「死ぬまで勉強」(Weekly LALALA 791号掲載)

ロサンゼルスで暮らす人々-vol.791

「死ぬまで勉強」
Tatoo Koji

ロサンゼルスで暮らす人々  タトゥーアーティスト

「死ぬまで勉強」
2013年にLAへ移住し、ロミータのタトゥーショップで働くタトゥーアーティストのKOJIさん。「目標はコンベンションで賞をとること。アメリカはジャンルが分かれてる。その中で自分がアメリカに来てまで勉強したかった分野で1位になれば、また1つ励みになる」(Instagram@TATOO.KOJI

 日本では若い世代には浸透しつつあるものの、一般的にはまだまだ偏見が見られるタトゥー。しかし米国ではファッションやアートとして幅広く認知されている。ここでは文化として根付いているだけに、技術もどんどん新しくなり発展していくのだという。「進化するためにもここに居続けたい」と話すのは、日本人タトゥーアーティストのKOJIさんだ。
 タトゥーに興味を持ったのは叔父の影響。背中一面に施されたタトゥーを見て育ち、もともと絵を描くのが好きだったこともあって自然にアートとしてタトゥーを受け入れていた。日本ではタトゥーショップへ行くとかなり高額になるが、「自分でやればタダだから」と自らの肌にインクを重ね、練習をしていたKOJIさん。高校生のとき、初めて自分で描いたデザインをタトゥーアーティストに入れてもらい、18歳でこの道へ進もうと決めた。
 はじめはアルバイトをしながら生計を立て、タトゥーだけで生活するようになったのは23歳。我流で始め、まだインターネットも普及していなかった当時は本や雑誌で研究をした。しかし我流では限界を感じ、技術向上のために昔からデザインが好きだった彫り師に弟子入り。その後、独立して自分のショップを開いた。コンベンション参加のためにたびたび訪れていた米国へ来たのは2013年のこと。文化やデザインに惹かれ、「いつか行きたい」とあこがれを抱くようになっていた。
 「繊細な技術やデザインは今でも日本が一番だと思う」と話すが、渡米してすぐ、日本の技術は日本でしか使えないことに気づく。「日本の技術は日本人向けのもの。米国では通じなかった」。日本人の皮膚はきめ細かく彫りやすい。色も映える。しかしこちらでは、肌の色、皮膚の厚さが違う人が多い。同じことをやってもうまくいかず、道具を変えたりと試行錯誤する日々を送った。もう一つ壁となったのが語学だ。タトゥーは基本的に一生残るもの。そのため、デザインについてもお客さんとよく話し合って決めなければならない。「最初は言葉が一番大変だった」と振り返るが、働いているショップで日本人は自分だけという環境の中、英語は自ずと身についていった。
 生活の一部としてタトゥーが馴染むLA。「コンビニ感覚でタトゥーショップがあるし、街なかを歩いていれば目に触れる」と、KOJIさんもすっかりこの街に溶け込んでいる。「タトゥーはムーブメントの世界。はやりがあるし、新しい技術がどんどん出てくる。有名だった師匠でさえも自分を半端だと言っていた。だから自分も一人前は名乗れない。死ぬまで勉強。ずっとここでやっていきたい」。

真剣な眼差しでクライアントの肌にインクを入れていく。タトゥーアーティストになろうと決めたのは18歳のときだった
子供のころから絵を描くのが好きだったというKOJIさんの描くタトゥーはアートそのもの


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