Vol.26 子供病院への恩返し(Weekly LALALA 712号掲載)

人生も商売も、出る杭うたれてなんぼやで。 連載 Vol.26 吉田潤喜

子供病院への恩返し

 長女・クリスティーナが生まれた直後、彼女が生死の境をさまよったことは述べた。シアトル子供病院の医師たちが丸五日間、二十四時間体制で治療に当たってくれたお陰で、クリスティーナは命を取り留めたのである。しかも病院側は、生活費にもこと欠く私に気を使い、二百五十ドルという信じられない額の治療費しか請求しなかった。
あの時私は、請求書を手に、
「いつか必ず、お返しをさせていただきます」
 と涙ながらに誓った。ビジネスが危機に直面したとき、「なにくそ!」と踏ん張れた陰にも、あの誓いを実現するんだという思いがあった。
 私は八年前から地元ポートランドにあるドウエンベッカー子供病院の理事を務めている。同病院は、クリスティーナがお世話になったシアトル子供病院と姉妹関係にある。私はやっと、娘を助けてもらった「お返し」の機会に恵まれたのだ。
 クリスティーナが生まれた頃の私がそうだったように、アメリカには病院にすら行けない人が大勢いる。しかも、アメリカというのは不思議な国で、親が破産するほど貧乏だと福祉で面倒が見てもらえる。むしろ厳しいのが普通のサラリーマンたちで、彼らは保険にこそ入っているが、特別の保健にでも入らない限り支払いには 限度がある。子供が難病にでもかかれば、とても払いきれない額の治療費を請求されてしまうのだ。
 ドウエンベッカー子供病院では、保険外の患者の割合が六割にも達している。難病の子供達に加え、最初から保険を持っていない不法移民の子供たちを積極的に受け入れているからだ。彼らからカネは取れない。従って運営も厳しくなる。
 そうした運営費のため企業や篤志家から寄付を集めるのが、ボランティアで働く私たち理事の仕事になっている。驚くなかれ、昨年は一年間で三千万ドル(約三十九億円)の寄付金が集まった。これぞアメリカ社会の懐の深さと言えよう。お陰で全米の優秀な医師をスカウトでき、今ではドウエンベッカーは、小児ガンの治療ではアメリカでも三本の指に入る有名な病院となっている。
 アメリカ式の寄付の集め方というのを紹介してみよう。例えば、私が昔からソースの販売で世話になっているメンバーシップ「コストコ」では、毎年決まった時期になると店内でボランティアが活動を始める。店の客に寄付を呼びかけ、応じてくれた人の名前を一人一人紙に書いて風船に貼り付ける。千ドルを出した人も、一ドルの人も区別はしない。そうした紙の貼られた風船が店内に溢れる光景は、まさにお祭りと呼ぶにふさわしい。こうやって一般の人から集められる寄付が十五万ドル。これと同じ十五万ドルをCostco本社が負担し、併せて三十万ドルを病院に提供してくれるという具合だ。
 毎年、ホテルを借りて開催する資金集めのパーティも華やかな催しだ。二百ドル(約二万六千円)という高額なディナーに三百人もの一般客が参加してくれる。パーティの会場ではオークションなども行なわれ、一晩で集まる寄付は三十五万ドル(約四千五百万円)に達するほどだ。
 もちろん、子供病院で活動しているからといって、私はクリスティーナを助けてもらった恩返しをやり遂げたとは考えていない。あのときのお返しは、私が一生かけてやるべき仕事なのである。

吉田潤喜
1949年京都市生まれ。69年渡米、ワシントン州とオレゴン州における空手を使った警察逮捕術主席師範を経てヨシダフードを設立。醤油ベースのソース「ヨシダソース」が爆発的ヒットに。現在グループ会社の会長兼CEO。2003年、インテルやAOLなどと並び、米国の優秀中小企業家賞を受賞し殿堂入りを果たすとともに、2005年のニューズウィーク日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。

このコラムは『人生も商売も、出る杭うたれてなんぼやで』(幻冬舎アウトロー文庫)から抜粋・編集しています

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