連載・コラム テリー伊藤の東京チャンネル

編集: Weekly LALALA - 2019年08月13日

ジャニーさんありがとう!

7月9日にジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(87歳)が、くも膜下出血のため都内の病院で死亡した。

 

米国ロサンゼルス出身、6月18日に体調不良を訴え救急搬送され、所属タレントは連日病院に駆けつけたが、その祈りは届かなかった。

 

私とTBSの朝の報道番組で共演しているTOKIOの国分太一さんも何度か病院にお見舞いに行っていたが、復帰とはならなかった。

 

私の中のジャニーさんの思い出話をしたいと思います。

よくジャニーズ帝国だとか、多くのタレントを輩出したカリスマだとか、残された遺産は300億円だとか、ジャニー喜多川さんのイメージがひとり歩きしていますが、私の知っているジャニーさんは本当に普通の演出家だったとずっと思っています。

 

ジャニーさんとの出会いはそんなに昔ではありません。

今から10年位前だったと思いますが、東京日比谷の「日生劇場」でのジャニーズの舞台を見に行きませんかというお誘いをいただきました。

同じ芸能界にいても、お笑い業界で育った私と、エンターテイメント業界のジャニーさんとは、それまで会う機会もありませんでした。芸能界で名声が知れ渡っているジャニーさんからの直接のお誘いに「緊張する!!」が最初の感想でした。

 

 

Sexy-Zoneのデビューしたてのステージでしたが、私にとっての初めてのジャニーズのショーは眩し過ぎました。

関係者以外、男性のお客さんはゼロ!! ジャニーズジュニアが脇を固める舞台はまさに夢の国に入り込んだ気分でした。

「俺が女の子だったら絶対ジャニーズの追っかけになっているな!」とうなずきながら、アイドルらしからぬ鍛え抜かれたダンスにびっくりしたものでした。

 

前半1時間のステージが終わり休憩に入った時に、関係者に促されて別室に行きました。そこには豪華なお寿司が用意されており、申し訳ない気持ちになっていた時にジャニーさんが入ってきて、不安そうな顔で「テリーさんはじめまして!ステージ楽しんでもらっていますか?」と言われた。

 

「いや~初めて見せていただいたのですが最高です!ワクワクします!」と答えると「後半も楽しんでくださいね」と言って早々部屋を後にしました。その間10分足らずです。

 

ジャニーさんはほとんど私と目を合わせることもありませんでした。

そうか、ジャニーさんてシャイな人なんだ、世間でいわれているカリスマなんかじゃなくて、本当に演出一筋の方なんだと強く感じました。

 

公演後、控室に挨拶に訪ねた時、ジャニーさんは既にもう若手に明日の演出をされていたのです。そう、根っからの演出家です!

 

そんな事が始まりで毎年2、3回ジャニーさんとお会いする機会を持つようになりました。

 

最後にお会いしたのは今年1月の「ジャニーズお正月公演」でした。ふたりきりで話す時間があったので、こんな質問をしてみました。

「ジャニーさんの夢はなんですか?」

即座に答えが返ってきました。

「来年2020年東京オリンピックが開催されて海外からたくさんのお客様が日本に来るので、世界中が日本に注目をしている時期にジャニーズを世界の皆さんに知ってもらいたい!」と遠くを見るような表情でお話してくれました。

 

それともうひとつは「今の日本の平和は、過去の悲しい戦争があっての平和だということを忘れてはいけない。若い人達にこのことを知ってもらいたい」と。

 

テレビでジャニーさんを評価する時「新人を見抜く力がある」とよく言われますが、私はそうは思わない。ジャニーさんは「新人に憧れる力がある」と言いたい。

ジャニーさんは決して上から目線で男の子を見てはいません。彼らの未来を想像して憧れているのだと思う。商売だけの感覚で人を見るのではなく、ピュアな気持ちでいたのでは。

 

晩年のジャニーさんは舞台に命をかけていました。それも、太平洋戦争時代に疎開していた和歌山県での空襲や、その後再び米国に渡って芸能の世界に入っていくという、ご自身の戦争体験を舞台で表現していました。

 

「現在の日本の平和は、あの戦争体験があったからこそ」という強いメッセージ性を持ったストーリーです。近い将来「ジャニーズ・アイランド」は再演されることでしょう。その時は是非日本に来て、観てください。素晴らしい作品です。

ジャニー喜多川さんの思いが全て入っています。

 

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