連載・コラム テリー伊藤の東京チャンネル

編集: Weekly LALALA - 2019年09月18日

パラリンピックの隠れた魅力

東京2020パラリンピック競技大会開始までいよいよ1年を切った。2020年8月25日(火)~9月6日(日)競技数22。

チケットの予約状況もおおむね好調のようだ。

実は私、パラリンピックの公式アンバサダーを東京都の小池知事に頼まれ、もちろんお受けさせていただいた。

そんな訳で、先日は「2020パラリンピック1年前カウントダウンセレモニー」に参加してきた。会場となったNHK大ホールは、現役選手をはじめ、国内競技団体や関係者、各国大使、都内の小中高生らが招待されて満員となり大盛況だった。

パラリンピックの選手に向けて会場からは「頑張って!」の大拍手と声援に包まれ、セレモニーは無事終了したのだが、帰り道私は何故か釈然としないものが心に残った。

それって何なのだろう! 暫く心の引っかかりが続いた。  

 

3日後、私は気づいてしまった! パラリンピックを応援するにあたり、感動と優しさに包まれた応援が多すぎるのではないかと。

もちろん障害のある方がハンディを背負いながらスポーツをして、オリンピックを目指すことがどれだけ大変なことであるかは、健常者の私の想像を遥かに超えるものだろう。

でもやっぱり心に引っかかるのだ。下世話な話題がパラリンピックには無さすぎるのではないか。  

 

例えば、1964年東京オリンピックで女子バレーボールを金メダルに導いた鬼の大松、レスリングの八田会長、プロ野球では常に選手にイヤミを言っていた野村監督、審判判定で文句ばかり言っていたロッテの金田正一監督、そう、これなんです!

パラリンピックには名物監督やコーチの姿がまったく見えてこないのです。 「うちの選手は練習で車椅子をすぐに壊してしまう金のかかる奴なんですよ!」

 

「うちの選手は合宿所で女の子を口説いてばかりいる」「練習をさぼる天才ですよ」など、平気でマスコミの前で言える指導者の姿や声がまったく聞こえてこない!

もちろん本当に悪意のあるコメントは問題だと思うが、もっと人間臭さを見せても良いのではないか。

なんだ、私達と一緒じゃないか!競技を見るのもいいけど、あの選手自身に注目してみよう、と思うようになるに違いない。  

 

今のままだと、テレビの解説者が新聞の当たり障りのない競技紹介と選手紹介の解説をする情報だけで本番の試合を見ることになる。これって健康的過ぎませんか?

優しさだけでパラリンピックを見ると、実はいつまで経っても私達と選手の距離は縮まらないのではないか。

よくスポーツには「因縁の対決」という言葉がある。「実はあの二人は普段口もきかないくらい犬猿の仲なのに、試合の時だけは気が合うんですよ」なんて解説をしてくれたら、私達もそんな目で楽しむことができる。  

 

パラリンピックの選手に遠慮は要らない。これがいいのです!

同じ目線で選手と付き合いましょう。気の抜いたプレーをしたらブーイングしてもいいのです。尻を叩いてもいいのです。

そうすることによって選手もナニクソパワーで再びファイティングポーズを取れるのです。

てな訳で、来年はぜひ東京2020パラリンピックの応援に日本に来てください!待ってます。
 

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    Vol.474 渡哲也は「浮浪雲」になりたかったのではないか  

    2020年08月28日 テリー伊藤の東京チャンネル

    日活のアクションスターとして多くの映画に出演した他、「大都会」「西部警察」などで人気を集めた俳優の渡哲也さんが、8月10日都内の病院で肺炎のため亡くなった。78歳でした。連日各ワイドショーでは渡さんの人柄を知る多くの人が話をしています。 「初めて会った時、あれほどの大スターだったのに、席を立ってわざわざ挨拶してくれた。」など、温かい人柄を紹介している。石原裕次郎さんが倒れた後の献身的な態度や、石原プロ・石原軍団を引き継ぐ姿はまさに男の中の男、誰しもがあんな風に生きたいと思わせる圧倒的な魅力のある存在でした。    私と渡さんとの出合いは、石原プロが『第二の裕次郎を探せ!』のオーディションを開催した時でした。石原プロから声がかかり審査員の一人として参加させてもらいました。とは言っても、渡さんと実際にお会いしたのは3回ほどです。穏やかな立ち振る舞いや礼儀正しさは噂通りでした。でも、もしかしたら渡哲也の人間像は違うのではないかという気がします。    1978年テレビ朝日で放送された「浮浪雲」(原作:ジョージ秋山、主演:渡哲也)では、主人公の「雲」の役が渡哲也の本質をついていた気がしてならなかったのです。幕末時代の江戸東海道の宿場「品川宿」で問屋を営み、妻と2人の子供との4人暮らしの生活だった。主人公「雲」は、仕事もせず酒好きで女好き、いつも遊んでばかりいて、動乱の時代の最中にも関わらず、あくせくせずゆったり時を過ごしていた。しかしいざとなったら剣術は強く、まさに昼行燈の男であった。渡哲也とは本当はこんな男だったのでは。仕事もあまりしたくない、家でのんびりと大好きな焚火の前でその火をずっと眺めながら人生過ごしたかったのではないでしょうか。石原プロに入り、裕次郎亡き後軍団を率いた人生は、自身が思い描いていたものだったのだろうか。    本人の意思から、世間に公表したのは8月10日死去の4日後でした。あの愛弟子舘ひろしにも知らせることが無かった。もちろん舘ひろしや石原プロのスタッフも、立ち会えずに無念の思いもあったと思うのですが、渡さんとすればまた裕次郎さんと同じような盛大な葬儀や七回忌はやって欲しくないと思っていたのでしょう。残された人達に、葬儀を挙げなければという使命感を持たせたくなかったからでしょう。渡さんにとってはそんなことより、それぞれが自分の生き方を見つけて生きて欲しいと願っていたのでは。    日活時代の同志吉永小百合さんのお別れのコメントがとても興味深かった。「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さんのところへ行ってしまったのではないでしょうか。ご冥福を心からお祈りします。」この言葉はとても意味があると思いました。仕事仲間だった裕次郎さんのところではなく、弟の恒彦さんのところへ。そう、故郷兵庫県淡路島の海で釣った魚を焚火で焼いていることだろう。もうそこには西部警察のパトカーも、サングラスも、ショットガンも無い。渡哲也は「浮浪雲」に戻ったのではないでしょうか。    

  • 大人になったら
ショッカー軍団に入ろう

 

    大人になったら ショッカー軍団に入ろう  

    2020年08月20日 テリー伊藤の東京チャンネル

    子供の頃、男の子は誰しも一度は仮面ライダーに憧れたものだ。変身ベルトによって(時代によって違うが)本郷猛から仮面ライダーに変身する。さっそうとバイクにまたがり、ショッカー軍団と戦う。ライダーキックで悪を退治する。戦後日本のテレビ界が生んだ大ヒーローだ。   1971年よりスタートした特撮シリーズは、今なおテレビや映画にとその時代時代の子供達の永遠のヒーローとなっている。 そして悪とはショッカー軍団だ。子供達は仮面ライダーに心を奪われるのだが、ショッカーに思いを持つ子供はいない。