<連載コラム>日の丸の重み知る日系二世(1)(Weekly LALALA 747号掲載)


日の丸の重み知る日系二世(1)

シアトル・マリナーズ野球事業部/ 太平洋リエゾン、リプレーコーディネーター
鈴木アントニーさん

日の丸の重み知る日系二世(1)


16歳で単身日本へ野球留学したアントニーさん(左)。通訳のほか、インスタントリプレーも担当する。マリナーズではすでに13年目に突入し、球団からの信頼は厚い。
岩隈久志(右)の会見で通訳を務める。これまでに投補内外全ポジションの選手の通訳をするという貴重な経験をしている。

 「米国での活躍を目指す日本人選手は多いけれど、実際にプレーして実績を残せるのはほんの一部という現実があります。自分のバックグラウンドと語学力を生かして、米国へ来る選手を助けたい」と、シアトル・マリナーズで働く鈴木アントニーさんは話す。自身もプロ野球選手になりたくて16歳で生まれ育ったハワイを離れ、単身日本へ野球留学した経験を持つ。プロ野球選手の夢はかなわなかったが、それなら夢を追う人をサポートしようと思った。
 大学を卒業後、5年半勤務したスポーツ関連の企業での人脈が新たな目標のかけ橋となった。社長がサンディエゴ・パドレスへ移籍が決まった大塚晶文氏と知人だったため、その通訳を務めることになったのだ。ここからアントニーさんのMLBでの挑戦が始まった。2006年には城島健司、イチロー両氏の通訳としてシアトル・マリナーズに〝移籍〝。以来、シーズン中は通訳、オフシーズンは野球事業部のチーム編成の仕事という生活を送っていた。
 シアトル13年目の今年、新たな役割が与えられた。アドミニストレーションコーチの1塁コーチコンバートにともない、その穴埋めをするようになった。監督のマネジャーのような仕事をし、選手とコーチの間に入り、ラインナップを発表したり、コーチ陣のアドミニストレーションをしている。また、通訳もするが、試合中は4年前から導入されているインスタントリプレー(ビデオ判定)も担当。チャレンジの有無やタイミングが勝敗を左右することもある。
(6月15日号へ続く)

■Antony Suzuki
ハワイで生まれ、小学校から野球を始める。16歳のとき、野球のために単身での来日を決意し、暁星国際高校へ編入。野球推薦で駒沢大学へ入学しプロ野球選手を目指したがかなわず、スポーツ関連企業に就職した。5年半の勤務後、再び米国へ。2005年からサンディエゴ・パドレスで通訳を務め、2006年からはシアトル・マリナーズにて日本人選手の通訳および野球事業部のチーム編成業務/スカウトに携わっている。これまでに大塚晶文、城島健司、イチロー、岩隈久志、川崎宗則、青木宣親と、投補内外全ポジションの選手の通訳という貴重な経験をしている。

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