での勤務につながっています。ここでは、娘の子育てを通じて感じたことも書かせていただきます。  前置きが長くなりましたが、今回は娘の話題を続けさせていただきます。娘は来米直後に通園したチャイルドケアセンターでは言葉が通じないにもかかわらず、ほどなく馴染むことができ、知らないうちに英語を話せるようになりました。家庭でも時々英語を使うようなこともあり、その発音の良さに驚いたものです。また、アメリカのアニメもよく観ていましたし、休日には現地のお友達ともよく遊んでいました。しかし、両親とは日本語で会話しており、日本語力について何の問題も感じませんでした。また、日本の絵本を読んだり、日本のビデオを観たりしたりするのが大好きでしたので、日本語力の低下を心配することもありませんでした。しかしながら、日英バイリンガルとなるためには補習授業校での学習は重要であり、娘を入学させるのはもちろん、私自身も補習授業校で教えたいと考え、サンフランシスコ補習授業校で教員を務めることになりました。  そんな中、娘が現地校のキンダーの時にニュージャージー州に転居することになりました。私はプリンストン補習授業校に勤務することになり、娘も同校の幼稚園に入園しました。親子ともに、週末は補習授業校という生活が始まったのです。今思うと、この生活があったからこそ、娘を日英バイリンガルに育てることができたのです。ただし、この生活を継続することは簡単ではありませんでした。    次回は、『現地校と両立し、補習授業校を継続することの難しさについて』を掲載します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今年3月に約15年間暮らしたミシガン州を離れ、カリフォルニア州サンディエゴで生活しています。毎日のように青空が見られる快適な気候や海が近いこと、日本食が豊富なことを嬉しく思っています。しかし、25年ぶりに一人暮らしとなり、不便で寂しい思いもしています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー