生まれ変わった自分 「救いの手差し伸べる」(Weekly LALALA 767号掲載)

ロサンゼルスで暮らす人々-vol.767

生まれ変わった自分  「救いの手差し伸べる」
河野 亮平 |Kawano Ryohei

ロサンゼルスで暮らす人々  牧師、名誉神学博士

生まれ変わった自分  「救いの手差し伸べる」
対人恐怖症で思い悩み自殺まで考えた河野亮平さんだが、クリスチャンになることで救われた。自身の経験を通して人々に救いの手を差し伸べる

 リトルトーキョーのセンテナリー合同メソジスト教会で、毎週日曜日に行われる礼拝。祭壇に立ち、堂々と、しかし穏やかに優しく、礼拝堂に集まった30名ほどに語りかけるのは、牧師の河野亮平さんだ。「わかろうとする姿勢が大事。知ることは信じること。ハングリー精神、求めていく精神がなければ人間は成長しない」。
 キリスト教と縁のない家庭に育った河野さんは、かつては超がつく人見知りだった。とにかく内気で、人と話ができない。買い物も1人では行けないほどだった。中学3年のとき、社会性を養わせたいと考えた母にお遣いを頼まれた。しかし店で「いらっしゃい!」と言われた瞬間、緊張して何を買いに来たのか忘れてしまった。結局違うものを買って帰宅すると母は「情けない」と泣き出した。ある日、数少ない友達の1人がクリスチャンになり、教会へ行こうと誘ってくれた。何度も何度も誘い続けてくれ、根負けした河野さんは教会へ行った。しかし大勢の前で自己紹介ができず、恥ずかしくて二度と行きたくないと思った。
 高校受験が終わり、勉強ができた河野さんは有数の進学校へ。相変わらず内気は治らなかったが、ふと考えた。「こんなに社会性のない人間は大学まで行けたとしても、そのあと生きていけない。これが解決しなかったらもう自殺するしかない」。そんなとき思い出したのが、たった一度訪れた教会の雰囲気だった。「もう一回自分から教会に行ってみて、そこで解決ができなかったら死のう」。思い詰めて足を運んだ教会では、宣教師の衝撃的なことばが待っていた。「人間はみな罪人。人の心の中は汚く、人を恨んだり憎んだりすることは罪である」。法を犯す行為だけでなく、悪い思いを持つこと自体が罪。この教えにハッとさせられた。それでは、その罪はどうすれば償うことができるのか。「罪のないイエスがこの地上に生まれ、人々の罪の身代わりとして死んでくださった。心の中の罪は消し去ることはできないが、イエスを救い主として信じるなら罪が許される」。そして、河野さんは言った。「それなら私は罪人です。その教えを信じます」。言った瞬間、心があたたかくなった。神の愛に生まれ変わらせてもらった気がした。
 大学卒業後、牧師となった河野さんは留学のため1972年に渡米。サウスベイやミッションバレーの教会などを経て、今年から現教会へ。「私は信じることで普遍的な心理を発見しました。日々、悔い改めて反省し、わかろうとすることが大切。自分が苦しんだから人の悩みもよくわかります。クリスチャンにならなかったら私はこの世にもういなかった。悩み苦しんでいる人たちを少しでも助けたい」。死を考えるまでに思い悩んだ経験があるからこそ、救いの手を差し伸べる存在でありたい。それが河野さんの思いだ。

河野さんは現在、リトルトーキョーにあるセンテナリー合同メソジスト教会で礼拝を行っている
自らが悩み苦しんだからこそ、人の痛みがわかる。河野さんは心をこめて教会を訪れる人に話をする


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