Vol.18 悪夢のゴルフ場開発(後編)(Weekly LALALA 704号掲載)

人生も商売も、出る杭うたれてなんぼやで。 連載 Vol.18 吉田潤喜

悪夢のゴルフ場開発(後編)

雨の中、ずぶ濡れになりながら、私は何度となく一人で土嚢を積んで回った。ゴルフ場の木々は、雇ったメキシコ人たちと一緒に苦労して植えたものだ。それらが土と一緒に流されていくのを見るのが、どれほど情けない気持ちだったことか。
雨という難敵の影響もあって、工事は大幅に遅れた。その分だけ費用もかさみ、当時五百万ドルと見積もっていた予算は、やがて九百万ドルにまで膨らんだ。そこに追い討ちをかけるように、日本のバブルが崩壊した。クリスタルスプリングの開発は、私が中心のゼネラルパートナーとなって四人の日本人パートナーと共に進めている。そのパートナーたちが、一人また一人と、プロジェクトから脱落していったのである。資金繰りに困った私は、ソースのビジネスの利益をゴルフ開発に回した。しかし、こんなことが銀行にバレたら大変だ。それに、ソースから回せるカネにも限界がある。とはいえ、今さらゴルフ場の開発を止めることもできないでいた。
この頃、私たち家族は、クリスタルスプリングのゴルフ場用地にある丘の上の家に住んでいた。土地を持っていた日系人の老人が以前住んでいた家である。この家に戻るのすら苦痛で、リンダと顔を合わせるたび、彼女に辛く当たってしまった。それがまた、自分をいっそう惨めな気分にしていた。
深夜、家族が寝静まった後、窓の外を見ると雨が降り注いでいる。 「これでまた明日、一から工事をやり直しや・・・」
そう思いながら雨を眺めていると、不覚にも私の目から涙が流れてきた。泣いたのは、アメリカに来て四回目だった。最初は日本からシアトルの空港に飛行機が到着したとき、そして生後すぐのクリスティーナが助かったとき。もう一度は、ガーデナーとして働いていたときである。ガーデナーの仕事は、カゼをひいても、雨が降っても休めなかった。初めて知る肉体労働の苦労のなかで、「わし、何しにアメリカにきたんやろ」と情けなくなってしまった。そして、あのとき以上の苦しみが今、襲ってきている。
「なんで?」
降りしきる雨に向かって、ポツリと私はつぶやいていた。
「いっそのこと、死んだら楽になんのになあ・・・」
一瞬、そんなことまで頭に浮かんだ。今にして思えば、しょせん私は「横着」だったのだ。すべては自分の責任で招いた結果でしかない。
とはいえ、過去三回の危機と比べても事情が違っている。以前はすべて、自分のカネしか絡んでいなかった。しかし今度に限っては、出資者となった他人に迷惑をかけてしまっている。それだけに、経験したことのないプレッシャーに苦しんでいた。

吉田潤喜
1949年京都市生まれ。69年渡米、ワシントン州とオレゴン州における空手を使った警察逮捕術主席師範を経てヨシダフードを設立。醤油ベースのソース「ヨシダソース」が爆発的ヒットに。現在グループ会社の会長兼CEO。2003年、インテルやAOLなどと並び、米国の優秀中小企業家賞を受賞し殿堂入りを果たすとともに、2005年のニューズウィーク日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。

このコラムは『人生も商売も、出る杭うたれてなんぼやで』(幻冬舎アウトロー文庫)から抜粋・編集しています

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