連載・コラム ロサンゼルスで暮らす人々

編集: Weekly LALALA - 2018年11月28日

キーワードは“夢”

プロデューサー/ アートディレクター

髙野 力哉 |Rikiya Takano


 

 「夢は大きく、心は優しく」。映画プロデューサー/アートディレクターの髙野力哉さんが心の中に大切にしまっていることばだ。小学生時代、洋画好きの父の影響もあって興味は自然に映画へと向いていった。唯一観ていた邦画が『釣りバカ日誌』シリーズ。テレビで偶然観てから、主演俳優の西田敏行さんの作品を鑑賞し始め、気づけばファンレターを何通も送るほどの大ファンになっていたという。ある日、一通の封書が髙野さん宛に届いた。中に入っていたのは冒頭のことばが書かれた西田さんからの直筆サイン色紙。「難しいことばではなかったし、素直に心に響いた」というこのことばを、これまでの人生でずっと励みにしてきた。


 映画に携わりたいという気持ちは小学生から一貫して変わっていない。初めての映画制作は小学校の授業の一環で監督を務めた作品だった。以降、学園祭用の作品に役者として出演したり、脚本を書いたり編集をしたりと、さまざまな形で毎年1本は映画作りをするようになった。将来の道が決まったのは、中学校3年生のとき。文化祭で17分間の米国ドラマのパロディを制作した。監督、脚本、編集などほぼすべてをゼロから自分の手で行い、上映が終わった瞬間に大きな達成感を感じたという。「あのときに、企画を立て、話し合いを重ねて計画を詰めていくことにやりがいを感じる自分には制作が向いていると気づいた」。以来、ずっと一つの夢を追い続ける。


 ロサンゼルスへやってきたのは2015年のこと。ハリウッド映画『ラストサムライ』を観て衝撃を受け、俳優・渡辺謙さんの活躍を見て「日本人でも米国で活躍できる可能性があるなら、本場のハリウッドで挑戦したい」という思いが芽生えた。LAではCSUノースリッジ校で映画制作を専攻し、アートディレクターとして参加した卒業制作作品『アマール(Amal)』は大学代表作に選出された。現在は制作会社に所属するかたわら、フリーランスとしても活躍。TVシリーズ『Musashi』やNetflixのTVショー『Hyperdrive』など複数のプロジェクトに携わっている。「撮りたいのはノンフィクション映画。実話を元にしている作品は人生を語るものが多く、観る人は自分の人生を照らし合わせる。一本の映画で人生の選択肢を与えるような作品を作りたい。観た人がメッセージを感じてくれ、考えさせることができればと思う」。キーワードは〝夢〟。自身が西田さん、渡辺さんからインスパイアされたように、だれかにとって夢の実現や将来につながる何か、あるいは勇気、元気を与えたい。髙野さん自身の夢は、そんな作品をプロデュースしていくことである

映画プロデューサー/アートディレクターとして活躍する髙野力哉さん。「いつかは渡辺謙さんとハリウッドで映画を撮りたい」と話す(ウェブサイトはrikiya-takano-2414. squarespace.com)

 

小学生時代、西田敏行さんから送られてきたという色紙に書かれた「夢は大きく、心は優しく」ということばは高野さんの人生のモットーとなっている

だれかにとって夢の実現や将来につながる何か、あるいは勇気、元気を与える作品を造ることが髙野さん(左)の夢だ

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  • 患者のために行動する

それが私のプロフェッショナル

Scripps Memorial Hospital La Jolla
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成相 麻子
Asako Nariai


 

 

    患者のために行動する それが私のプロフェッショナル Scripps Memorial Hospital La Jolla 心臓外科オペ室ナース 成相 麻子 Asako Nariai    

