<連載コラム>〝小さな街〟のスペシャリスト(1)(Weekly LALALA 753号掲載)


サンディエゴ・パドレス 環太平洋オペレーション部長
エーシー 興梠 さん


〝小さな街〟のスペシャリスト(1)


〝小さな街〟のスペシャリスト(1)
20年在籍したドジャース時代、トミー・ラソーダ監督と。ドジャースではオマリー会長(当時)の補佐にはじまり社長秘書、アジアオペレーションスカウティングを務めた。

 パドレス環太平洋オペレーション部長になって4年目のAcey興梠さん。生まれは日本だが、両親の仕事の関係で7歳のときに米国へ移住した。以前はLAドジャースに20年在籍し、まずはオマリー会長の補佐として国際部に。その後は社長秘書を経て最終的にはアジアオペレーションスカウティングを務めた。MLBに携わって30年の大ベテランだ。メジャーに関わる以前もマイナーリーグに野球留学をしていた日本人選手の通訳を務め、翌年からは1A球団のフロント入り。当時はバイリンガルが少なかったため重宝されたという。野球の経験はなかったが、通訳をきっかけにこの世界へ。大学を卒業したばかりの興梠さんの手助けをしてくれたのは、ドジャースに長年勤め日米野球交流に大きく貢献し、のちに興梠さんの義理の父となった〝太平洋のかけ橋〟ことアイク生原氏だった。「最初はヘッドハンティングされたけど、当時は野球もわからずただのバイリンガル。そこから勉強してフロントに入ったが、そのほうがやり甲斐はある」。球団経営の勉強をし、1A、3Aのオーナー代行をしていたこともある。日本球界とのつながりも深く、広岡達朗氏の手伝いや巨人の育成選手の世話、近鉄のアドバイザーも10年間やった。当時中日ドラゴンズ監督だった星野仙一氏から誘われ、中日の渉外担当になることを考えたこともあったが、自分としても「やっぱり自分はアメリカ育ちで家族もアメリカ人」という気持ちがあり、ドジャース入りした。
 前田健太投手がドジャースに入団した後、元ドジャースのオマリー一族がパドレスのオーナーになり、オマリー氏の〝チーム〟の一員としてパドレスに移籍したわけだが、興梠さんいわく「信頼できるグループを創っていってグループで動く」のがプロ野球球団経営。「球場は小さな街と同じ。消防署があったり看護婦がいたり、それをマネジメントする。スカウティングのマネジメントはスカウトを送り込むためで、ローカルスカウトもいるし、球団の交渉人のようなもの。見るだけのスカウトに対してリクルーターは交渉する。一般企業よりさらにすべてのビジネスが混ざったものが野球で、いろいろな仕事があって各分野のスペシャリストが集まったのが球団。それを把握してからスポーツマネジメントを勉強したほうがいい。オーナーやGMも頻ぱんに変わるから、特殊能力を持っていないと生き残っていけない世界です。若い人には何かのスペシャリストになってほしい」と、野球界での活躍を夢見る若き人材へメッセージを送る。

■Acey Kohrogi
日本生まれアメリカ育ち。MLBに携わって30年目の大ベテラン。野球経験はなく、マイナーリーグでの通訳をきっかけに米国野球界に飛び込み、球団経営を勉強しフロント入り。1A、3Aのオーナー代行を経た後はLAドジャースに20年在籍し、オマリー会長(当時)の補佐にはじまり社長秘書、アジアオペレーションスカウティングを務めた。2015年、オマリー氏とともにSDパドレスへ移籍し、環太平洋オペレーション部長として日本、韓国、台湾といったアジアの国でのスカウト活動などを通じて、チームの国際化に貢献している。

Weekly LALALA ホームに戻る

シェア