連載・コラム テリー伊藤の東京チャンネル

編集: Weekly LALALA - 2019年08月08日

ピザよ、おまえは何処へゆく

 

 私の通っている慶応大学の最寄り駅辻堂から徒歩15分のところにイタリアンレストランがオープンした。その名も「オリーブの丘」。

 

妙に爽やかな名前だが、ここがものすっごく混んでいる。昼から夜まで大変な賑わい。

ファミリーレストランなので当然駐車場スペースはあるのだが、驚くことに駐輪場はいつも満杯なのだ。PTAの集会場のようにご近所の主婦たちで毎日ごった返している。

それだけではない。カップルも遠方から、サラリーマンも仕事の途中でやって来る。

私は週に2度この店の前を通るのだが、いつも満席で横目に見ながら通り過ごしていた。

 

ある雨の日、嬉しいことに空席が見えたので、このチャンスを逃すまいと店へ入った。

元気な女性店員に迎えられ席に着いて思わずびっくりしたのは、メニューに見る値段の安さだ。パスタランチ690円。それには好きなパスタはもちろん、ドリンクはスープを始めナン十種類もが飲み放題、更にここからが凄い!

女性店員が「サラダにしますか?ピザにしますか?」と聞いてきた。「スープにしますか?サラダにしますか?」は聞いたことはあるが、ピザは聞いたことがない。アメリカでもさすがにこんな大盤振る舞いは無いのではないか。

 

友人と二人で行ったので、それぞれサラダとピザを注文した。どうせ味は大したことがないだろうと見くびっていたら、これが大間違い。

私の頼んだアラビアータは麺もアルデンテで無茶苦茶美味しかった。ピザは薄くてこれまた無茶苦茶美味しい。呆れるほどだ。

私は別にこの店から宣伝してくれと頼まれたわけではない。それにしても、こんなに安くして採算は合うのかと余計な心配をしてしまう。特に奥様軍団は滞在時間が長い。スープ→ジュース→コーヒー→紅茶と、何度もドリンクバーを往復している。

 

私はふとイタリア料理って何なのだろうと思ってしまった。

思い返せば私が初めてイタリア料理を知ったのは今から51年前の大学時代18歳でした。知り合いの女子大生に、銀座の美味しいイタリア料理店「イタリー亭」に行こうと誘われたのが最初でした。

 

緊張した私は初めて使ったタバスコをかけ過ぎ、口の中が火事のようになったにも関わらず、悟られないようにしていたのがピザとの出会いでした。

 

そう、私にとってピザは長い間特別な位置を占めていたのです。とても気高い料理だったのです。

その後何度か「イタリー亭」に行くとき、私はドレスアップして蝋燭の明かりの下、雰囲気を楽しんだものです。

 

それがある時、日本でもピザのデリバリーが開始されました。あの敷居の高かった本場イタリアのピザが、電話一本で、バイクに乗ったお兄さんが届けてくれる。

周りはみんな「やった、今日はピザパーティーだ!」と大歓迎していたが、私は当時素直に喜べなかったのです。

 

月日は流れ…心の中で圧倒的に地位の高かったピザが、今やサイドメニューとなり「サラダにしますか?ピザにしますか?」とは。

これから先ピザはどこにいってしまうのでしょう。51年前日本では眩しすぎたピザが今やパスタランチのわき役に甘んじている。今の子供や若者は〝ピザ〟をどう思っているのでしょうか。緊張しながらピザを食べる人はいなくなってしまったのでしょうか。

 

お替り自由のエスプレッソコーヒーを飲みながら私はそんなことを考えていた。

 

関連記事:その他のテリー伊藤の東京チャンネル

  • スーパーカーが安くなっている?

 

    スーパーカーが安くなっている?  

    2020年04月29日 テリー伊藤の東京チャンネル

    コロナウィルス騒動で車業界もとんでもないことになっている。先日、景気が良ければ中古車雑誌「カーセンサー」にはまず掲載されない世界の超スーパーカーが売りにだされていた。   まずはイタリアの名車フェラーリ「ラ・フェラーリ6.3」世界限定499台、正規ディーラー、走行距離800キロというとんでもない車が売りに出され、車好きが騒然とした。 当時の販売方法は、フェラーリ及び各国現地法人によって行われ、選別方法は完全に非公開、マスコミは愚か販売対象者や正規販売店にも公開されることは無かった、まさに幻で伝説のスーパーカーである。 私など「ラ・フェラーリ」の姿すら拝んだことが無い。  

  • ストレス買い物症候群

 

    ストレス買い物症候群  

    2020年04月23日 テリー伊藤の東京チャンネル

    コロナウィルス騒動の勢いが止まらない。「非常事態宣言」は5月6日に終わるのだろうか。日本の現状を見るととてもそんな雰囲気ではない。事態は日に日に深刻になっているようだ。都内でも連日200名近くの新たな感染者が出ている。テレビを見れば「外出を控えてください」とすべての番組で訴えている。   私の事務所のある恵比寿では、選挙カーのスピーカーで「外出しないでください!」と大きな声で近所を走りまわっている。恐らく日本中の市役所の車が大音量でそれぞれの町を回っているに違いない。   実はこれってプレッシャーになっていない? 以前このコラムでスーパーマーケットやパチンコ屋に行かないようにと書いたが、実際は私の声などほとんど届いていない。連日、日用品を扱うスーパーなどは大盛況となっている。忙し過ぎて人員確保もままならない有り様だ。 そう、大人気なのだ。テレビ、新聞などであれほど自粛のお願いをしているにも関わらず、どうしてしまったのか。  

