連載・コラム あの時何が起こった!?

編集: Weekly LALALA - 2019年09月17日

【手記 ケース1〈前編〉】
DUI : 刑務所暮らしを強いる実刑判決」

トーランス在住 S.Gさん(男性)

 

それは5年前の3月某日のことでした。飲み会の後、すでに一度DUIで捕まったことがあるにもかかわらず未だ懲りずに車を運転していた時のことだ。ガーデナのウェスタンブルーバードの交差点を左折した時に、突然背後にポリスカーの瞬く光とサイレンの音、どうやら車線を外れていたらしい、しかし止まれば飲酒がバレる・・・やばい、どうする、また捕まってしまったら嫁さんや会社の人にも顔向けできん。

 

 捕まりたくない。混乱とともに様々な思いが頭の中を駆け巡る。そして半ば酔っ払った意識がそうさせたのか、パトカーの停止命令に従うどころか、こともあろうに自分は思いきりアクセルを踏み付けていた。最悪の選択。そうそれがカーチェイスの始まりだった・・・。アメリカに住んで10年以上、テレビでもよく見るカーチェイス。ほぼ100%の逮捕率、よもや逃げ切れるわけなどないのは重々承知しているはずだった。

 

 なのに始めてしまった。俺は逃げている。頭の中ではこれで人生おしまいだなというあきらめと、いや逃げ切れるかもというかすかな願いに似た思いが浮かぶも、不思議とまだ遅くないから今からでも止まろう、というまともな考えには至らない。半ばやけくそ、もうしょうがない、やっちまったんだ、今さら止まれるか、なるようになれだ!とばかりに逃げ続けた。今考えれば最低の行為であるのだが(-。-;。

 

 短くも長くも感じた数10分の追跡劇の後、カーブを曲がり損ねスピンした車を前後からポリスカーに挟み撃ちにされ、めでたく?御用となった。気持ちはもう絶望というほかない。気がつけば周りには7〜8台の警察車両、運転席から出てみるとよく映画でみた世界。ライフルや銃を構えた警官が車のドアごしにすべての銃口を自分に向けている。赤いレーザポインターが自分の目線や体に当たっている。うわーっ、撃たれる!死ぬかも、そう思い両手を上げ2〜3歩前に出た瞬間であった。前方の警官が何かを発射した。その瞬間は今でも鮮明に覚えている。それは螺旋状にくるくると回りながら自分の胸に突き刺さり、瞬間的にだが、すべての身体機能が停止!そのままの姿勢で前向きに倒れたのだった。それがテーザー銃といわれるスタンガンの電気ショック銃であったのだ。今考えればそれが銃弾でなかったことが幸運というしかない。

 

 通常のDUIであれば警察内の留置場に泊まる程度で釈放となる(その後の罰則や刑罰はそれなりに厳しいのだが)。まぁ要するに軽量犯罪扱いなのだが、自分の場合は、これにカーチェイスが加味される。この場合、英語でfelonyという重量犯罪となるのだ。留置場から通称ツインタワーと呼ばれる拘置所に送られ、そこから裁判所へと送られる。刑が確定するまでの数ヶ月は拘置所暮らしとなるのだ。

 

 裁判の罪状認定では、例えば抵抗の意思がないのに問答無用のテーザー攻撃を受けたなど、自分にも些少の言い分はあったのだが、全て警察の言い分に対して「I agree (私が悪ぅございました)」と罪を認めたのだ。が、しかし、とりあえずの身柄の釈放は叶わず、出たければ保釈金約15万ドル(日本円で1500万円)。そんなお金は到底持っておらず、カミさんが必死に奔走して探してくれたbail bonds(身柄を留置された人の保釈金を立て替えてくれる組織。成功報酬は約10分の1を支払うことになる)を使って出ることができた。

 

 保釈されたのは、実に逮捕されてから半年が過ぎた頃だった。その後、紆余曲折いろいろとあったが最後の裁判で出されたのは、1年の務所暮らしを強いる実刑判決であった。自分としては実刑を覚悟していたので、残していくことになる女房子供の食べていくための手立てだけは付けておいたのだが。家を一緒に出るときには無理に笑顔を作っていた妻が、刑が確定し手錠をかけられてそのまま護送される自分を、泣きながら見送る姿が不憫で、また申し訳ない気持ちでいっぱいであった。

 

 いよいよ、ここから、いわゆる凶悪犯罪者と暮らす最悪の日々が始まるのだ・・・。

 

(後編へつづく)

 

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アパートの騒音被害。泣き寝入りしないで!

