Vol.03 NIKEとの出合い(Weekly LALALA 689号掲載)

人生も商売も、出る杭うたれてなんぼやで。 連載 Vol.03 吉田潤喜

NIKEとの出合い

前回、渡米時のことをお話したのでご承知の通り、僕は英語がまったく話せなかった。アメリカについてもみんなが知っているような一般的なことしか知らなかった。そこから、アメリカのソース王と呼ばれるようになるまでには、なみなみならぬ苦労があった。ソース王と呼ばれる僕だが、実はソース以外にも、事業の多角化を積極的に行ってきたが、初期に手がけたビジネスのひとつに「オレゴン航空貨物」(OIA)がある。
OIAの社長には、僕の空手道場の生徒でもあるスティーブ・エーカリーを選んだ。彼はもともと地元の航空貨物会社に勤務していて、僕が日本へミル貝を輸出するとき、仕事を頼んでいた仲間だった。そこで「独立してOIAの社長をやってみないか?」と、誘ったのだ。
この会社がのちにNIKEとの契約を巡って、大成長を遂げることになる。
NIKEの本社は、僕が最初に空手道場を構えたオレゴン州のビーバートンという街にある。世界のNIKEも80年代はまだ小さな会社にすぎず、大幹部にまでなっている面々が空手を習いに僕の道場に通っていた。
その中のひとりが、ある日、困り果てて僕のところへやってきた。
「先生、ある荷物を3箱ほど韓国の釜山に送らなければいけないんだけど、日系の輸送会社に依頼したらことごとく断られちゃったんですよ」。それは1箱10キロほどの、何の変哲もない荷物だった。「なんで断られたんや?」。「3日以内に届けることを保証してほしいと言ったら、1週間や10日ならできるけど、3日なんて責任持てませんって・・・」。
今から30年ほど前の話だ。ビーバートンから釜山まで荷物を運ぶには、まずロサンゼルスまでトラックで運び、そこからソウル行の飛行機に載せ、ソウルに着いたら、再びトラックで釜山まで運ぶのが最短ルート。確かに3日はかなり短い。
ちなみに箱の中身は、ただの風船みたいな空気のクッションなので、危険性はないとのこと。それ以上の情報はもらえなかった。
「よし、ワシやったるわ」
なんてことはない。今まで扱ってきた生鮮食品と同じと考えればいいのだ。早速、スティーブに話を持っていくろ、これがもう大反対。できない理由を延々と並べまくり、勢いづいて空手の師匠(僕)に向かって、「こんな仕事を請け負うなんて無責任だ」とまで言い放つ始末。どついたろかと思ったけれど、彼はこの業界のプロなのだから、当然といえば当然の反対だったが、どんなことを言っても首を縦に振らない。
「ほなおまえ、今からコリアン航空のチケットを買うてこいや」。僕がそういうと、スティーブはきょとんとした顔をしている。「箱3つ、おまえが釜山まで持って行くんや!」 時間はすでに限られている。航空券を買うとスティーブは翌日、ブツブツ言いながら3つの箱とともに旅立った。
「先生、箱が無事に届きました!」。翌日NIKEの本社から連絡が入った。
実を言うと、この荷物がNIKE大躍進のきっかけとなったシューズのクッション「エアソール」だった。NIKEのシューズは秘密兵器であったエアソールのみビーバートンの工場で製造して、それ以外の部分は韓国で製造していたのだ。この一件を機に、OIAはNIKEのエアソールの輸送を独占することになった。
輸送業界にはまったくの素人だった僕だったが、とにかく3日以内に荷物を運ぶというパッションがNIKEとの出合いになった。

吉田潤喜
1949年京都市生まれ。69年渡米、ワシントン州とオレゴン州における空手を使った警察逮捕術主席師範を経てヨシダフードを設立。醤油ベースのソース「ヨシダソース」が爆発的ヒットに。現在グループ会社の会長兼CEO。2003年、インテルやAOLなどと並び、米国の優秀中小企業家賞を受賞し殿堂入りを果たすとともに、2005年のニューズウィーク日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。

このコラムは『人生も商売も、出る杭うたれてなんぼやで』(幻冬舎アウトロー文庫)から抜粋・編集しています

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