    2020年04月02日 ロサンゼルスで暮らす人々

    「心臓の手術は必ず一旦心臓をとめなければなりません。やるべきことがすべて終わって再び心臓が動き出す瞬間に立ち会うときが最もやりがいを感じるとき」冷静なやや低い語り口から繰り出される彼女の言葉には心を鷲掴みにされた。 がんの手術は機能を取り除く喪失であるのに対し、心臓は機能を回復させる手術。 「喪失ではなく回復だから好きなんです」なるほど。そんな風に世界が見えているのか。   成相麻子さんが医療の世界に進んだきっかけは「高校の保健の先生が個性的で面白かったから」卒業後は先生と同じ聖路加看護大学へ進学。看護大を出ると看護師・保健師の免許がとれ、保健師免許で産業保健師(民間企業勤務の保健師)として働くこともできる。 「それがわかった上で進学しました」しっかりした人だ。   卒業後は東京の虎の門病院に勤務した。12年在職したうち後半6年間は心臓外科オペ室(手術室)主任。 オペ室ではない他のフィールドに挑戦したいと思っていた矢先、夫の渡米が決まる。 「米国の医療現場で働けるというのは私にとってチャンスなのでは」前向きな彼女はそれを好機と捉えた。当時「キャリアを捨てることが恐くなかったのか」と尋ねたことがある。彼女の答えを忘れたことはない。 「12年かければこれだけのことが出来るという自信があった。日本を離れても努力すれば私はひとかどの人物になれると信じていました」   2016年渡米。彼女はその言葉通りの人生を突き進む。 子供を育てながら勉強し、2017年12月加州の看護師資格を取得。2019年9月からナーシングホーム(医療を受けられる介護施設)で働いた。 ずっとオペ室で働いてきた分、異世界だった。歯がない高齢者の言葉は分かりにくく、認知症患者は話の筋道がなく理解するのに苦労した。しかしこの時間が彼女の世界を広げる。「最初は不本意なフィールドでも経験を積むことは大事です」   同年12月に現在の職場Scripps Memorial Hospitalに転職。心臓外科オペ室のナースとして再び働き出した。毎日3~6件の開心手術を4部屋でまわす。   日米の医療現場の違いを聞いた。「患者に訴えられることもあるので、特にカウント・記録には気を使います。オリエンテーションでマスシューティングへの対応や興奮した攻撃的な患者家族への対応をロールプレイで学んだのはカルチャーショックでした」 オペ室の緊迫したなかでも敢えて空気を読まず言葉に出して確認する。「患者の安全のために一つずつのコミュニケーションが何より大切。だから流してしまった時は落ち込みます。患者のために行動できるかが私の存在意義ですから」   彼女を貫く信念はどこまでも真っ直ぐだ。その信念が今日も誰かを救っているんだろう。  

  • ママになっても
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マリンバ奏者

高田 直子

Naoko Takada
 


 

    ママになっても 才能を活かしてほしい マリンバ奏者 高田 直子 Naoko Takada    

    2020年03月26日 ロサンゼルスで暮らす人々

    ぽわん、ぽろん、ぽろろん。まるみを帯びた深い音色。スタジオに続く木製扉の前で耳を澄ませて立ち止まった。 マリンバという楽器をご存知の方はどれくらいいらっしゃるだろう。マリンバは、いわゆる木琴の一種。木琴の音は固く乾いた音であるのに対し、マリンバのそれはやわらかい。   マリンバ奏者の高田直子さんのスタジオを訪れた日は、空には雲ひとつなかった。開け放たれたドアの向こうにマリンバが見える。想像よりもずっと大きい。ビブラフォンもドラムもピアノもあった。光が注がれる楽器はどれも本当に神々しい。   マリンバはピアノよりも鍵盤数が多く感じたので尋ねてみると、すぐさまピアノの前に座り「そんなことないです。ほらね」と慣れた手つきで弾いてくれた。 なるほど、マリンバとピアノはまったく違う楽器にみえるが、考えてみれば同じ鍵盤打楽器だ。たたくことで音を出す。   出会いは8歳。母親と一緒に行った雛祭りコンサートだった。「最初は大きな家具だなって(笑)そこで聴いたのは『熊蜂の飛行』でした」 マリンバに出会ってしまった直子さんは「習いたい」と親に頼んだが、最初の頃は一時的なことだろうと相手にされなかった。けれども変わらぬ情熱に母親は「1回だけね」と約束して教室に連れて行ってくれた。   その1回が2回になり3回になった。そのうちに忘れるだろうと思った親の期待とは裏腹に、彼女の熱意は薄まるどころかどんどん増した。 父親は、新聞紙を切って音の出ない即席マリンバを作ってくれ、彼女はそれで練習した。 遂にマリンバを買ってもらったとき、あまりの嬉しさにマリンバの下で寝たほど。   先生についてめきめきと力をつけた彼女は、11歳で初めて舞台に立った。しかし中学の時に一度マリンバを辞めている。「舞台に立って以降は、周りからプロになるの?どうするの?と何度も聞かれ、それがすごく嫌だったんです」   早稲田大学の心理学科に進み、一年間の交換留学でカリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)を訪れたことがその後の運命を大きく変える。早稲田を中退し、CSUNの音楽学科に編入し、再びマリンバと向き合う日々が始まったのだ。   「一日6時間、5年間集中すればプロになれる」と信じ、昼夜問わず練習に身を捧げた。 当時の自分の言葉をどう思うかと聞いたら「生意気だったと思います」と笑った。   2002年、ニューヨークで開かれたヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝したことを機にプロとして始動。「20代のときは仕事を選べなかったけど今は選ぶことができて幸せ。子供と過ごす時間が何より大事です」   交換留学初日に出会ったご主人との間には2人の可愛い子供がいる。「才能があるのに子育てでやめてしまう人を私はもったいないと思う。 ママになっても自分の才能を活かしてほしい」彼女の演奏に勇気をもらう理由がわかった気がした。  

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    2020年03月04日 ロサンゼルスで暮らす人々

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