マリナデルレイ在住 40代会社員(男性)

    手記ケース12 アパートの騒音被害。泣き寝入りしないで! マリナデルレイ在住 40代会社員(男性)

    2020年02月14日 あの時何が起こった!?

    アパート住まいというものは、赤の他人が同じ建物の中に集合して住んでいるわけですから、とかく問題は起こるものです。その中で多いのがおそらく「騒音」じゃないでしょうか。僕もこの騒音問題に悩まされた経験があります。    数年前のこと。僕は家族でマリナデルレイのアパートの4階で暮らしているのですが、我が家の真上の5階に住んでいる住人が真夜中にドンチャン騒ぎ。少しの間ガマンしていたのですが、うるさくて寝れやしない。時計を見ると、午前2時になろうとしている。間もなく我慢の緒が切れた僕は、「うるさい!もうガマンできない。警察に電話する!」と通報を決心。    実は、上に住んでいる住人がうるさいのは、これが最初ではありませんでした。それまでにもドンチャン騒ぎをすることがたびたびあって、その都度、僕は上の階に行って、トントンとドアを叩き「うるさいので静かにしてもらえませんか?」と注意しに行くんですが、僕がドアの前に立っているのがわかると、サササーーっと部屋の奥に入っていってとたんに静かになる。    さすがにこの時は、真夜中。以前、知り合いからカリフォルニア州では夜10時から朝6時の間の騒音は通報したり、抗議できる法律になっていると聞いたことがあります。とはいえ、たかが近所の騒音ごときで警察が来てくれるかどうか。僕はダメもとで911コールしました。するとコールセンターの人が「最寄りのポリスステーションに連絡するといいわよ」とすぐに電話番号を教えてくれて、通報すると、ものの10分ほどで警察官が来てくれました。上の住人が騒いでいると伝えるとすぐに上にあがってドアをたたいてくれました。「ポリスだ。騒いでいるのはこの部屋か?静かにしなさい」    その瞬間、しーーーーーーーーん・・・。    何事もなかったかのように、静まり返っています。当然です。警官が来ても、騒ぎ続ける人なんているわけありません。彼らは、警察に通報されるとも、警察が来るとも思わなかったのでしょう。びっくりしたみたいで、とりあえずドンチャン騒ぎはおさまりました。それからしばらくして、その住人は引っ越して、今僕は騒音におびやかされることなく平和に暮らしています。    この一件で僕が学んだのは、「騒音被害は泣き寝入りしないこと」です。忍耐強い日本人の性格上、少々のことはガマンしがちですし、近所の人がうるさくても言いに行くのが億劫なのはわかります。それに、騒音ごときで警察がすぐに助けにきてくれるかどうか、半信半疑にもなるでしょう。    でも、警察は来てくれます。警察を呼んでもお金を請求されることもありません。    騒音には、僕が経験したような、パーティなどのドンチャン騒ぎ、上の部屋から聞こえてくる大きな足音、犬の鳴き声など様々なものがあります。警察でも解決できないようなひどいレベルの騒音被害だと、裁判に持ち込まれることもあります。    でも被害者はあなたなんです。社会システムの常識として、法律は迷惑している側の人を助けてくれるはず。ぜひ、ガマンしないで訴えてください。きっと法律はあなたの味方になってくれると信じています。  

  • 【手記ケース11 〈後編〉】
買い物中に娘が迷子に。幼児虐待とみなされ警察が!?


グレンデール在住 30代女性

 

    【手記ケース11 〈後編〉】 買い物中に娘が迷子に。幼児虐待とみなされ警察が!? グレンデール在住 30代女性  

    2020年02月08日 あの時何が起こった!?