  • コロナウィルス騒動、問われる日本人の真価

 

    コロナウィルス騒動、問われる日本人の真価  

    2020年04月15日 テリー伊藤の東京チャンネル

     緊急事態宣言で東京の街は戒厳令のような静けさだ。丸の内、銀座、青山を車で走ってみても、SF映画のワンシーンのような不気味さがある。午後7時になると細々とやっていたスターバックスなども店を閉め、更に静まり返ってくる。まさに静寂。    ところが、都心の中央部からほんの少し離れた街、例えば、武蔵小山商店街や戸越銀座商店街、麻布十番商店街、深川のイトーヨーカドーなどの大手スーパーなどは週末どこも押すな押すなの賑わいなのだ。いったいどうなっているんだ!テレワーク(在宅勤務)の皆さんや、家族も家でじっとしているのが飽きてしまうのか。それら住宅地のお店はどこも大変な騒ぎになっているではないか。それも子供やおじいちゃんおばあちゃん連れで。ディズニーランドや映画館、劇場、コンサートなどに行けなかったウサを近所のお店で紛らわしているのか。せっかく会社や学校の活動を自粛して戦っているのに、こんなことではコロナウィルス菌を感染させる環境を自ら作ることになってしまう!!    それだけではない。国や東京都では他の県には不要不急の場合以外は行かないでと要請を出している。しかし皆がみんな言うことを聞くわけではない。こんな問題が起きている。東京都では、パチンコ屋さんに対して営業の自粛を要求しているが、パチンコ中毒の連中は東京都で出来ないのであれば、川を越えた隣の茨城県のまで足を運び、駐車場は東京ナンバーの車でいっぱいだ。本当に情けない!    いったいどうすればコロナウィルスを防げるのか。専門家の先生方が言われているのは、普段会う人の数を8割減らしなさいとのことだが、こんな連中がいる限り、いくら真面目に行動している人達がいても効果があるのだろうか。こんなことでは5月6日迄の緊急事態宣言が終わるはずがない。このままではアメリカN.Y.の二の舞になることは目に見えている。    安倍さん、小池さんが悪いわけではない。わずか1か月も我慢できない国民が悪いのだ。では、どうしたら良いのか。もうすでに自分はコロナウィルスに掛かっているという意識を持つことが大切。そう考えれば、のん気にパチンコ屋にも、家族手を繋いで近所のスーパーマーケットに行くこともないだろう。自分が被害者だと思うのではなく、加害者だと考える発想が必要になってくる。わたしだって無駄遣いの王様なのだから、本当は買い物に出たいのに今は我慢我慢。    今こそ日本人の真価が問われている。世界中が見ている。   写真:日本経済新聞 2020/4/11版より

  • 志村けんさん、映画見たかった!

 

    志村けんさん、映画見たかった!  

    2020年04月09日 テリー伊藤の東京チャンネル

    志村けんさんが亡くなった。日本中が驚きと悲しみに包まれている。本当に残念だ。私は志村さんと同じ70歳。他人ごとではない。   実は多くの日本人が今回のコロナウイルス騒動をどこか「自分は平気」と思っていたのではないか。コロナ騒動が起こってから3か月、私達の心の中にある種の緩みがあったと思う。   例えば、3月の3連休の時も桜の便りが聞こえ出し、多くの人々が町へ、行楽地へ足を運んだ。そう、日本全体が、どこか解放感に浸りたかったのかもしれない。   そこに、志村けんさんの突然の死。 いままでどこか対岸の火事だった事が、リアルになってくる。若者世代も真剣な気持ちを持つようになってきた。しかし、残念ながらコロナウイルスとの戦いは始まったばかりのような気がする。   日本のプロ野球も、来年のオリンピック開催も、日程だけは出ているが、本当にできるのだろうか。まったく先が見えない。  

  • 後世に残したいあのスターはこんな人柄だった!「淡谷のり子」

 

    後世に残したいあのスターはこんな人柄だった!「淡谷のり子」  

    2020年04月03日 テリー伊藤の東京チャンネル

    私も遂に70歳になってしまった。びっくりです。若かったころは70歳なんて遠い先!よその世界の話だと思っていたのに。 そう、まるで浦島太郎が竜宮城から帰って来て、おと姫様からいただいた玉手箱を開けてしまい、一瞬にしてお爺さんになってしまった、そんな感じです。学生時代が昨日のことのように思えるのに。   まあ、爺さんになってしまったのだから、そんなことを言っても仕方ありません。   ふと、芸能界にどのくらいいるのだろう?と考えてみました。24歳でこの世界に来たのだから、46年もいるんです!長いのやら短いのやら。 私は芸能界で何かのお役に立ったのだろうか、なんて考えてしまいます。   今日は、昔のスターとの思い出話をしたいと思います。 題して「後世に残したいあのスターはこんな人柄だった!」 まず第一回は、淡谷のり子さん(92歳没)。日本のシャンソン歌手の先駆者でした。愛称は「ブルースの女王」。   青森市の豪商の長女として1907年に生まれ、1923年青森県の女学校を中退後、母・妹と上京し、現在の東京音楽大学ピアノ科に入学、その後声楽家に編入してオペラ歌手を目指すためクラシック音楽を学んだ。 その頃家が貧しくなったため、絵画のモデルを務めるなどして生活費を稼いだ。努力の甲斐あって、首席で卒業し、新人演奏会で「魔弾の射手」を唄い、十年に一人のソプラノ歌手と呼ばれた。   物凄い実績ではないか。勿論プロ歌手となってからも、日中戦争が勃発した1937年「別れのブルース」が大ヒットしてブルースの女王の地位を不動のものにした。