      とにかく生きた心地がしなかった。忘れた頃に携帯に鳴り響くアンバーアラートを思い出しました。あの子は誰かに連れ去られたんじゃないか。今、恐がっているんじゃないか。恐ろしい目に遭ってるんじゃないか。うちの子を誰かが連れ去ったとしたら、目を離した自分のせいだと己を責めました。 でも一方で、じゃあ、どうしたらよかったんだろうとも思います。他にどんな手があっただろう。幼い子供二人を育てながらのアメリカ生活は、なんて不安全で、過酷なんだろうとも。   どれくらいの時間が経ったでしょうか。夫から電話がかかってきました。ぜいぜいぜいぜい。息の上がる声で彼は途切れ途切れにこう言いました。「いたよ、見つけた、もう、大丈夫」力が抜けました。止まっていた血がどっと流れ始めたように感じました。よかった。本当によかった。何がどうなって見つかったのか全然わからないけれど、本当によかった。 子供の安全を確認できたからでしょうか、次に私が考えたのは、幼児放置で自分は捕まるのだろうかということでした。 アメリカ社会は子供の虐待に非常に神経質です。少しの間、目を離しただけでも幼児虐待と見なされます。友人がスーパーに行っているちょっとの間、赤ちゃんを車内に置いておいたことで、警察の尋問を受け、裁判所に出頭したという話を風の噂で聞いていたので内心震えあがっていました(怖ろしくて本人には直接聞いてません)。   その後、夫と落ち合って話を聞いたところによると、事の成り行きはこうでした。娘は、階段で二階に上がり一人で遊んでいたときに、知らないおばさんから話しかけられ、つい頷いて、付いて行ってしまった。 その女性は大学内にあるデイケア(保育園)で働くスタッフの方だった。近くに親もいなかったので、迷子だと思い、自分の働くデイケアに連れて帰り、保護して警察に電話をしなければならないと思ったんだそうです。うちの娘はその当時、まったく英語を理解してませんから、自分の名前や年やママの名前を英語で聞かれても何も答えられず、そのスタッフにとって何の手掛かりもない困った状態でした。 もし、そこで二人が押し問答していたら、その場にしばらくはとどまっていたはずですから、私が見つけられた可能性はあったはずです。けれどももちろん後の祭り。   私のパニックの電話を受けた夫が、オフィスからこちらに向かってくる途中(今まで生きてきた中で一番のスピードで走ったと話していました)、たまたま、そのデイケアの横を通り、その方と娘がデイケア内にいるところを偶然にも見つけ「すみません、僕の娘です」と説明して事なきを得て、娘を自分のもとに返してもらったということでした。 通報を受けた警察はデイケアに向かっている途中でした。奇しくも警察の到着前だったので、私たち夫婦は尋問を受けることなく解放されました。娘を抱っこしてこちらに歩いてくる夫を見たとき、安堵で視界がにじみました。 あのときの気持ちは数年経った今でも時々思い出すほどです。本当に怖ろしかった。   夫のヘルプによって私は結果的に捕まらずに済みましたが、その方から「二度、迷子にさせてしまったら幼児虐待であなたは捕まりますよ」と夫は忠告されたそうです。アメリカで子供を育てる苦労を身をもって体験した出来事でした。   皆さん、日本の意識のまま生活していては、ここでは痛い目をみます。子供から片時も目を離してはいけません。特に小さい子は。私のような怖ろしい体験をしないで済むようにぜひ気を付けてください。

  • 【手記ケース11 〈前編〉】
買い物中に娘が迷子に。幼児虐待とみなされ警察が!?

グレンデール在住 30代女性

 

    【手記ケース11 〈前編〉】 買い物中に娘が迷子に。幼児虐待とみなされ警察が!? グレンデール在住 30代女性  

    2020年01月31日 あの時何が起こった!?

    私は以前ボストンに住んでいました。夫は博士課程の学生で、私たちにはお金がありませんでしたから車は持っていませんでした。ですので、食料を手に入れる際はいつも徒歩で行くしかなかったんです。当時、0歳児と2歳児の母親だった私は、家に子供を置いていくわけにもいかず、ベビーカーに赤ちゃんを乗せて、もう一人は歩かせて、週に一度やってくる大学内の青空市場に毎週野菜を買いに出かけていたのです。考えてもみてください。2歳児はまっすぐ歩くことさえままなりません。しかしベビーカーには赤ちゃんを乗せているために彼女を歩かせるしかなく、この買い物はそれ自体非常に過酷な体験でした。大人の足で片道10分の距離を、2歳児と一緒に片道30分かけて歩いて行ってました。   ある日の火曜日。市場に着き、ベビーカーのまま市場の通路を歩くには歩けるのですが、そうすると通路を全部塞いでしまうために、私は他の学生さんやママに申し訳なく、そこから少し離れた場所にベビーカーを置きました。赤ちゃんをそのまま寝せておくわけにはいかないので抱っこひもで抱えて、前には赤ちゃん、背中には(財布やオムツが入った)リュックサック、右手には買い物かご、左手には2歳児の手、という状態で買い物をしておりました。まるで、砂漠を歩く、体じゅうに荷物をくくりつけられているラクダのようです。しかし、ジャガイモを選ぶ、ニンジンを選ぶ、キャベツを選ぶそのときに、片手が必ず必要になりますから、2歳児の手は離すしかありません。   私の横にずっとついていられるはずもない落ち着きのない2歳児は「ママ、あっちいるね」という言葉を残し、その場を離れました。ふと目を遣ると、さきほど置いたベビーカーのそばの階段で遊んでいたので「多分大丈夫。さっさと済ませよう」と買い物に集中しました。しかし会計が終わってそこに目を遣ると、娘がどこにもいないんです。私は動転しました。頭は真っ白。迷子にさせた? 連れ去られた? 一体どこにいるの? そのとき真っ先に考えたのは、走りたかったということでした。体ひとつで自由に走ってその場をくまなく見て回りたかった。確認したかった。聞いてまわりたかった。一刻も早くそれをしなければならない。しかし、ベビーカーに赤ちゃんを置いたままにすれば、私は捕まります。ギリギリな冷静さがあった私は、買った荷物だけベビーカーに置いて、赤ちゃんを抱っこしたまま階段を駆け上がって娘の名前を叫び、近くのカフェテリアに行って「小さな女の子を見なかった?」と拙い英語で聞いて回りました。しかし、どこにもいない。どの学生も、カフェテリアの店員も、青空市場のスタッフも、的を得ない。口をそろえて「何も知らない」と首を振る。真っ青です。一体、あの子はどこに行ってしまったんだろう。   そうだ夫だ!と思って、すぐさま夫に電話。いつもすぐにつながることはないのですが藁にも縋るような気持ちでした。なんでもいい、知恵でも手でも借りたかった。緊急事態を察した夫は「すぐにそっちに行く」という言葉を残して電話を切りました。アメリカのキャンパスは異常に広い。夫のいるオフィスからここまでは端っこと端っこ。彼が来たときに何か事態が動いているとは思えませんでしたが、自分だけでパニックを抱えていた私は、このパニックを共有できたことだけが、そのとき唯一の進歩だと思いました。   後編(2月7日号)に続く  

  • 【手記ケース10〈後編〉】

たかが痴話ゲンカから強制送還に

元エルセグンド在住・現日本在住 20代女性

 

    【手記ケース10〈後編〉】 たかが痴話ゲンカから強制送還に 元エルセグンド在住・現日本在住 20代女性  

    2020年01月24日 あの時何が起こった!?

      前編 1月17日号より  1年ほど前、アメリカ人の彼氏とちょっとしたことでケンカになり、彼の暴力を両手を止めようとしていたところを警察が見て、私が彼に襲い掛かっていると誤解された上に、彼氏が「この女が俺に殴り掛かってきた」と言い、加害者として警察署に連行されました。たかがケンカなので、警察署で事情を聴かれて終わり、不起訴になるはずと思っていた私の予想を通り越して、暴力事件の裁判になったのです。   その事件の日から60日ほど経ってから、私は裁判所に呼び出され、初公判が行われました。たかが口ゲンカなので弁護士さんにも相談しませんでしたので、自分一人で裁判官の前に立ち、ケンカの現場に来た警察官も出廷していました。私の心の中でこうつぶやいていました。「だって、私は何もしていない。私が彼氏に暴力をふるったわけでもないし、そもそもこれくらいの口ゲンカを裁判所が取り上げること自体がおかしい。裁判に呼ばれたから、とりあえず来ただけ。ぜんぜん大丈夫なはず」   初公判で有罪判決   女性の裁判官でした。その裁判官は私に質問を一つすることなく判決を言い始めました。 「あなたは有罪!強制送還とします。 これで公判は終了。ただ猶予は与えましょう。この場ですぐに即、国外退去にならないだけラッキーだと思いなさい」   強制送還だなんて・・・私は心臓が止まりそうになるほどショックでした。これは日本人である私に対しての「人種差別」だと強く感じました。なぜなら、私の彼はコケイジョンのアメリカ人。現場にかけつけた警察官はアジア人である私が暴力をふるったと証言した。アパートの隣人たちも「女の子のほうが何語かわからない言葉で大きな声で叫んでいた」と証言。   私はすぐに日本人の弁護士さんに連絡。弁護士さんは私に不利な状況であることを理解し、アパートに住人たちに聞き込みをしてくれたり、私が彼氏に暴力をふるっていないことを証明できる証人探しに走り回ってくれました。     二回目公判→最終判決は「強制送還」  しかし結局、第三者からの供述調書も取れず、不利な証言や証拠しかないまま、二回目の公判。この時こそは弁護士さんと裁判に臨みましたが、そこでも一回目の判決をくつがえすことはできず、最終判決は「有罪、強制送還」で終わってしまいました。グズグズしていると本当につまみ出されるので、私は迅速に荷物をまとめ泣きながら日本へ帰国しました。    悔しい!どうにも納得いきません。暴力をふるわれた側がなぜ強制送還になるのか。しかも、有罪になり逮捕歴になってしまった今、10年間はアメリカに入国できないでしょう。私は今回の一連の件は、私がアメリカ人ではなく、肌の色が違うことで受けた差別だとしか思えないのです。その悔しさや苦しみ、そしてすべての日本人に起こりうることとして、この場をお借りして綴らせていただいたしだいです。  

  • 【手記ケース10 〈前編〉】

たかが痴話ゲンカから強制送還に

元エルセグンド在住・現日本在住 20代女性

 


 

    【手記ケース10 〈前編〉】 たかが痴話ゲンカから強制送還に 元エルセグンド在住・現日本在住 20代女性    

    2020年01月17日 あの時何が起こった!?

      私は1年ほど前まで、大好きな街ロサンゼルスに住んでいました。しかし、今はその街に私はいません。なぜなら強制送還になり、泣く泣く日本に帰国するしかなかったのです。これは日本からの投稿です。今回日本からこの手紙を書いたのは、私がいわれのないことで強制送還にされた悔しさ、そしてその原因となった事件は、日本人の皆さんにも簡単に起こりうることだと思ったからです。   事件のそもそもの発端は、私と彼氏の間の本当に小さなケンカでした。私は日本から来た日本人学生、彼氏はコケイジョンのアメリカ人で、会社勤めをしている社会人でした。付き合い始めて少しして同棲し始め、LAX空港近くのエルセグンドのアパートに住んでいました。私も彼も気は短いわけでもなく、どちらかといえば穏やかで、ガマンする性格ですが、ちょくちょく小さなケンカはありました。原因は、言葉の問題によるコミュニケーションの行き違いや、部屋を散らかす彼に私が注意したりなど、本当に小さな言い合い。   その日も、食べたお皿をどっちが洗う洗わないといったほんのささいなことで口ゲンカが勃発。私が文句をひとこと言うと、彼はここぞとばかりに早口の英語で攻撃してくる。それに対してムカついた私は、カアっとなって英語も出てこなくなり、「うるさい! だまりなさいよ!」と日本語で大声で叫んでいました。   言い合いがエスカレートすること小一時間。一方の彼も怒りが頂点に達してきたのか、床をドンドンと地団駄踏んだり、目の前にある椅子を蹴飛ばしたりしていましたが、とうとうブンっと拳を振り上げて私に殴り掛かったのです。私は必死になって「痛い!!やめて!やめてよ!!!」と彼の攻撃を両手で止めようとしました。   その時です、ドンドンっと大きく玄関のドアを叩く音が聞こえました。「警察だ!ドアを開けなさい!」と言うやいなや鍵が開いていたので、警官2人が部屋に踏み込んできたのです。その警官2人ともがあろうことか、ちょうど彼氏からの攻撃を止めようと両手を振り上げていた私に飛び掛かかってきて取り押さえたのです。その瞬間、彼氏が信じられないことを言ったのです。   彼:「彼女が僕に殴り掛かってきたんだ!彼女を捕まえてくれ!」 私:「違う!違う!私じゃない!」    かなり興奮していた私は、もう叫び声しか出てきませんでした。英単語一つ頭に浮かんでこなかったのです。警官たちも「君が彼に襲い掛かったのを見たよ。君を警察署に連行する。彼は家にいていい」。信じられない・・・殴り掛かったのは彼であり、私はそれを止めようとしただけなのに。怒りが達し、興奮と悔しさを抱えたままの私は身柄を確保され、ポリスカーの後部座席に乗せられ、そのままエルセグンドの警察署に連れていかれました。署では事情聴取をされ、一連のケンカの流れをつたない英語で伝えましたが、警官が言うには「これは君が彼に殴り掛かった暴力事件だ。君のアパートの隣人たちが恐れて911通報をしてきたんだ」    911通報したアパートの隣人たちが警察に話したのは、明るい時間に始まったケンカが夜になって暗くなるにつれ、だんだん声が大きくなってきた。しだいに壁や床をドンドン、ガンガンと殴るような音や、英語ではない、何語かわからない叫び声が聞こえてきて怖くなったので911通報した、とのことでした。   しかし、たかが彼氏・彼女の間の痴話げんか。警察署に連れて行かれて事情を聴かれて終わり、と思っていた私の予想をはるかに通り越して、自分に不利になる証言や状況下の中、暴力事件の裁判となったのです。   その事件の日から60日ほど経った初公判の日―。   <後編 1月24日号へ続く>